古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

動物ネットで囲いました。

2020年07月15日 21時54分48秒 | 古希からの田舎暮らし
 裏山の空き地に、道子さんはほんの少し野菜を植えています。その野菜をねらって、野兎が食べに出てきます。「やっと苗が生長したな」と思ったら次の日には野兎が食べて、野菜は消失しています。
「野兎」は家で飼ってるような兎ではありません。実にすばしっこい。捕まえることはできません。駆除しかない。
でもネットを張って野菜を守ることはできます。
 道子さんに頼まれていた裏山の小さい畑保護のネット囲いを、今日つくりました。

 2メートルの鉄筋を柱にして、1メートルの動物ネットを張り巡らしました。竹を伐ったり、針金で竹をとめたり、ネットを張ったり、結構時間のかかる仕事で、夕方までかかりました。
 ここにはアライグマは来ません。野菜は見向きもしないのです。アライグマのねらうのは、まず大好きなイチゴ/ときどきトウモロコシ/甘いスイカ/果物類/干し柿/などです。黒豆なんか見向きもしません。
 裏山の空き地は陽当たりがあまりよくない。何を植えても出来はよくない。しかし植える手間と出来栄えをいとわなければ、野菜づくりをたのしめます。
 このネット囲いの中は、野兎フリーになりました。イノシシがやってくればアウトです。でもイノシシは人間のこんな細工をきらいます。ワナでも鉄の臭いをかいで、避けてとおります。裏山の畑はイノシシも手を出さないでしょう。
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今日は裏山の『祇園さん』にお参りする日でした。

2020年07月14日 21時22分49秒 | 古希からの田舎暮らし
「今年から裏山の〈祇園さん/愛宕さん〉は7月14日にまとめてお参りすることになった」と村の人にきいていたのですが、どうもまだ決まってないみたいです。

 とりあえず14日の今日は、祇園さんにお参りしました。しかし裏山の山頂には登りませんでした。
「もし裏山の参道を祠まで登るようなら今年はお参りをやめよう」と道子さんと話し合っていました。昨日すごく雨が降って粘土の参道はズルズルです。竹につかまって登ろうとすると、脚をとられて危ない。下りはさらに危ない。滑って腰を打ちます。手を突いたら骨が折れるか。そんな無理をして登ってはいけません。

 ところが村の当番の方は賢い。写真のように祇園さんの祠に登る参道の登り口に、当番の2軒の方が祭壇をつくりました。ここから山頂の祠を遥拝します。これなら大丈夫です。夕方お参りすることにしました。
 祭壇前の道路はぐっと広くなっています。
 そこにテーブルをセットして、お参りのあとお酒を飲みながらおしゃべりできます。

 当番2軒に参拝客はうちの2人と村の方1名でしたが、おしゃべりは結構盛り上がっていました。
 今年の当番の方は、「二つの祠の参拝日をまとめる話は決まってない。24日は愛宕さんのお参り日です。予定通りやります」と明言されていました。やり方は今日と同じで、下からの遥拝になるそうです。あと10日。梅雨明けになるでしょうか。
 我が家は24日も参拝するつもりです。
 足もよくなったし、今年は収穫感謝の秋のお参り(サツマイモをお供えして)/年末の正月飾り付けのお参り/新年のお参り/正月飾り取り下げのお参り/は、天気を見て登るつもりです。
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公民館の垣根を刈りました。

2020年07月12日 21時35分17秒 | 古希からの田舎暮らし
 今日は公民館の掃除当番でした。今月の当番は女性部員と自治会役員。
 道子さんは老人クラブ員・女性部員ですから参加します。ぼくは村の役員(第4地区の班長/保健衛生委員)として参加しました。
 村の役員は5人参加ですが、女性部員は11人も参加していました。公民館の掃除といっても男の役員に出る幕はありません。そこでぼくは、垣根の徒長した枝を切りました。

