光人社NF文庫『秘めたる戦記』=(悲しき兵隊戦記)の表紙には、詩人で小説家の伊藤桂一(1917年 ~ 2016年 99歳で没)のことをこう書いてあります。
七年の長き日々を戦野においた兵隊作家の第一人者が、軍隊の底辺に生きた下級将校、下士官、兵隊のありのままの姿を円熟の筆にのせて鮮やかに描き切った感銘を刻むドキュメンタリー700枚。苦難の道をあゆみつつも人間の心を失わない人々に、慈愛に満ちたまなざしをおくる詩情あるれる ……。
『秘めたる戦記』は最後まで手元に残しておく本のなかの一冊です。その伊藤桂一の書いた時代小説が目にとまったので、大型活字本『月下の剣法者』を借りて読みました。
いろんな架空の剣豪が登場する剣豪小説です。物語に登場する剣豪が、1ページ目を読んだだけで「すくっ!」とこころの中に立ち上がる。こころをつかまれたぼくは、剣豪を応援しながら読み進みたくなる。14編の短編集ですが、どれもきわめて面白かった。
機会があれば読んでみてください。
書きたいのは別のことです。剣豪小説の本の解説を詩人の林富士馬さんが引用しているのですが、伊藤桂一さんの「死にのぞんでの気概」を紹介しています。若く、名もなく、異郷の野辺に、死んだ兵士をおもう「伊藤さんの気概」が脈打っています。
たまたま「戦記作家の五十年目」(「新潮」平成7年十一月号)と云う近頃の随筆のなかに「戦記 -
といっても、主として底辺の人たちの戦場での戦いぶり、生き方考え方、生死の間の物語を、戦後たゆみなく綴ってきた一戦記作家の私としては、戦中世代の消滅しつつあることは、ことさら身にこたえる」「連合軍の上陸を迎えて悪戦したQ島 - の司令官と参謀長は、いよいよ 命運の尽きた時、互いに自刃して潔くその生を終えた、という伝聞がある。しかし、実際はそうでない。この島では、婦女子までが、勇壮に戦って死んでいるのだが、司令官と参謀長は、モルヒネを用いて、安楽死を選んでいるのである。日本の軍隊は、こうした弱劣な、上層部の軍人によって、戦争指導をされている。私は別に、軍の上層部の在り方を、露悪的に書いたことはないし、むしろ、軍人の世界にしかない人間的な美談を、拾っては紹介する仕事を一方でつづけてきたが、軍の最上層部の醜態は、ここで、私が記すまでもなく枚挙に遑(いとま)はない。(中略)死に臨んで、モルヒネを選んだというのは、どういう心理だろう」「戦後五十年目の時に、私は、孤独な、荒涼とした死に方だけはしたい、と覚悟しておいて、今後も、事を進めようと考えている」(伊藤桂一の原稿より)
七年の長き日々を戦野においた兵隊作家の第一人者が、軍隊の底辺に生きた下級将校、下士官、兵隊のありのままの姿を円熟の筆にのせて鮮やかに描き切った感銘を刻むドキュメンタリー700枚。苦難の道をあゆみつつも人間の心を失わない人々に、慈愛に満ちたまなざしをおくる詩情あるれる ……。
『秘めたる戦記』は最後まで手元に残しておく本のなかの一冊です。その伊藤桂一の書いた時代小説が目にとまったので、大型活字本『月下の剣法者』を借りて読みました。
いろんな架空の剣豪が登場する剣豪小説です。物語に登場する剣豪が、1ページ目を読んだだけで「すくっ!」とこころの中に立ち上がる。こころをつかまれたぼくは、剣豪を応援しながら読み進みたくなる。14編の短編集ですが、どれもきわめて面白かった。
機会があれば読んでみてください。
書きたいのは別のことです。剣豪小説の本の解説を詩人の林富士馬さんが引用しているのですが、伊藤桂一さんの「死にのぞんでの気概」を紹介しています。若く、名もなく、異郷の野辺に、死んだ兵士をおもう「伊藤さんの気概」が脈打っています。
たまたま「戦記作家の五十年目」(「新潮」平成7年十一月号)と云う近頃の随筆のなかに「戦記 -
といっても、主として底辺の人たちの戦場での戦いぶり、生き方考え方、生死の間の物語を、戦後たゆみなく綴ってきた一戦記作家の私としては、戦中世代の消滅しつつあることは、ことさら身にこたえる」「連合軍の上陸を迎えて悪戦したQ島 - の司令官と参謀長は、いよいよ 命運の尽きた時、互いに自刃して潔くその生を終えた、という伝聞がある。しかし、実際はそうでない。この島では、婦女子までが、勇壮に戦って死んでいるのだが、司令官と参謀長は、モルヒネを用いて、安楽死を選んでいるのである。日本の軍隊は、こうした弱劣な、上層部の軍人によって、戦争指導をされている。私は別に、軍の上層部の在り方を、露悪的に書いたことはないし、むしろ、軍人の世界にしかない人間的な美談を、拾っては紹介する仕事を一方でつづけてきたが、軍の最上層部の醜態は、ここで、私が記すまでもなく枚挙に遑(いとま)はない。(中略)死に臨んで、モルヒネを選んだというのは、どういう心理だろう」「戦後五十年目の時に、私は、孤独な、荒涼とした死に方だけはしたい、と覚悟しておいて、今後も、事を進めようと考えている」(伊藤桂一の原稿より)