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古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

9月の土手の草刈り完了!

2010年09月12日 01時41分41秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 写真は我が家の畑から村の墓地のほうを撮ったものです。村の墓地の端のほうに、この畑の地主さんの墓があります。その下の二段になった土手はぼくがナイロンコードで刈りましたから、刈りたての坊主頭みたいに写っています。手前の落花生畑と大豆畑の先には円筒形の黒いものがありますが、これには先日コープ瑞穂農園でもらった堆肥が入っています。
 家のすぐ近くでこんな広々とした畑をつくることができるので、畑に出るとうれしくなります。まわりの低い山々、日当たりのいい畑、適度な距離に見える田舎の家家、この地を開墾し、何百年も営々とつくってこられたこの村の先祖のお百姓さんに感謝したくなります。そこで去年あたりから畑につながる墓地の土手の草を刈るようにしています。十数本のクヌギ林と小高い墓地は、5年前不動産屋さんに案内されてはじめてこの地を見に来たときからお気に入りの景色です。
 コイモを一株試し掘りしてみました。今年は『石川早生』にしましたが順調に育っています。でも掘るのはまだ早い。ひと月先がいい。先日落花生を試掘しましたがこれも9月下旬がいい。40センチ間隔に植えた大豆、50センチ間隔の黒大豆はどちらもサヤがしっかりついています。間隔をとるとそれに見合う木になるので感心します。
 道子さんは株間が広いとムシの点検をしやすいし、来年はもっと広くてもいい、といっています。でもムシ防除は大仕事で、道子さんはアセビやトウガラシの煎じ薬を散布し、葉や茎を調べて卵や幼虫をとっています。特に小豆のムシは絶望的です。有機無農薬農業をやっている人でも「小豆だけはつくりたくない」といいます。例外なくどのサヤにもムシが入ります。その中でムシの食べていない小豆だけを収穫するのです。それでも有機の小豆は、小豆そのものがなんともいえずうまい。だからなんとしても収穫したい。
 今年は卵を産み付ける蛾を防ぐために、4ミリの目の防風ネットを張ろうか、蝿トリ紙をぶら下げて蛾を捕まえようか、誘蛾灯を設置できないかと新手の防除策を考えたのですが結局従来の道子さんの努力にゆだねられています。スンマセン。
 前回の畝間潅水は8月25日にしました。あれから17日になります。台風の余波でわずかなお湿りが一度ありましたが畑はカラカラ。きょうは夕方畝間潅水をします。
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アニヤ ハルテロス のLaudate Dominum を聞いてます。

2010年09月09日 03時05分58秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
「モーツアルトの教会用音楽 Laudate Dominum (K.339)を you tube で見つけて、〈お気に入り〉に入れてときどき聞くようになった」と以前書きました。そのときはエマ・カークビーとルチア・ポップの歌うのがいいと紹介しました。清浄でありながら情感をゆさぶるこの曲は、多くのソプラノ歌手が歌っています。キャスリーン・バトル、エディタ・グルベローヴァなど一流のソプラノ歌手だけでなくウイーン少年合唱団の少年の歌もアップされ、どれもいい。
 その中でドイツの若手ソプラノ歌手アニヤ・ハルテロスの歌う〈Laidate Dominum〉はすごい。生意気に音楽評論をするつもりはありませんが、興味がおありでしたら彼女の声を一度you tubeで聞いてみてください。彼女のことは日本ではあまり知られていませんが、バレーボール選手のように大柄で、ステージに立つだけで迫力があります。体は楽器であることをあらためて認識します。ハルテロスの声のなにか(X)が聞く人の魂を鷲づかみします。
 写真はきのうブログで紹介した鳥取県の山奥の町・智頭町の板井原集落のメインストリートです。江戸時代のままの地割で谷川から引く小川が横を流れています。このまま飲めるほどの清流です。道幅は1メートルちょっとで車というものが通ったことはありません。
 でも谷川沿いの集落の向う岸には車の通る道があり、道はさらに山奥に入ってどこかに抜けています。村はずれには橋があって家家の裏側に車の通る道が回り込んでいます。つまり昔からのメインストリートは車が通れませんが、家の裏庭に車の入るルートはあるのです。そうでなければいくら自給自足的生活といってもこの現代にあって生きていくのは困難です。
 智頭の街道から細い道を車で登ってきても、特別な作物も貴重な建造物も名勝もありません。あるのはまわりの緑と清流だけです。このは数年で人が住まなくなり、廃墟となるでしょう。もしだれか気が向いて住むようなことがあっても、それは昔からのとは無縁です。
 村人は無言ですが、みすぼらしい最期を人目にさらしたくない、従容として静かに村の最期に立ち会おうと思っておられるのではないか。
 夏草茂るわずかな家家の菜園を見ながら、訪ねたことをすまないと思いました。
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板井原で考えました。

