古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

 佐野洋子の『死ぬ気まんまん』 を読みました。

2015年01月15日 04時14分36秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 作家の佐野洋子(『100万回生きたねこ』で絵本作家として知られる)は72歳で亡くなっています。彼女が乳がんで余命2年と宣告されてから書いたエッセイが『死ぬ気まんまん』です。
 〈がん闘病記〉は山ほどあり、ときどき図書館で借りて読みます。癌と告げられ、人は「怒涛のようなこころの遍歴」と向き合います。それをどのように伝えるか。人さまざまです。印象に残っている本も少なくありません。ジャーナリスト・千葉敦子の『死への準備日記』には強さを、作家・中野孝次の『ガン日記』にはどこか従容と受け入れる寛容を、女医・小倉恒子の『女医が乳がんになったとき』には<意識の広がりと連帯>を感じました。みんなが物凄くマジメに生きようとしてるんだなー、と感心しました。
 で、佐野洋子の『死ぬ気まんまん』から彼女の「痛快な見方」をいくつか引用してみます。


 私はガンになっても驚かなかった。  二人に一人はガンである。 ガンだけ威張るな。もっと大変な病気はたくさんある。 …… ガンは治る場合も大変多い。治らなければ死ねるのである。皆に優しくされながら。私はウツ病と自律神経失調症の方がずっと苦しくつらかった。 ……  私はガンの人には同情できないが、神経系統の病気の人には心優しくなる。  ……  私は闘病記が大嫌いだ。それからガンと壮絶な闘いをする人も大嫌いだ。ガリガリにやせて、「現場で死ぬなら本望」と(レポートなんかする)人も大嫌いである。

 私は死ぬのなんか何とも思っていないのに、余命平均二年と言われたので、すっかりその気になって言いふれまわった。すると周りが、私の周りの世間がセーターを裏返したように優しくなったのである。これを使わせていただいて何が悪かろう、と実に醜い心が、私の心の扉をたたくのである。優しいヒサちゃんは、筑前煮や、竹の子ごはんや、おいしいゆばとかをほとんど毎日とどけてくれる。 …… ただの麻雀友達なのに、「今、西友にいるけど、何か買って行くものない?」 でも私は、カレンダーに×をつけていった三億円犯人みたいに、この世から解放されるのを待っているのだ。

 先日、先生が何か注射してくれたら、頭が一日で、ツルッパゲになってしまった。 …… 帽子を買ってもらったりしたが、私は帽子が似合わない。ので、家の中にいる時はツルッパゲのまんまにした。ツルッパゲになってわかったが、私は頭の形がいいのである。そして、ツルッパゲになった私を見ると、私は初めて、「私」そのものになった気がした。
 そして気が付いた、私は顔だけブスなのだ。若い時、私は自分の手と足にほれぼれしていた。全体から見ると顔の面積などいくらでもないのだが、女は顔が命なのは70年間じっくり味わった。私は利口ではないが、すごく馬鹿というわけでもないと思っていた。しかし、私は今度生まれたら「バカな美人」になりたい。この間、鏡で顔を見て、「あんた、その顔でずっと生きてきたんだね、健気(けなげ)だったね、偉かったね」と言ったら涙が出て来た。自分の健気さに。
 

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