古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

「網引駅」前の大銀杏を見に行きました。

2023年11月14日 18時33分09秒 | 古希からの田舎暮らし
 電車に乗るのは何年ぶりでしょうか。今日は神戸電鉄・粟生線の「恵比須」駅から電車に乗りました。まず終点の「粟生」駅まで。電車を降りて跨線橋の階段を急いで上り・下りして北条鉄道へ。(車は恵比須駅前の駐車場へ)

 北条線は一両編成の気動車です。切符は買うところがなくて、運転手兼車掌兼改札係の若い女性が下りるときに乗車料金を受け取ります。目的地は「網引駅」前です。
 わからないまま気動車に乗っていたら一駅目でした。一眼レフカメラを持った人が下りていきます。写真を撮るつもりなんですね。
ネットで見たら「網引駅前の大銀杏」は有名ですね。ぼくはNHKのデータ放送の兵庫県版ニュースで知りました。
「銀杏か。そんなに有名なのか。一度見ておきたいな」と思い立ったのです。
 今年の銀杏はどことも期待できません。夏の水不足と暑さのせいか、葉が小さい。そして色がわるい。

 この銀杏は大きいですが、樹形がいいとは思えない。地面に散り敷いた写真があり、「大木は落ち葉の量が圧倒的だな」と感心しました。
 でもカメラを持った人が何十人か来ていて、ウロウロ写真を撮っていました。家に帰ってから〈you tube〉で「網引駅の大銀杏」と検索したら、今日見た景色が出てきました。
 もう見に行くことはないかなあ。
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『誤解だらけの明智光秀』おもしろかった。

2023年11月14日 02時00分10秒 | 古希からの田舎暮らし
 本郷和人という人は東京大学史料編纂所教授ですって。はじめて知りました。「そんな学者の書く本はむずかしいのだろう」と思って図書館でパラっとみたら面白そう。『誤解だらけの明智光秀』という本を借りました。読んでみたらほんとに読みやすく、おもしろい。明智光秀のことが知りたかったわけではありませんが、空想や嘘も混じる時代小説とちがい、歴史がよくわかりました。
 文章がとても読みやすく、サラッと読めます。少し引用してみます。
(なぜ明智光秀は本能寺に向かい、織田信長を襲ったか)という諸説のなかで、本郷和人がすすめる説は)


 現在、もっとも有力視されているのが「四国説」。信長の理不尽な四国征伐を止めるため、「本能寺の変」を起こしたという説です。
 舞台は四国の土佐。ここ土佐には、土佐統一を目指す優秀な戦国大名、長宗我部元親がいます。ちょうど光秀が丹波攻めに着手したころ、信長は光秀に、長宗我部元親と取り次ぐよう指示します。そして、元親に「四国はあなたに任せます。自分の力で勝ち取った領地は自分のものにしていいですよ」という朱印状を送りました。
 実は、元親の正室は、光秀の重臣・斎藤利三の妹です。光秀はおそらく、得意の交渉術で「どうぞ織田家の家臣になってください。そうすれば、信長は領地を奪うような真似はしません。それに、私の腹心の部下の妹はあなたの奥さんじゃありませんか」などと元親を説得したのでしょう。その提案を受け入れた元親は、その後、信長と親交を深めていきました。
 ところが、信長公認で四国各地を順調に平定していたある日、信長が突然、「やっぱり四国全部はあげられない。土佐と阿波の半分だけあべるから、残りは全部織田家に渡しなさい」と言い出します。当然、元親は「約束が違う!」と拒否しました。取り次ぎ役をつとめた光秀もかなりショックだったでしょう。必死に信長に抗議し、元親にも早まらないよう説得します。そんな光秀の取り次ぎもむなしく、信長と元親の仲は完全に決裂。三男の織田信孝を大将に、重臣の丹羽長秀を戦奉行にすえた大軍団を結成し、総勢一万四千もの織田軍を大阪の港に集結させました。
 そして、軍団がいざ四国征服に出陣! というその日に、「本能寺の変」が起こったのです。そのため、四国征伐は中止になり、元親は安堵します。
 これは単なる偶然ではなく、光秀が信長の四国征伐を阻止するために、信長を殺したというのが、四国説です。


 東大教授が書いた文なのか。名調子の講談をきいている気分になります。この学者はいっぱい本を書いてます。読んでみたくなりました。

 
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