2010年09月08日 05時44分15秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 鳥取県の山奥の町・『智頭町』の観光パンフレットには、『板井原』集落のことを〈伝統的建造物群保存地区 …… 日本の山村集落の原風景(昭和30年代)が残る、全国的にも稀少な集落です。智頭駅から車で約15分〉と書いてあります。また〈村内の主要道路は幅員6尺ほどの狭い道です。未だかつてその集落内に車が入った歴史がなく、昔ながらの地割り(土地の形状)がそのまま残っています。〉と説明してあります。
 旅のガイドブック『るるぶ』には「車一台がやっと通れるくらいの細い山道を進んでいくと、静寂に包まれた緑のある風景に出くわす。かつて養蚕で栄えた板井原集落は日本の原風景を思い起こさせてくれる場所だ。」とあります。車で村入口の駐車場まで登り、そこからは徒歩で集落に入ります。
 この写真は村内の主要な道路です。6尺もありません。あぜ道ほどの幅です。この道を歩いていたら向こうから70歳くらいの男性が鍬をかついで来られました。写真に見える家の方かと思い、「この道はお宅への個人の道ですか」とお尋ねしたら、「いいえ、ずっと向うに行ける村の道です。通り抜けできます。」といわれました。人なれした感じでした。
 集落の奥のほうまで行って引き返してきたとき、ちょうどこのあたりで70歳くらいの男性とばったり出会いました。トランクス一枚で、背中には膏薬を貼って、濡れた手ぬぐいをぶら下げて、家の前の清流から上がってこられたところでした。男性はちょこんと頭を下げて家に入っていかれました。私生活を覗き見してしまったような後ろめたい気持ちが残りました。
 このように何人かの『観光客』が、毎日村の『主要道路』を歩き、写真を撮り、『野土香』(のどか)という喫茶店に立ち寄り、あるいは『火間土』(かまど/土・日だけ営業)という食堂で水車でついたお米のご飯を炊いて食べます。ぼくたちも野土香に立ち寄ってアイスコーヒーを飲みました。
 集落の古い家にはそれぞれ老人が一人か二人で暮らし、あるいは空き家になっているでしょう。夏草の茂るわずかな菜園と腰を下ろすのをためらうほど雑然とした縁先を見、道ばたの清流を見ていると、ここを訪ねたのがわるかったような気持ちになりました。
『智頭宿』と『板井原』集落を訪ね、『吉岡温泉』に一泊する旅に出て、いろんなことを考えました。また書きます。
 
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コープ瑞穂農園の堆肥をもらいました。

2010年09月03日 02時57分15秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
「9月になれば一般の方にもお分けする」と聞いていましたので、コープ瑞穂農園に堆肥をもらいに行きました。イチゴの畝をつくるのにたっぷり堆肥をつかいたいのです。軽トラック用に塗装コンパネでつくった枠を取り付け、農園の巨大なパワーシャベルに一杯をドサッと入れてもらいました。でもシャベルが大きすぎてはみ出してしまい、コンクリートの床に落ちた堆肥を雪掻き用シャベルで積みました。
 さて畑に持ち帰った堆肥を、二つの円筒形の堆肥入れに運ばねばなりません。軽トラックを土手のなだらかな部分に乗り入れ、立方体になる袋に入れて畑の畝間を引きずって運びました。(写真の青いプラスチック容器では少ししか運べないので変更しました)前回まで堆肥をもらうときは、コンクリートの床に山積みにしてもらった堆肥をビニールのゴミ袋20袋に入れ、それを軽乗用車に積み込んで運びましたから、軽トラックをつかうようになって格段の進歩です。
 9月の草刈りにも着手して、まず北側の土手を刈りました。北側は稲作の田んぼですから土手に水がしみて草がよく伸びています。他の三方の土手は、肩のところに今年の冬リコリス(曼珠沙華/彼岸花)を植えましたから9月10日頃までに草を刈っておかねばなりません。今年はまだ咲きませんが。刈った草は一日干してから燃やし、草木灰をつくります。それ以上干すと炎を上げて燃えてしまい、灰になりません。
 それにしても雨が降りません。畑は先月の25日に畝間潅水をしたので、表面は固くても10センチも掘れば土は湿っています。畑はいいとして問題は裏山です。手がまわらないので裏山に入っていませんが植えた木々は青息吐息でしょう。申し訳ない。裏山には農業用水は来ないので水道水を撒くことになりますが、少し出しっ放しにします。
 そうだ。裏の愛宕さんに登って雨乞いの祈祷をしてみよう。
 
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ナスビを焼きながら。

2010年09月01日 00時41分20秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 太陽が西に傾き、家の影でウッドデッキが日陰になると、ぼくは携帯コンロを低い手すりに置きます。写真のように段ボールで風防をして、西日の当たる田舎の景色を眺めながら、軍手をはめてナスビを焼くのです。そばの高い花は『紅葉葵』で、いま花をつけています。
 のんびりナスビを焼くのはそれなりにたのしい仕事で、きのうも15本のナスビを焼きました。そんなに焼いても食べるのは三人の家族ですが、たっぷり食べて、翌日の味噌汁の具にもしたりします。
 畑仕事は尽きません。きのうはまず胡麻の切り株を処理しました。胡麻の切り株は細い根が塊になっていますから焼却するまえに土をはたき落とす必要があります。ブロックを一つ畝に置いて、それに切り株をたたきつけて土を落とします。畝間の大きな草を三角ホーで削り、切り株といっしょに一輪車で運び、一日乾かしてから焼きます。胡麻の畝には草木灰と牡蛎殻の有機石灰を撒き、元肥を入れて耕運します。その畝にびしょっびしょになるまで水をかけ、黒マルチを掛けます。これで中の温度が上がり、ムシの卵が死滅して防虫になります。醗酵するようにヌカと乾燥鶏糞を入れてさらに温度を上げると効果的です。黒マルチなので草も生えませんからマルチをめくるとすぐに秋野菜を植えることができます。
 二十五日に畝間潅水をしたのできょうで六日目ですが、連日暑いので表面はカラカラです。まだ地中には湿り気がありますが、あと5日もすれば土の中もかなり乾くでしょう。しかし水の出口にジャガイモを四畝植えたので今度は畑全体を水びたしにする畝間潅水はできません。45ミリのホースで部分潅水をします。畝の土を掘って地中の乾き具合を見ながら走り水をします。
 それにしてもひと雨ほしいなー。 
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