明けましておめでとうございます。
日頃はブログ『古希からの田舎暮らし』をのぞいていただき、ありがとうございます。
2009年(平成21年)3月から書きはじめたこのブログも595回目になります。
今年も高齢者のささやかな田舎暮らしを発信します。よろしくお願いいたします。
この写真は孫の大志くんが『ババヌキ』をする人たちを応援する旗です。大志くんはランドセルを買ってもらい、4月から一年生になります。おじいちゃんの家に遊びに来て、トランプ遊びでババヌキをすることになっても、ババを引くのにどうしてもなじめなくて、応援にまわることになりました。すると五年生の萌ちゃんが、応援する旗をつくってくれました。
「だれがババの面倒をみるか」を賭ける真剣勝負ではありませんが、それでもかなり真剣になる大人たちを、大志くんが旗を振って応援します。こころやさしい孫たちですが、この子らが大人になるころ、日本がしあわせに生きていける国でありますように。
さて元旦の初詣では、軽トラで近所の神社をまわりました。まずうちの村で『畑の神さん』と呼ばれている『大将軍神社』に。次にうちの村の鎮守さまである八幡神社に。だれにも会いません。「裏山に登って愛宕さん・祇園さんの社にお参りしようか」と道子さんと相談しましたが「孫たちが登るときにしよう」ということでやめました。
そこへ萌ちゃんの一家がやってきて「伽耶院に初詣でするけど行かないか」と誘ってくれましたが、「もうご近所の神さんですませたから」とこたつにあたって、年賀状を書き足したりして一日がおわりました。
いままで『初詣で』というと力がわいてきて、あちこちに出掛けていました。伽耶院には特別なお願いもしました。まだ「どこで田舎暮らしをはじめるか」まったく不明だった2006年の元旦は、なぜか神戸の家からわざわざ三木の片田舎のお寺までやってきて、お参りしました。一願成就のお札には「田舎暮らしができますように」と書きました。
それから一月・二月・三月と北は福知山線の谷川駅近くから丹波篠山、西脇、小野、三木、神戸の道場付近、三田、淡路の一宮町など数十軒の空き家を見てまわり、結局三木の田舎に小さな家を建てて、12月はじめに引っ越しました。ですから三木に住むようになってからも伽耶院にはよくお参りしました。それなのに。
別に体調がよくないわけでもない。特別な用事があるわけでもない。特に寒いわけでもない。行ってもかまわない。でも結局行かなかった。「としをとる」ってこういうことなんですね。
今年は誕生日がくれば、ぼくが75歳、道子さんが71歳、我が母妙子さんは99歳。背伸びしたり、無理したり、サボったりしないで、「老い」の声に耳を傾け、素直に「老い」と向き合って生きていけたらと願っています。
あるのではないでしょうか。即ち、神仏はあなたの祈る心の中におわすのです。暖かくなったらいつでもどうぞ伽耶院の諸尊にお参り下さい。
木漏れ日の 落ち葉の道を 歩む子に
石の仏が 微笑む みてら
菜根行者
壬辰正月十七日
手を合わせると、どこにでも心の中に神や仏がおられるというあなたさまのお話、よく伝わります。街に住んだのでは雑踏や広告ばかりが見えて、手を合わせる気持ちになりませんでした。ところが田舎に住んでみると、小さな祠や無人のお堂がいたるところにあり、手を合わせるという行為を身近に感じるようになりました。何の抵抗もなく素直に自然に手を合わせる気持ちになるのが不思議でした。去年の6月、集団で西本願寺にお参りすることがあり、昼休みにお寺の前の路地を歩いてみました。昔からの街・京都の路地には、手を合わせる祠とか無人の小さいお堂がいっぱいあります。
「そうなんだ。街に住む人も、昔は手を合わせて暮らしていたんだ。新しい街ではそれが消えてしまったんだ。だから殺伐とした事件が起こる気がする」
田舎には祠やお堂がたくさん残っています。そしてかたちだけでなく、こころが残っている気がします。
「入山料:草引き10本」と書かれた伽耶院に、またお参りするのをたのしみにします。
ありがとうございました。
うらのやぶ より