きのうは高速路線バスで三宮に行きました。バスの最初のステップは高いけど、両手で手すりをつかみ、左足を掛けると乗れます。居眠りしているうちに三宮につきます。往復とも快適でした。
リハビリと診察(執刀医の)では、レントゲン写真/血液検査の結果/を見て「よく回復している」とほめられました。もうすぐ82歳になるおじいさんでも「ほめられるとうれしい」です。
いまは1日おきにシャワーをあびています。でもゆっくり風呂に入りたい。お医者さんに尋ねたら、「手術痕をタオルでこすって洗ったりしなければ入ってもよろしい」だって。うれしい!
ぼくは「お風呂大好き人間」です。一日に何度でも体を伸ばして入浴したい。我が家は、小学校/中学校/の頃、入浴では「思い出すのもツライ」苦労をイッパイしましたから。いくら入浴してもあの「風呂への飢餓感」は生涯消えません。
「車の運転」を尋ねたら「いいでしょう。右足を手術したんだから気をつけて」だって。「はい、田舎道を軽自動車でゆっくり走るだけにします」と元気にこたえました。道子さんも運転はしますが、ふだんはぼくのほうが安定感がある。彼女は「高速道路は大丈夫」だから、遠出のときとても助かります。
きのうは恵比須駅の駐車場から家まで、夕暮れの道をぼくが運転して帰ってきました。これからはまかせなさい。
歩くほうは「家のまわりをボチボチ散歩するのはいいです」って。これもうれしい! 杖を突いてゆっくり散歩します。80歳を越えると筋力の落ちるのが心配です。少しずつ鍛えることにします。電動ウオーカーはもう少し先にします。
きのうは世の中が明るくなったような気分でした。ありがとうございます。
ところで帰宅してみたら〈古希になる生徒たちの同窓会〉案内が来てきました。西宮の中学生(15歳)だった生徒が古希(70歳)になる。ということは若かった先生も80歳超で、亡くなった人も多いかな。芦屋の竹園でやるって。
中学時代の同窓会というのは、生徒同士は「懐かしい!」。ワーワーキャアキャア! 子ども時代のパワーがよみがえって、盛り上ります。「先生に見えなかったイジメ」もありますから、行きたくない生徒も。そして先生は「お添え物」です。同窓会というと「先生」もいるほうが「なんとなくいいかなあ」。
興醒め(きょうざめ)するようなことを書きますが、現実です。同窓会という先細りの閉鎖的な会は、その限界も見きわめたほうがいい。
何十年も前の体験を書きます。
ぼくは西宮の中学校に1960年に就職しました。高校3年大学4年ですから15歳の生徒とは7歳違いです。教師の人数の都合でしょうか。3年生の教師集団に組み入れられましたが、授業は1・2年生に英語の授業をしました。3年生につきものの修学旅行には用務員さんも同行しましたが、ぼくは残留組でした。疎外感を味わいました。
22歳になったばかりで、幼く見えたのでしょう。運動会では、みんな白い服装です。教師のぼくが煙草を吸っていたら「生徒が煙草を吸っている」と保護者の方に注意されました。(60年前は、教師は生徒の前でもよく煙草を吸っていました)。
その学年の生徒たちが何十年かぶりに同窓会を甲子園のホテルでやりました。
ぼくも先生ということで案内が来て、参加しました。受付で若い女性たちが「まー、センセイ!」と嬌声をあげて名札をつけてくれました。先生たちの席に案内されて教師だったみなさんとおしゃべり。それから会の終わるまで、生徒だった人たちのおしゃべりは盛り上がり、先生たちはぼそぼそと会話し、生徒は誰一人話し掛けてきませんでした。
同窓会では「教師はお添え物」と痛感しました。それでいい。教師と生徒の世界はちがうのです。先生をやめてから子どもたちを見ていると「先生というのは子どもたちが見えていないんだんなあ」とつくづく思います。別の世界の人間なんです。
同窓会には先生はいなくてもいい。アクセサリーです。しかし先生がいないと同窓会らしくない。女性は長生きだから「だれか女の先生が出てくれるかな」。ぼくはどうするかな。
リハビリと診察(執刀医の)では、レントゲン写真/血液検査の結果/を見て「よく回復している」とほめられました。もうすぐ82歳になるおじいさんでも「ほめられるとうれしい」です。
いまは1日おきにシャワーをあびています。でもゆっくり風呂に入りたい。お医者さんに尋ねたら、「手術痕をタオルでこすって洗ったりしなければ入ってもよろしい」だって。うれしい!