 大きなハサミを貸してもらって、伸びた枝を切り落としました。切った枝をレーキで集めて、ざっときれいにしたところです。
 午後はいつもパソコンでお世話になっている方に来てもらい、ハードディスクをつけてもらいました。2TBのハードディスクです。よくわかりませんが、すごいことです。
「このパソコンには20000枚の写真が入っている。もしパソコンのハードディスクが壊れたら、写真が全部ダメになる。外付けのハードディスクに入れておいたほうがいい」
 ぼくのレベルは次の川柳並みですから「ありがとうございます」というだけです。それに『アレクサ』というものをセットしてもらいました。これがまたなんというか、その …… 。
 その川柳とは、次の二首です。

  ギガバイト 時給いくらか 孫にきく
  
  アレクサは 何科の草か 孫にきく

 いかにもおじいちゃんの川柳です。もう少しアレクサの正体がわかってからブログに書きます。

 

  
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久しぶりの『老人クラブ食事会』はちょっと緊張して。

2020年07月11日 20時25分27秒 | 古希からの田舎暮らし
 3月には一年の活動をしめくくる〈老人クラブの総会〉を予定して、案内状を配りました。ところがにわかに〈コロナで中止〉気分が全国に広がり、うちの村の総会も中止することになりました。
 そして今日、4カ月ぶりに老人クラブで集まることができました。
 この会をひらくにあたっては、コロナ配慮をしました。まず会議室の窓とガラス戸は全部開けっ放しにしました。参加予定人数分のスリッパを、あらかじめ除菌スプレーで消毒して並べました。ドアノブ/便所/水道の栓/食事の机/座るイス/も事前にアルコール消毒しました。
 来た人は、手にスプレーして消毒してもらいました。
 いつもはテーブルをつき合わせて近くでおしゃべりするのですが、今日はなるべく遠くに離れる/テーブルは2人掛け/机と机の間をあける/お茶などは出さない。 ペットボトルだけ。ゴミは一切出さない。すべてビニール袋に入れて持ち帰る。

 閑散としているように見えますが、いつもと同じ参加者があります。室いっぱいに広がって食事会をしました。コロナ騒ぎの間どうしていたか、どう感じたかを交流し合いました。いい会でした。
 うちの村なりに徹底的にやったつもりです。コロナ騒ぎの間も農作業は順調にはかどり、田植えが無事に終りました。営農組合の黒豆植えも順調に発芽、生長してきました。溜め池の堰堤草刈りもすませました。
 食事会をやってみて、「この調子ならだんだんなれてくる」でしょう。おしゃべり・交流の会の雰囲気もつくれるようになるでしょう。
 なんとなくホッとしました。
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道子さん、またお手柄です。

2020年07月11日 02時24分00秒 | 古希からの田舎暮らし
 昨日は雨で外仕事はできません。ぼくは兄弟たちに「郷里への旅」レポートをパソコンで打っていました。道子さんは冷蔵庫や台所まわりのお片付け。夕方道子さんが呼びます。
「どうしたんだ」/「スズメバチが巣をしてる」/「どれどれ」/「ギョギョ!!」

先日、携帯ガスコンロに巣をしているのは紹介しました。この巣ははるかに大きい。台所前の棚には段ボール箱を10個ほど積んでいました。その中に巣をしていたのです。道子さんによると、「どうも台所前をハチがよく飛んでいる。じっくり調べてみよう」。そして、発見したのです。
 巣には幼虫がいます。段ボールごとビニール袋に入れて、天気の日に裏山で燃やします。
 それにしても、この写真を見てください。

 一見、なんでもない空の段ボール箱です。宅配の段ボール箱を台所前にに積み上げていました。これからは、段ボール箱は全部整理して、道端の回収箱に出します。
 自然が豊かなのはいいけど、こういう危険もあります。裏山にはマムシがいます。何匹か殺したことがあります。ムカデは竹藪にはいっぱいいます。ムカデは平和主義者です。ひたすら逃げるのですが、踏んづけられたり掴まれたりすると刺します。ハチも蜘蛛も多い。
 池にはアメンボが数匹います。アメンボは肉食系です。それだけ池面にムシが落ちて、アメンボに食われる。アメンボにしてみれば「この池におれば食いはぐれがない」。
 のんびり田舎暮らし。いいけど、いろいろあるなあ。
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アライグマがワナにかかりました。

2020年07月09日 17時52分58秒 | 古希からの田舎暮らし
 家の窓から道の向こうの畑が見えます。朝、外の景色を眺めながらスワイショウをはじめたとき、道子さんが「アライグマがつかまってる」といいます。見ると隣りの畑にアライグマがいます。
 夜行性のアライグマが、こんなに明るくなってからいるのはおかしい。スワイショウを中断して見に行きました。隣りの畑は三木の市街地のほうから来てつくっています。今年もスイカをつくり、アライグマにやられました。狩猟免許を持つおじさんは、先日イチゴを餌にしてアライグマを2匹ワナで捕まえました。
 今日はスイカを食べに来たアライグマがワナに掛かったのです。ちょっと記念撮影!

