妙子さんは肉や魚が好きです。でもこちらの魚屋には新鮮な魚が並んでいない、と神戸に住みはじめた頃から思っています。六十四歳まで暮らした山陰の行商の魚屋さんがいちばん新鮮な魚を持ってくると信じ込んでいます。そこで道子さんと月に一度くらい明石の『魚の棚』に行って新鮮な魚を仕入れてくることにしました。
きのうも山陽道で垂水ジャンクションに行き、第二神明北線の長坂で下りて大蔵海岸に出て『魚の棚』に行きました。ちょうど昼網があがったところで海老はピチピチはねるし、蛸は体をくねらせています。味に敏感な妙子さんは、新鮮な煮魚にめずらしくご飯をおかわりしました。
炭焼き小屋にて (3)
「柿田さん、朝飯の用意ができました。目が覚めましたか」
襖のむこうで勇作が控え目に声を掛けた。勇作に案内されて裏の小川で洗顔し、謙三は食卓についた。
「田村さんはお元気そうですが、お幾つになられたんですか」
「八十歳です。長生きしました」
「きのう海野さんが、奥さんは八十八歳で亡くなられたと話しておられましたが」
「家内はわたしより八歳年上です。敗戦後は兄貴が戦死したら、その嫁が年下の弟といっしょになったりしたもので」
「田村さんもそうだったんですか」
「いいえ、わたしは故郷の東京に復員して、しばらくしてから見ず知らずのこの谷に入ってきました」
五十八年前に死ぬつもりでこの谷に入ってきた、といった勇作のことばを思い出したが、それにはふれないでおいた。
朝食後、謙三は散歩してくるといって外に出た。耕土改善はしたけれど過疎のため雑草地になってしまった田畑が、あちらにもこちらにも見える。
この谷は標高が高い。気温が低い。水も冷たい。両側に山が迫り日照時間が短い。米をつくりにくいところだ。村人は一人去り、一人死にして、とうとう田村勇作の家一軒になってしまったのであろう。
滅びゆく集落の雰囲気が、謙三には心安らぐものに思えた。
この谷を登り、山道のおわったところで茂みに入り込み、見つかりにくい場所で死ぬ。
どう死ぬか。家を出たとき、死ぬ方法は考えなかった。死ぬ気ならどんなふうにでも死ねる。ここが自分の死に場所だ、という地点に辿り着けば、自(おの)ずからその方法が見えてくる。そう簡単に考えていた。
しかし東尋坊でとび下りようとしたときは足がすくんで体が動かなくなった。大山(だいせん)の森に入って木にぶら下がろうとしたときは、いかにも折れそうな枝に紐を掛けた。手で引っ張っただけで枝は折れた。
死のうと決めた自分にいいわけするために、死ぬ真似ごとをしている。自分のなかのなにが死をためらわせているのだ。死はもてあそぶものではない。
家を出てからの日々、車を運転しながら堂々巡りするそんな思考をもてあましていた。ほんとうに死んだら、こんな深刻ぶった思考にけりがつく。
きょうはこの谷を登っていこう。
謙三はきのう立ち寄った分教場のあたりを見下ろして、タバコに火をつけた。
車の音が聞こえた。海野善導の車のうしろにもう一台、軽トラックが登ってくる。荷台に積んでいるのは棺のようだ。
「よう眠れましたかな」
善導は車を降りるなり明るい調子で声を掛けた。
「はい、鶏の声で目が覚めて、なつかしかったです」
善導は軽トラックの若者に指示して棺を座敷に運ばせた。しばらくして謙三が座敷に上がってみると、田村八重の遺体は棺に納められていた。
棺の蓋をするまえに、勇作は一枚の写真を遺体の胸に置き、手を合わせた。
善導が写真をのぞき込んだ。
「健太郎さんの写真じゃありませんか」
「はい。樫村健太郎伍長の写真です。わたしの班の班長をされておりました」
敬礼するような力ある声で勇作がいった。
「なんでまた……」
善導が驚いて顔を上げた。
「八重はこの写真を、わたしに見せたことはありません。タンスに大事にしまっておりました。あの世では樫村健太郎伍長と仲良く暮らせるように願っております」
「なんでまた……」
もう一度善導がいい、勇作を見た。勇作は善導を見てかすかにうなずいた。