ぼくは「お風呂大好き人間」です。一日に何度でも体を伸ばして入浴したい。我が家は、小学校/中学校/の頃、入浴では「思い出すのもツライ」苦労をイッパイしましたから。いくら入浴してもあの「風呂への飢餓感」は生涯消えません。
「車の運転」を尋ねたら「いいでしょう。右足を手術したんだから気をつけて」だって。「はい、田舎道を軽自動車でゆっくり走るだけにします」と元気にこたえました。道子さんも運転はしますが、ふだんはぼくのほうが安定感がある。彼女は「高速道路は大丈夫」だから、遠出のときとても助かります。
きのうは恵比須駅の駐車場から家まで、夕暮れの道をぼくが運転して帰ってきました。これからはまかせなさい。
歩くほうは「家のまわりをボチボチ散歩するのはいいです」って。これもうれしい! 杖を突いてゆっくり散歩します。80歳を越えると筋力の落ちるのが心配です。少しずつ鍛えることにします。電動ウオーカーはもう少し先にします。
きのうは世の中が明るくなったような気分でした。ありがとうございます。
ところで帰宅してみたら〈古希になる生徒たちの同窓会〉案内が来てきました。西宮の中学生(15歳)だった生徒が古希(70歳)になる。ということは若かった先生も80歳超で、亡くなった人も多いかな。芦屋の竹園でやるって。
中学時代の同窓会というのは、生徒同士は「懐かしい!」。ワーワーキャアキャア! 子ども時代のパワーがよみがえって、盛り上ります。「先生に見えなかったイジメ」もありますから、行きたくない生徒も。そして先生は「お添え物」です。同窓会というと「先生」もいるほうが「なんとなくいいかなあ」。
興醒め(きょうざめ)するようなことを書きますが、現実です。同窓会という先細りの閉鎖的な会は、その限界も見きわめたほうがいい。
何十年も前の体験を書きます。
ぼくは西宮の中学校に1960年に就職しました。高校3年大学4年ですから15歳の生徒とは7歳違いです。教師の人数の都合でしょうか。3年生の教師集団に組み入れられましたが、授業は1・2年生に英語の授業をしました。3年生につきものの修学旅行には用務員さんも同行しましたが、ぼくは残留組でした。疎外感を味わいました。
22歳になったばかりで、幼く見えたのでしょう。運動会では、みんな白い服装です。教師のぼくが煙草を吸っていたら「生徒が煙草を吸っている」と保護者の方に注意されました。(60年前は、教師は生徒の前でもよく煙草を吸っていました)。
その学年の生徒たちが何十年かぶりに同窓会を甲子園のホテルでやりました。
ぼくも先生ということで案内が来て、参加しました。受付で若い女性たちが「まー、センセイ!」と嬌声をあげて名札をつけてくれました。先生たちの席に案内されて教師だったみなさんとおしゃべり。それから会の終わるまで、生徒だった人たちのおしゃべりは盛り上がり、先生たちはぼそぼそと会話し、生徒は誰一人話し掛けてきませんでした。
同窓会では「教師はお添え物」と痛感しました。それでいい。教師と生徒の世界はちがうのです。先生をやめてから子どもたちを見ていると「先生というのは子どもたちが見えていないんだんなあ」とつくづく思います。別の世界の人間なんです。
同窓会には先生はいなくてもいい。アクセサリーです。しかし先生がいないと同窓会らしくない。女性は長生きだから「だれか女の先生が出てくれるかな」。ぼくはどうするかな。