 大きなアライグマです。手を挟まれているので逃げられません。おじさんが7時頃にやってきて、処理していました。アライグマは用心深いイノシシとちがって、ワナにかかります。ぼくらが見に行く前はこのアライグマのそばにもう一匹いました。でもぼくらが道に出てそばまで行ったときは、もういませんでした。親がワナにかかって、子どもがそばにいたのでしょうか。
 午後、村の公民館まわりの草刈りをしました。老人クラブの仲間と二人でゲートボール場の草を刈り、昨日刈った中庭の草を片づけました。

 これで土曜日の老人クラブ交流会は、作業なし/弁当で昼食交流/ができます。
 この頃元気です。いろいろ仕事をするけど、あまり疲れないでよく動いています。
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清掃作業をしました。

2020年07月08日 21時09分17秒 | 古希からの田舎暮らし
 11日(土)に老人クラブで清掃作業をするつもりですが、天候不順です。土曜日にみんなで作業できるか。今日は雨がやんで曇り空だったので、有志で作業をしました。

 市から配られた花の苗を植えているところです。別の有志の方が事前に雑草をとって、きれいにしてありました。ぼくも中庭の雑草をナイロンコードで刈りました。北の広場は、また別の有志の方が、雨の前に草を刈って、燃やしていました。これで作業はほぼ完了です。
 11日(土)は食事と交流の会にします。
 昨夜はすごい雨でした。口吉川町を流れる美嚢川は大丈夫か。早朝軽トラで見に行きました。ふだんは水深50センチもない川が数メートル高い水位で流れています。

 水の勢いをうまく撮れませんでしたが、これはうちの村のゴミステーション近くの橋です。水位は5メートル以上上がっています。このあたりも一時間100ミリを超す雨が降れば、川は氾濫します。
 災害に遭った人たちの大変さを思います。
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時代劇チャンネルを見ています。

2020年07月07日 18時17分41秒 | 古希からの田舎暮らし
 時代劇専門チャンネルでは、いま『子連れ狼』(萬屋錦之助のテレビ版・全79話)をやっています。1973~76年(昭和)48年~51年)にかけて制作された、古い、古い、時代劇です。45年も前の粗雑な作りの時代劇ですが、ストーリーが面白くて、いま見ても迫力があり、毎日見てしまいます。
 そんなに面白ければ、またテレビ局が制作すればいいようなものですが、主演の萬屋錦之助がいません。ほかの俳優ではあの雰囲気が出せない。北大路欣也で一部分作ったこともありますが、あの虚無感はなかった。
 ぼくは、『子連れ狼』のはじめての放送の頃は、テレビが家にありませんでした。あっても放送される時間帯には見られなかったでしょう。組合の専従役員をしており、帰宅はいつも夜の12時を過ぎてからでした。学校現場に戻るようになり、やっと深夜の再放送を見ることができました。
 サンテレビの再再放送で楽しみに見ていたら、大五郎役の子どもの犯罪(大人になってからの)で突然放映中止になったり。とうとう全79話のDVDを買って、一日一話ずつ70歳になってから見ました。いま82歳。やっぱり面白い。でもやっぱり毎日決まった時間に放映される番組で見るのがうれしい。
 というわけで今日から第2部がはじまります。毎日見ます。
「読書でも時代劇にはまりたい」といろいろ読みかけますが、どれもイマイチ。藤沢周平の時代劇は全部読んだけど、そのあとはあちこちつまみ食いするだけです。鳥羽亮の『はぐれ長屋の用心棒 おっかあ』がちょっと面白かった。このシリーズは15冊ほどあるから読んでみようかな。はぐれ長屋の4人の用心棒たちが、ぼくの中でキャラクターとして立ち上がりかけています。
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鳥取県の山奥は水がきれいでした。