「そうですか」
善導は八重の胸に置かれた写真に見入った。
「そうだったんですか」
勇作が出したお茶を、善導はおしいただくように飲み、しずかな声でいった。
「健太郎さんには子供の頃かわいがってもらいました。正義感の強い人で、弱い者をかばって、立派な人でした。わたしら子供は、大きくなったら健太郎さんみたいな人になる、と憧れておりました。お八重さんと健太郎さんはずっと仲良しで、お八重さんがいつも影みたいにくっついとりました」
善導はことばを切って勇作を見た。
「戦争に負けて出征しとった者がぽつぽつ還(かえ)ってきた頃に、健太郎さんの戦死の公報が届きました。それでもお八重さんは気丈でした。二人の仲が良かっただけに後追いするんじゃないかと村の者は心配しましたけど。その頃でしたな。勇作さんがこの村に来られたのは」
「はい、樫村健太郎伍長の遺品を八重さんに届けてから、山の中に入って死ぬつもりでした」
謙三はびっくりした。
「どうして死ぬんですか。せっかく生きて日本に帰れたというのに」
謙三の問いにはこたえず、勇作は善導を見たままことばをつづけた。
「樫村伍長は八重さんに伝えてくれといわれました。『いいか。八重。生きるのだぞ』というのが言付けです。この谷に上がってきて八重さんに言付けを伝えたとき、この人は死ぬ気だ、と思いました。わたしは自分が死ぬのを棚上げして、八重さんに付き添って生きてきました」
善導のお経のあと棺を三人で玄関に運んだ。棺をリヤカーに積んで墓地に行こうとしたとき、下からバイクが上がってきた。
こうしたとき沈黙の苦手な善導はまっ先になにかしゃべるのだが、さきほど勇作の話を聞いてから寡黙になっていた。謙三のほうが気をつかった。
「郵便配達でも来たんでしょうか」
善導も勇作も首をかしげ、バイクを目で追った。バイクは分教場のまえから地道に入り、勇作の家の庭先まで上がってきた。
バイクを下りたのは女だった。ヘルメットをとって頭を振り、髪をなびかせた。見たところ若い女だったが、生気が乏しく年をとっているようにも見えた。
「どなたが亡くなられたんですか」
女の声は澄んでいた。
きのうも山陽道で垂水ジャンクションに行き、第二神明北線の長坂で下りて大蔵海岸に出て『魚の棚』に行きました。ちょうど昼網があがったところで海老はピチピチはねるし、蛸は体をくねらせています。味に敏感な妙子さんは、新鮮な煮魚にめずらしくご飯をおかわりしました。
炭焼き小屋にて (3)
「柿田さん、朝飯の用意ができました。目が覚めましたか」
襖のむこうで勇作が控え目に声を掛けた。勇作に案内されて裏の小川で洗顔し、謙三は食卓についた。
「田村さんはお元気そうですが、お幾つになられたんですか」
「八十歳です。長生きしました」
「きのう海野さんが、奥さんは八十八歳で亡くなられたと話しておられましたが」
「家内はわたしより八歳年上です。敗戦後は兄貴が戦死したら、その嫁が年下の弟といっしょになったりしたもので」
「田村さんもそうだったんですか」
「いいえ、わたしは故郷の東京に復員して、しばらくしてから見ず知らずのこの谷に入ってきました」
五十八年前に死ぬつもりでこの谷に入ってきた、といった勇作のことばを思い出したが、それにはふれないでおいた。
朝食後、謙三は散歩してくるといって外に出た。耕土改善はしたけれど過疎のため雑草地になってしまった田畑が、あちらにもこちらにも見える。
この谷は標高が高い。気温が低い。水も冷たい。両側に山が迫り日照時間が短い。米をつくりにくいところだ。村人は一人去り、一人死にして、とうとう田村勇作の家一軒になってしまったのであろう。
滅びゆく集落の雰囲気が、謙三には心安らぐものに思えた。
この谷を登り、山道のおわったところで茂みに入り込み、見つかりにくい場所で死ぬ。
どう死ぬか。家を出たとき、死ぬ方法は考えなかった。死ぬ気ならどんなふうにでも死ねる。ここが自分の死に場所だ、という地点に辿り着けば、自(おの)ずからその方法が見えてくる。そう簡単に考えていた。
