もっぱら昆虫の生態を追いながら写真を撮っていると,小さな虫に宿るいのちを感じてしまいます。そして,こころが激しく揺り動かされます。レンズを通してあれこれ感じ,そして思うのが,近頃の習慣になりました。「いのちがどうつながっていくのかな」「この虫,今なにを感じているのかな」「次にどんな行動に移るのかな」。そんなふうです。
それで,頼りないながらも,想像したことが当たっていると,思わず微笑んでしまいます。さらに,その場面を写真に収めることができたら,もう感動ものです。その写真は,その場の印象とともに克明に記憶に残ります。
感動が結晶体となってひとつの作品に仕上がる,今,そのことがなんとなく理解できます。
過日,絵画教室を主宰されている画家(U先生)から招待を受け,近隣市の美術館で開催されている美術展に出かけました。その美術展は,市在住及び出身の画家の作品を紹介するものです。当然レベルの高い作品に圧倒されるばかりで,それらが所狭しと並んでいました。
画材もテーマも,技法もじつに様々。一人ひとりの個性の違いが画法の違いにつながり,一人ひとりの画法の違いが絵画の多様性を生み出し,さらに多様性が絵画芸術の豊かさを形づくっていることに,改めて感じ入りました。絵を愛する人の数だけ絵の個性が存在することが,とても新鮮に思えてきたのです。
鑑賞者には,鑑賞者の数だけ「これはとくべつにいいなあ」という絵があるのですが,どれも主張がじつにくっきり迫ってくるなあと感じました。よく考えてみると,それは創作者がその人としての感動をしっかり持って,主張を込めようとしていることの裏返しなのだろうと思われます。
U先生の一つの作品に次のような説明文が付けられていました。「タバコ乾燥場で老夫婦が寄り添うように働く姿に出会い,探し求めていたものに会えた幸せに浸りながら一心に絵筆を持っていた」。あとでお聞きすると,老夫婦を結ぶ愛にこころが引き寄せられたのだとか。
この方にして,この“感動”! 描きたいものを探し続け,やっとそれに会えたときのこころの震え。それを想像しただけでも,先生のわくわく感が見えてきそうなのです。解説と併せて絵を観賞すると,味わいが一層醸し出されます。絵を描くことは感動を表現すること。これがU先生の変わらぬ創作・創造の原点なのです。
さて,わたしは生態写真を撮っていますが,芸術作品を追求しているわけではありません。ただの素人として,昆虫のいのちを追うたのしさを昆虫から学んでいるに過ぎません。
ほんのたまたま,そのいのちの動き・変化がシャープに見えたとき,生き生きとした姿を写し撮れることがあります。シャープに見えたときは,後でよく考えてみると,自分がすっかり夢中で被写体にのめり込んでいるって感じなのです。生き生きとした姿を写し撮れたというのは,かたちできたという意味です。したがって,感動した瞬間なり夢中になっているひとときなりを,かたちにできるのはこの上なくうれしいものです。わたしの場合も,やはり感動があらゆる営みの原点です。
今,芸術としての写真の美を追求しようとする気持ちはさらさらありません。そんな力のカケラもないことはわかっています。そうしたこととは距離を置いて,昆虫たちの生のいのちからたくさんの感動物語を味わいたい,写真撮影を通して自然との対話を続けたいという気持ちです。