先日,篠山市で映画『森の学校』の鑑賞会がありました。もちろん出かけました。この映画を観るのはこれで二回目。
当日は,映画の原作者である河合雅雄先生,監督の西垣吉春さんが来られました。“先生”付けをするのは,著書や毎年の講演会で多くのことを学ばせていただいている大先輩だからです。この映画の原作本は著書『少年動物誌』(福音館書店刊)です。

上映前に,西垣さんから一言二言のあいさつがあって,映画の背景や価値について改めて確認できました。今も,諸外国で『MASAO』のタイトルで上映が行われているそうです。タイトルに“森”という文字が入っていても,砂漠国では理解が進まないのだとか,ピンとこないのだとか。外国でも映画が受け入れられているというエピソードからは,作品が人間としての普遍的な価値を伝えているからだと感じました。
映画は,河合先生の少年時代の出来事を本筋に据えて,丹波篠山の田園風景,自然風物,生きものを随所に配置し,叙情豊かに構成された秀作です。昭和10年代が舞台とはいえ,わたしが育った20年代と似通った点がたくさんあって,ときにはうなずき,ときには納得しながら鑑賞したのでした。涙も何度か浮かんできました。
今の子どもたちの環境とは比べものにならない程,隔世の感があるのですが,なんと豊かな人間模様なのかと思った次第です。
子沢山の家庭で,きょうだいが切磋琢磨して育つ環境,親が子一人ひとりに寄せる愛情,地域住民との深いつながり,地域や学校でのなかま関係の厚み,どれ一つをとっても今とは雲泥の差ではないかと思いました。
上映後,河合先生がステージで話されたことは,わたしが以上書いたことと重なる内容でした。それに加えて,先生は「今の子は“勉強,勉強”という環境にあって,かわいそうだ」ともおっしゃっていました。
この映画,河合先生ご自身,病弱で学校に通うことが満足にできない,それでいて腕白という少年時代を過ごされ,この実話にもとづいたものなのです。その少年期に,生きものが大好きで,家の庭を“動物園”の飼育舎にし,それを“この子”の個性の発露として両親からしっかり受けとめられてきた経緯が深く理解できます。そこには親子,家族の絆がくっきりと流れています。
必要な教えもきっちりあります。
父のことば,「子どもは一つ覚え,二つ覚えておとなになっていくんだよ」にも。母のことば,「おばあちゃんのいのちはお父さんに,そしておまえにつながっているんだよ」にも。
今は,子どもの育みの土壌である自然や人間模様から,子どもが乖離していく傾向にあります。そこに,家庭や子の孤立という問題が重なっていきます。時代の流れというものがあるでしょうが,掛け声運動はあっても地域の力が根っこの部分で届かなくなっていきつつあるかに見えます。
地域でそれを敏感に感じるおとながどれだけいて,どれだけマイナス面を補おうとしているか,それも気になります。子どもと自然という観点に限ってみても,あまりに頼りない感じです。子の前に自然が準備されても,箱庭式のお膳立てされたそれでしかありません。
映画は,子育て・子育ち,親育て・親育ち,地域育て・地域育ちを考えるうえで,真に示唆に富んでいます。今の時代に見失ってはならない視点が山ほど見えてきます。機会があればぜひご鑑賞をお勧めしたい作品です。PTA関係で,親子鑑賞をするのも一手です。