古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

『炭焼き小屋にて』 (4)

2010年09月16日 04時24分43秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 13日の夕方畝間潅水をしたら、翌朝には水たまりもなくなり、水は土に吸い込まれたように見えました。でも畑の畝間を歩くと、一日おいたきのうになってもまだ足が数センチめり込むところがあります。猛暑日がつづくようでもやはり秋です。こんなに乾かないのでは、いくら雨が降らなくてももう畝間潅水はできません。
 道子さんが、猛暑を避けて例年より遅く大根の種蒔きをしました。ホームセンターの顔見知りの人が「ベテランでもこの猛暑では秋ジャガイモの植え付けに失敗してますよ」といってましたが、我が家のジャガイモは芽を出しました。

   炭焼き小屋にて               (4)

「妻が亡くなりました。これから埋葬しに行きます。棺を墓場に運ぶのを手伝ってもらえますか」
 勇作がこたえ、女は埋葬についてきた。埋葬をおわって座敷の戻ると、善導がまたお経をあげた。勇作のうしろに謙三と女はすわり、神妙に頭を垂れた。
 勇作が煮物くらいしかできないけど昼飯を食べていけといい、女は手伝いますと勇作について台所に行った。
 食事のあと、勇作が謙三にもう一晩泊まっていけとすすめた。謙三はお願いしますと頭を下げた。女が、わたしも泊めてくださいとたのんだ。
「東京から来ました神埼紫織(しおり)です。二十三歳になります」
 女は自分を紹介した。
 善導は帰り、勇作と紫織は、台所でなにかしゃべりながら晩飯の用意をした。無口そうに見えたあの紫織となにをそんなにはなしているのだろう、と謙三は不思議だった。
 ふもとの禅祥寺に帰った善導が、わたしも今夜泊めてもらおう、とまた軽自動車で上がってきた。
「勇作さんとじっくり話したくて」
「わたしも善導さんに話しておきたいことがあります」
 晩飯のあと囲炉裏を囲み、勇作が一升瓶を出して湯呑みに酒をついでまわした。
 紫織は死ぬためにこの谷に上がってきた、と謙三は直感していた。しかしだれもそれを口にしないので黙っていた。少し酒が入ったところで紫織のことを切り出した。
「勇作さんは、はじめてぼくを見たとき、ぼくの自殺願望が見えるっていいましたね。ぼくにほんとにその気があるかどうかは別にして。それなら紫織さんの自殺願望だって見破ってるんでしょ。ぼくにわかったくらいだから」
 紫織は驚いた顔をしなかった。
 勇作は謙三を見たがなにもいわなかった。かわりに口をひらいたのは善導だった。
「紫織さんが死に場所を求めてここに上がってきたことは、一目見ればだれだってわかります。しかし、ずかずかと、ひとのこころに踏み込んで、きいていいこととわるいことがある。死ぬ気でここにきたあなたが、そんなこともわからんのですか」
 謙三はたしなめられたと思って、むっとした。
 おれだって死ぬ覚悟でこの谷に上がってきた。きのうは自分がおれにきいたくせに、なぜ紫織にきいてはいけないというのだ。紫織が死のうとおれが死のうと、死に軽重はないはずだ。
「たしかにぼくは、死ぬことを考えてこの谷に入ってきました。人間はかならず死にます。そして死ぬのは勇気のいることです。人生のいちばん大きな出来ごとです」
「そんなわかりきったことしかいえんのですか。そんなことじゃあなたは死ねません。死ぬのがどんな大変なことかわかってるんですか」
「死んだことのない者にほんとの大変さがわかるわけないでしょ。あなただってぼくだって。しかし人には死なねばならんことがある」
「それならあなたは、紫織さんの話を聞いて納得したら、死なせてあげるわけですな」
「ええ、そりゃ死ぬしかないと思ったら、死んだらいいと思います」
「あなたはどうなんですか。そりゃ死ぬしかない、と人を納得させられますか」
「人には言えん事情がある。話してもわかってもらえないから死ぬしかない」
「だったら言わせてもらおう。あんたの死ぬ気はまやかしだ。本気で死ぬつもりはない。死ぬという気分にひたってるだけだ」
 謙三の目の色がさっと変った。
「なにを! えらそうに言いやがって。そんならおまえは死ぬ覚悟ができているのか。人には引導をわかすくせに、自分は死ぬ覚悟があるのか」
「わたしは死ぬ覚悟はできていません。そして見たところ、あなたも死ぬ覚悟はできていません」
 善導はきっぱりいい、気色ばんでにらみつける謙三から視線をそらさなかった。善導の目には謙三を哀れむ色が見えた。それがさらに謙三の怒りを燃え上がらせた。
「田舎坊主! おまえにおれのやり切れん気持ちがわかるか。生き甲斐も希望も消えて、都会の砂漠で追い詰められとるおれの気持ちがわかるか」
 謙三は憤怒にふくれあがって、なにか投げつけるものはないかと部屋を見回した。善導はその空気を感じても動じなかった。
「柿田さん。死ぬのは自分のためです。でもあなたはなにかに腹を立てて、腹いせに死のうとしている。なにに腹を立ててるんですか。そんなくだらんもののために、あなたは死ねるんですか」
「真面目に働いてきたおれが、なんでこんな目にあわなきゃならんのだ」
 謙三は善導をにらみつけ、勇作と紫織を見た。勇作も紫織も謙三から目をそらしていなかった。
「なんでおれだけがリストラされるんだ。なんで家族が出ていくんだ。なんで……」
 ふいに込み上げてきた嗚咽に謙三はむせんだ。謙三が泣くのをだれもなだめなかった。無言で謙三の気持ちのしずまるのを待った。
 しばらくして勇作がおだやかにいった。
「柿田さん、あなたは都会に住んでいるから、いまのように自分を出してこなかった。もし自分をさらけ出したとしてもだれも振り向いてくれない。遠巻きにして見ているだけ」
 謙三はうなずき、死のうと思うに至った話をした。勇作、善導、紫織は同情するでもなく冷笑するでもなく黙ってきいていた。それが謙三には心地よかった。
 会話が途切れた。勇作が火箸で囲炉裏の燃えかすをつつき、新しく木をくべた。
 紫織が口をひらいた。
「わたしが死のうと思ってここに上がってきたのが、すぐわかってしまったんですね」
 善導がうなずいた。
「一目見て、重い石をかかえて生きてる人に見えました」
「そうですか。わたしは、生きていてもどうしようもないから、だれにもなんにも言わないで死ぬつもりでした。でもなぜかわたしの目の前にこんな舞台が回ってきました。わたしの話を聞いてください」
 紫織はうつむいたまましずかにいった。
「わたしは二十三歳までやっと生きてきました。でももう、生きるのに疲れました」
 さきほど泣いて気分が軽くなったのか謙三は口が軽かった。
「二十三歳といえば若いじゃないですか。わたしなんか、会社に入ってばりばり仕事をしてるときでしたよ。人生これからって張り切って」
 紫織は火を見つめたまま黙っていた。
「死にたいほどの失恋でもしたんですか」
「謙三さん、黙ってききましょう」
 勇作が謙三を制した。
 みんなが沈黙すると、囲炉裏にくべた木のはぜる音だけがした。
「紫織さん、ひとはだれでも、話したくても話せないことをかかえて生きています。無理に話すことはないんです」
 紫織の向かいにすわっている勇作が囲炉裏の火越しに語りかけるように話した。
 紫織は勇作をまっすぐ見つめて、やがて火に語り掛けるように話した。

  

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