2020年07月06日 22時00分09秒 | 古希からの田舎暮らし
 このたびは、1997年没の父(89歳)/2017年没の弟(行年68歳)/2019年没の母(行年107歳)の写真を持って、ゆかりの地を訪ねました。
〇 中国道院庄を出て、最初に訪ねたのは竹田村の木地山です。父は小学校の教員で、敗戦後朝鮮の学校から引揚げてきて、分校に勤務しました。その分校があった地です。この村には30軒ほど家があり、数十人の子どもがいて、分校に通っていました。どの家も〈小椋〉という苗字です。呼ぶときは苗字をつけないで名前で呼んでいました。いまはほとんど住民がいなくなり、ぼくと同級の人も都会で暮らしていました。やっと一人の住民と出会い、あいさつができました。
〇 もう一つ分校を訪ねました。廃村寸前の村です。いまでは分校も、そして本校も廃校になっています。父が病気あけに勤めた分校で、母も山に登って分校暮らしをしました。この分校も谷川にきれいな水が流れています。住民はほとんどいないようでしたが、軽トラックがとまったので声を掛けました。
「父が60年ほど前に、この分校に勤めていたものですから …… 」と言ったら「Y先生ですかな」といきなり父の名を言われてびっくりしました。聞けば「小学校のときに習った」というおじいさんでした。いろいろ村の様子をききましたが、ほとんど住民はいません。耕作放棄の田んぼは、夏草が盛り上がっています。
ぼく:「イノシシの被害はひどいですか」 住民の方:「イノシシはたいしたことないですけど、シカがよう出て、野菜が作れんですわ。今日もシカがワナにかかって、いつも渡してる人に、シカが掛かったって言ったですけど、今日は用があるけえ、捨てといていな」って。そこの橋から川に捨てました」

 道子さんはイヤといって見に行きませんでしたが、きれいな水ですし、写真をアップします。なんかゴッツイ話だな、と思います。

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♫『故郷の廃家』がこころのなかで鳴ってます。

2020年07月06日 03時41分05秒 | 古希からの田舎暮らし
 7月1,2日と故郷への旅をしてから、こころのなかで歌『故郷の廃家』が鳴っている気がします。

 シティーホテルに泊まった早朝、写真とカメラを持って、散歩に出ました。そして5時過ぎに上井駅前(いまは駅名が「倉吉」となっていますが「上井」と言わないと実感がありません)で撮った写真です。この駅前の感じ、長生堂という土産物屋、空気感、はむかしと同じです。しかし駅前のスーパーは無くなり、駅に入って驚きました。駅の改札口は2階の中央になり、エレベーター/エスカレーターがついています。駅の裏側は田んぼだったのに、出口ができて広場になり、タクシー乗り場があり、道がついています。
 我が家は戦後、引揚者ということで住所が転転と変わりました。かつて住んでいた家は一軒も残っていませんでした。空き地になっていました。
 いろいろと思い出しながら、こころのなかでは歌『故郷の廃家』が鳴っていました。

 幾年(いくとせ)ふるさと、来てみれば、
 咲く花鳴く鳥、そよぐ風、
 門辺(かどべ)の小川の、ささやきも、
 なれにし昔に、変らねど、 
 あれたる我家(わがいえ)に、
 住む人、絶えてなく。
 
 曲はアメリカの作曲家へイスですが、歌詞は日本人が作りました。なんかピッタリです。犬童球渓(いんどうきゅうけい)という人の作詞です。250曲ほど西洋の歌に作詞(訳詞)した人です。
 1879年(明治12年)球磨川渓谷生れで、「1943年人吉市で自殺」とあります。1943年というと昭和18年。日本があの戦争で負けようとしていたときです。どんな思いで …… 。
 球磨川というと、このたびの豪雨で川の氾濫したところですね。この歌の歌碑があるそうですが、この豪雨でどうなったでしょうか。
 
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おじいさんは腕時計型歩数計をつけてるんだぞ。

2020年07月04日 15時04分00秒 | 古希からの田舎暮らし
 パソコンでいつもお世話になっている方が、「アレクサに馴染ませよう」と持って来られました。話のついでにきけば、腕時計型の歩数計があるそうです。早速注文して品物は届きました。ところが同封の「説明書」を見てもどうしていいかわからない。そこで今日、スマホとつながるように面倒を見てもらいました。
 そして、ジャーン!