しかし東尋坊でとび下りようとしたときは足がすくんで体が動かなくなった。大山(だいせん)の森に入って木にぶら下がろうとしたときは、いかにも折れそうな枝に紐を掛けた。手で引っ張っただけで枝は折れた。
死のうと決めた自分にいいわけするために、死ぬ真似ごとをしている。自分のなかのなにが死をためらわせているのだ。死はもてあそぶものではない。
家を出てからの日々、車を運転しながら堂々巡りするそんな思考をもてあましていた。ほんとうに死んだら、こんな深刻ぶった思考にけりがつく。
きょうはこの谷を登っていこう。
謙三はきのう立ち寄った分教場のあたりを見下ろして、タバコに火をつけた。
車の音が聞こえた。海野善導の車のうしろにもう一台、軽トラックが登ってくる。荷台に積んでいるのは棺のようだ。
「よう眠れましたかな」
善導は車を降りるなり明るい調子で声を掛けた。
「はい、鶏の声で目が覚めて、なつかしかったです」
善導は軽トラックの若者に指示して棺を座敷に運ばせた。しばらくして謙三が座敷に上がってみると、田村八重の遺体は棺に納められていた。
棺の蓋をするまえに、勇作は一枚の写真を遺体の胸に置き、手を合わせた。
善導が写真をのぞき込んだ。
「健太郎さんの写真じゃありませんか」
「はい。樫村健太郎伍長の写真です。わたしの班の班長をされておりました」
敬礼するような力ある声で勇作がいった。
「なんでまた……」
善導が驚いて顔を上げた。
「八重はこの写真を、わたしに見せたことはありません。タンスに大事にしまっておりました。あの世では樫村健太郎伍長と仲良く暮らせるように願っております」
「なんでまた……」
もう一度善導がいい、勇作を見た。勇作は善導を見てかすかにうなずいた。
「そうですか」
善導は八重の胸に置かれた写真に見入った。
「そうだったんですか」
勇作が出したお茶を、善導はおしいただくように飲み、しずかな声でいった。
「健太郎さんには子供の頃かわいがってもらいました。正義感の強い人で、弱い者をかばって、立派な人でした。わたしら子供は、大きくなったら健太郎さんみたいな人になる、と憧れておりました。お八重さんと健太郎さんはずっと仲良しで、お八重さんがいつも影みたいにくっついとりました」
善導はことばを切って勇作を見た。
「戦争に負けて出征しとった者がぽつぽつ還(かえ)ってきた頃に、健太郎さんの戦死の公報が届きました。それでもお八重さんは気丈でした。二人の仲が良かっただけに後追いするんじゃないかと村の者は心配しましたけど。その頃でしたな。勇作さんがこの村に来られたのは」
「はい、樫村健太郎伍長の遺品を八重さんに届けてから、山の中に入って死ぬつもりでした」
謙三はびっくりした。
「どうして死ぬんですか。せっかく生きて日本に帰れたというのに」
謙三の問いにはこたえず、勇作は善導を見たままことばをつづけた。
「樫村伍長は八重さんに伝えてくれといわれました。『いいか。八重。生きるのだぞ』というのが言付けです。この谷に上がってきて八重さんに言付けを伝えたとき、この人は死ぬ気だ、と思いました。わたしは自分が死ぬのを棚上げして、八重さんに付き添って生きてきました」
善導のお経のあと棺を三人で玄関に運んだ。棺をリヤカーに積んで墓地に行こうとしたとき、下からバイクが上がってきた。
こうしたとき沈黙の苦手な善導はまっ先になにかしゃべるのだが、さきほど勇作の話を聞いてから寡黙になっていた。謙三のほうが気をつかった。
「郵便配達でも来たんでしょうか」
善導も勇作も首をかしげ、バイクを目で追った。バイクは分教場のまえから地道に入り、勇作の家の庭先まで上がってきた。
バイクを下りたのは女だった。ヘルメットをとって頭を振り、髪をなびかせた。見たところ若い女だったが、生気が乏しく年をとっているようにも見えた。
「どなたが亡くなられたんですか」
女の声は澄んでいた。