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いま草むらではチガヤの花=『ツバナ』がいっぱい生えて、綿毛のようなものを飛ばしています。この間から散歩してこの『ツバナ』を見るたびに、若芽を子どもの頃食べたのを思い出しています。そしてあの頃これを何と呼んでいたか思い出そうとするのですが、『ツンドラ』という音しか浮かびません。
山陰の鳥取県中部地方ではツバナを『ツンドラ』と呼んだかもしれないし、ぼくの記憶間違いかもしれません。「ツンドラ」というと社会の時間に習う言葉で、「永久凍土の草原」みたいなところです。どうしてツバナをツンドラと呼んだのでしょう。
ぼくは昭和20年(1945年)の敗戦のとき7歳でした。敗戦で多くの人が外地から引き揚げ、みんな食べるものが乏しく飢えていました。田舎に住んでいたぼくたち非農家の者もひもじい思いで生きていました。だから自然にあって食べられるものを何でも食べました。都会ではたくさんの子どもや大人が餓死しました。
ツンドラがどんな味だったかいま食べてみる気はしません。食べた記憶だけが残っています。