 時間と歩数がわかるだけじゃない。歩いた距離/消費カロリー/脈拍/天気予報/スマホに電話が掛かってきたら知らせてくれる/運動に関するいろいろなこと/何月何日何曜日/などを知らせてくれる腕時計です。まだ沢山できることがあるけど、ぼくが使いこなせません。
 いままでの歩数計はしまっておきます。
 すごい腕時計があるんだ。それにしても、「スマホとつなぐ」なんてむずかしいことは、買いもとめたおじいさんにはとてもできない。「そんなにすごくなくてもいい」から簡単に使用できる腕時計がほしいんだけど。
 なんか世の中は、もう、おじいさんが手の届かないところまで進んでしまったようです。少し早く亡くなった先輩や親友は、こんな苦労しなくてよかったんだな。
 文明の進歩というのか、すごいスピードでいろんなものが進化しているけど、それにしても、人間はあまり進化していないかもしれない。
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〈拡大女子会〉のお供で明石へ。

2020年07月03日 17時43分27秒 | 古希からの田舎暮らし
 旅の疲れにもめげず、道子さんは今日「明石である拡大女子会に参加する」というので、ぼくは軽自動車運転お供をして出掛けました。明石の「龍の湯」で温泉につかって骨休めができます。
 露天風呂のほうは雨がポツポツしてイマイチでしたが、食堂でラーメンを食べました。

 食堂から世界一長い明石大橋が見えます。今日は雨でダメですが、もし晴れていたらデッキの先端の席で、大橋の端から端までを見渡しながら食事ができます。気に入りました。また来ます。食事のあとは2階のお休み所でしっかり昼寝をしました。
 女子会が終わった道子さんと合流して、「わざわざ明石まで来たのだから、魚の棚で買い物しようよ」とぼくが言い、ぶらつきました。

 三木や東条のスーパーでも新鮮な魚が手に入るときがあるので、近年は魚の棚から足が遠のいています。コロナのせいか、魚の棚も活気がイマイチです。人通りも少ない。でもカレイと鯛の切り身などを買いました。
 追加の大豆の苗がしっかり伸びてきました。明日も雨のようですがもう補植するときです。
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念願の「写真とともに故郷へ」をすませました。

2020年07月03日 03時43分21秒 | 古希からの田舎暮らし
 山陰の田舎で生まれ育ち、長年生きてから、神戸に出てきて亡くなった/父/母/弟/の写真を持って「故郷に別れを告げる旅」をしてきました。100枚以上の写真を撮りました。様子がわかるようにビデオで思い出の地を撮るつもりでしたが、面倒でやめました。高齢になるとちょっとした操作が面倒です。

 上井町一丁目の公園です。娘たちが幼児だった頃は、夏に帰省するとこの公園で盆踊りがありました。町内放送で「一丁目のみなさん、盆踊りをはじめますので公園に集まってください」とマノビした声の放送がきこえてきました。浴衣に着替えた幼児の手を引いて、公園に集まったものです。

 葵町に住んでいた頃の打吹山の写真です。倉吉東中学校は打吹山のふもとにありました。白い建物の見える場所です。家は学校から5分のところにあり、サイレンが鳴ってから登校してもなんとか。(当時はチャイムなんて洒落たものはありませんでした)写真の広いところは陸上競技場です。三段跳びのシルバーなどオリンピック選手がやってきて、このグランドで競技しました。立派なグランドでしたが柵はなくて、毎日放課後はトラックを遊びで走りました。また打吹山は体育の時間に登って頂上の石を拾ってくる訓練がありました。放課後は椎(しい)の実をとりに山に登りました。(椎の大木がいっぱい生えており、椎の実を炒っておやつに食べました)
 
 舎人村方地の母の実家は建物がありません。「故郷の廃家」の跡は夏草が盛り上がっていました。異郷で逝った親たちを故郷と出会わせながら、自分が故郷に別れを告げているのを意識していました。
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