104つの奇跡

見えてるのかな、これ?

あの頃は若かった

2005年10月03日 11時06分35秒 | Weblog
 大学の後輩(と書くのもイヤやな~)のブログが久々に更新されていまして、そこでちょいと昔を思い出させるようなことが書いてありました。

 ちょうど一年前に・・・って別にロードではないんですが、ちょうど1年ほど前クラブで飲み会がありました。当時の我が部には何でか奈良県民が多く、飲み会などをするとどうしても早く(22時ぐらい)帰らなければならなかったらしいです。奈良と京都、近く見えて実は遠いんです。んで、同回生の野郎(当時編集長。今の後輩はある種変酋長)、仮にここでは「I」としておきますが終電も出たのでオールする気満々でした。さすがに一人で置いておくのは忍びないと思い、朝まで付き合うことにしました(私は十分帰れたのですが)。
 夜も更けるとお店も閉まるので、行き先はカラオケかマンガ喫茶ぐらいしか残ってません。私もIも互いに歌うのが好きだったので考える必要も無くカラオケに。とりあえず、朝の5時にならないと電車は動かないのでとりあえずそれまでは居座ろうと。どちらかが睡魔に屈しても大丈夫なように雑誌類も購入して意気揚々とジャンカラへ。
 部屋に通され、飲み物が来るのを待ってから朝まで生カラオケがスタート。何せ二人なんで相手が歌っている間に自分の曲を入れないといけないので、大して聴いている暇はなし。まぁ特に気を使う必要も無かったので、アニソンを中心に90年代前半の曲も交えつつ歌いました。ただ、この時は何を思ったのか、私の専門分野ともいえる「G」を封印していました(これで20曲ぐらい減った)。まぁそれでも何なりと歌い続けましたが。確か一番カロリーを消費したのが米米CLUBの「きみがいるだけで」だったと思います(古い!けど名曲)。途中、Iが何度かピンチを迎えましたが、何とか空白の時間を作らずに歌いきりました。全部で何曲歌ったかは「100から先は覚えていません」(羅将ハン 北斗の拳)。何せデンモクの履歴が100曲までしか無かったもので。

 会計を済ませて外に出たときにはもう白々と夜が明け始めた頃でした。まぁっすがにこの時の京都は人は余りいませんでしたが。家に着いたのが6時、風呂に入って一眠り、10時から英会話、14時~21時半までバイト、その翌日は9時から20時まで楽器を吹いていた(実質は6時間ぐらい)というのはまた別のお話です。

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1 コメント

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Unknown (ヨウスケ)
2005-10-04 07:00:13
ありましたねぇ、そんなことも。当時、「夜通しアニメメドレーなら付いて行けば良かった!」と後悔した覚えがあります。まぁ今考えると、御二方のレパートリーの桁違い加減に、「付いて行かなくて良かった!」と心より思っておりますが。(苦笑)

いつの機会か、雄琴やらササッキーやらを含めた「アニソン部隊」でカラオケへ行くのも一興かと。そん時は是非ともお供させて頂きたく存じます。尋常でない盛り上がりを見せること間違い無しでしょう?(爆)
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