詩人・作家の〈ねじめ正一〉のエッセイ集『母と息子の老いじたく』(2011年刊・中央公論新社)という本を読んでいたら、こんなことが書いてありました。
携帯電話が普及する以前は、往来をぶつぶつ独り言を言いながら歩いている人は、ちょっとアブナイ人であった。往来を独り叫ぶ人となると、これはもう避けて通るしかないのであった。連れもいないのに歩きながら独り喋るというのは、それくらいヘンなことだったのである。だが今はみんなが喋りながら歩いている。四角い小さなものを耳に当て、歩きながら笑ったり頷いたり、ときには突然しゃがみ込んで泣き出したりしている。深夜窓の外で大声で話しているのが聞こえて飛び起きると、片手を耳に当てた人が遠ざかっていくところだったりする。携帯電話を知らない時代の人たちがタイムマシーンで今の日本に現れたら、きっとショックで頭の中がわけわからなくなるだろう。携帯電話のおかげで、私たちは歩きながら喋ることが平気になってしまった。プライバシー保護とうるさく言う時代に、心の奥の欲望や感情を往来で吐き出すことに何の不思議も感じなくなった。
これはすごいことである。というのは、携帯電話によって、人間の羞恥心のありようが裏返しになったからである。私が誰かということさえ、言い換えれば固有名詞さえ伏せられていれば、欲望や感情は人前でオープンにしていいのだ。
政府や行政の補助金を〈嘘の申請〉で手に入れようとしたり、弱い者いじめの「オレオレ詐欺」に加わったり、ボランティア活動に参加したり、困窮者への民間の援助に打ち込んでいる人がいたり。
「人間の未来を信じたいけど、世の中はこれからどうなるのかなー」とおじいさんは思います。
携帯電話が普及する以前は、往来をぶつぶつ独り言を言いながら歩いている人は、ちょっとアブナイ人であった。往来を独り叫ぶ人となると、これはもう避けて通るしかないのであった。連れもいないのに歩きながら独り喋るというのは、それくらいヘンなことだったのである。だが今はみんなが喋りながら歩いている。四角い小さなものを耳に当て、歩きながら笑ったり頷いたり、ときには突然しゃがみ込んで泣き出したりしている。深夜窓の外で大声で話しているのが聞こえて飛び起きると、片手を耳に当てた人が遠ざかっていくところだったりする。携帯電話を知らない時代の人たちがタイムマシーンで今の日本に現れたら、きっとショックで頭の中がわけわからなくなるだろう。携帯電話のおかげで、私たちは歩きながら喋ることが平気になってしまった。プライバシー保護とうるさく言う時代に、心の奥の欲望や感情を往来で吐き出すことに何の不思議も感じなくなった。
これはすごいことである。というのは、携帯電話によって、人間の羞恥心のありようが裏返しになったからである。私が誰かということさえ、言い換えれば固有名詞さえ伏せられていれば、欲望や感情は人前でオープンにしていいのだ。
政府や行政の補助金を〈嘘の申請〉で手に入れようとしたり、弱い者いじめの「オレオレ詐欺」に加わったり、ボランティア活動に参加したり、困窮者への民間の援助に打ち込んでいる人がいたり。
「人間の未来を信じたいけど、世の中はこれからどうなるのかなー」とおじいさんは思います。