古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

『緊急連絡先』を/車/カバン/に携行します。

2023年08月05日 21時33分15秒 | 古希からの田舎暮らし
 昨日の夕方テレビを見てたら、老人は「〈緊急連絡先〉を書いた紙を携行する」と言われました。
「そうだ! 連絡先の紙を自動車とカバンに入れておこう」。すぐにパソコンに向かって、道子さんとぼくの連絡先(二人の娘の電話)をプリントしました。今日はその紙をラミネートして、自動車とカバンに入れました。
 たとえば「もし車に乗っていて、命にかかわる大事故に巻き込まれたら」どなたかこの紙を見て、連絡してくださるでしょう。
「そんなことめったにない」。そう言い切れない、不安な気持ちです。
 「10年若かったら」そんなこと思わなかった気もしますが。
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〈むくげ〉の花が咲きました。

2023年08月04日 20時44分16秒 | 古希からの田舎暮らし
 7月15日のブログに〈むくげ〉の花をアップして「むくげの花が咲いた」と報告しました。今日、裏山に植えた樹樹に水をやりながら見ると「なんと! もう一方の〈むくげ〉も大きな花が咲いています」。

 一輪だけですが、見事に咲いています。二本のむくげは、ヤマボウシと同じときに植えました。しかし生長はしないし、花は咲かないし、「枯れないだけでもいいか」とあきらめていました。
 日当たりも水もよくないところに植えたのに、がんばって生きてるんだ。ありがとうございます。

 夕方、畑に水やりをする前にマイカ線を張ってみました。木はまだ大きくなりますが、今年はこんな感じにします。
 それにしても暑い。夕方まで外仕事をする気になれません。
 
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台風の襲来に備えて

2023年08月03日 21時00分35秒 | 古希からの田舎暮らし
 毎日〈水やり〉をして「雨降らんなー。龍神さま~」とつぶやいたりします。でも沖縄のほうでは台風が暴れており、西日本に来そうな〈進路予想〉です。大豆や胡麻は強風によわい。傾いて、根が動きます。出来がわるくなり、枯れる茎もあります。
 強風で倒れないように杭を打ち込んで、マイカ線(ハウスバンド線)を張って支える必要があります。そこで午前中に〈4メートルの鉄筋〉を軽トラで買いに出て、8本買いました。
 裏の小屋で1メートルに切りました。前は〈ディスク・グラインダー〉で一本一本切断していましたが、いまは丸鋸で切断します。切断の速さが全然ちがいます。8本の鉄筋をくっつけて並べておき、1分以内で切断できます。
 1メートルに切断した鉄筋は、危なくないように先端を曲げます。これは前からやっている方法です。太い木に斜めに5センチの穴を開けます。(穴を金具で補強)そこに鉄筋を挿し込み、鉄パイプをはめて曲げます。

 前からの鉄筋も50本あるので、このたびは22本つくりました。残りは2メートルの用材として使います。

 大豆/黒豆/のハウスバンドが張れるように鉄筋の杭を打ち込みました。それから毎日の〈水やり〉をしました。

 日中は暑くて、外仕事はできません。早めに昼食をとって12時半に/散髪/買い物/図書館/に出掛けました。(心覚えのメモ:前回の散髪は6月30日でした。散髪はお昼がいい。17年通っていますが、はじめて一人もお客がいませんでした。ぼくが散髪している間に5人入ってきまいた。理髪師は4人)
 
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『桜』を書いた二人の作家の文章から

2023年08月01日 23時24分18秒 | 古希からの田舎暮らし
 日本人が「〈花見〉をすること」に、ブラジルの日系人少女がテレビでコメントしていました。「一年中いろんな花が咲くのに、日本の人はどうして桜だけわざわざ『花見』といってあんな騒ぎをするのですか」。理解できないでしょうね。
 最近、二人の作家の文を読みました。紹介します。


〇 半藤一利 『昭和探偵 忘れ残りの記』(2021年刊 文春新書)
 昔は、桜の花を眺めながらすぐに芭蕉の句を口ずさんだりした。
   さまざまの事おもひだす桜かな
 入学、卒業、初入社、結婚、あるいは転勤と、人さまざま、人生の悲喜こもごもが桜と重なって思い出となっていることが多いであろう。
 いま、間もなく八十六歳になる爺さま(昭和5年生れの半藤一利が自分のことを指して)となっては、芭蕉の句よりも一茶の句のほうがぴったりとする。
   いざさらば死に稽古せん花の陰
   死に支度(じたく)いたせいたせと桜かな
 桜も今年で見納めかいなと、そんな悲痛な、なんてことはない。「そろそろ死に稽古せねばなるまい」とむしろアッケラカンとした想いでただ眺めているのである。八十歳を超えてから感傷的に眺めたりなどついぞしたことはない。

  
 あと二カ月で八十六歳になるぼくも、桜を見ては同じ心境かな。
 高齢になり、田舎に暮らして、泊りがけの旅もしなくなりましたが、花見だけは毎年楽しみにしています。
 裏山に植えた六本のソメイヨシノ/隣り村との境の四本の桜/北谷川の桜並木/東条川とどろき荘前の桜並木/喫茶店シャレードそばの桜/ここ2年ほど見事に咲くようになった南山西のソロプチミストの桜苑/ …… 。

〇 日本はどこに行っても、桜が見られます。小説家・吉村昭のエッセイ『その人の思い出』(2011年刊 河出書房新社)という本を読んでいたら、こんなことが書いてありました。


 Nさんは大阪在住の篤志面接員をしていた人である。死刑囚、長期刑囚に民間人として接し、悩みごとをきいたりして世話をする篤志家である。
 刑務所では、それらの受刑者を慰めるため、短歌、俳句を習う機会をもうけている。Nさんは、俳人にお願いして、月一回、所内の和室で死刑囚、長期刑囚と句会を開いてもらうようになった。
 受刑者たちは、その日がくるのを待ちかね、熱心に指導をうけ、句作などしたことがない者たちばかりであったが、俳人が感心するほど上達した。
 俳人はNさんと相談し、時には果物や植物を手にして持ってゆき、それを主題に句作をするよううながすこともあった。
 ある日、Nさんが受刑者たちと和室で待っていると、俳人が戸をあけて入ってきた。満開の桜の枝の束をかかえていて、それを主題に句作をさせようとしたのである。
 異様なことが起こった。坐っていた受刑者たちが叫び声をあげて一斉に立ち上がり、桜の花を見つめている。
 通路にいた刑務官が、戸を開いて入ってきた。なにか変事が起こったと思ったのである。
「受刑者の動揺はおさまらず、その日の句会は句会になりませんでした」
 Nさんは、笑いを顔にうかべて私に言った。
 


 
 
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