つい先日の全国紙朝刊を見て,「困ったなあ」と思う事案を目にしました。それは社会面に大きく取り上げられた記事で,ひとりの青年教師の不祥事を扱ったものでした。
23歳の中学校の理科教師。授業で実験がうまくいかないときは,塩酸を飲ませると予め宣言しておいて,実際にふたりの生徒に飲ませたといいます。塩酸を飲むことを罰として強要したかたちです。実害はなかったらしいのですが,将来を期待されている年齢の教師がこうした短絡的な行為に至ったのはまことに困ったことだと思います。
そのことを,新聞は次のみだしで伝えています。
『塩酸混ぜた水飲ませる』『教諭,実験失敗の生徒に』
どんな背景があったのか,報道を読む限りよくわかりませんが,塩酸を恐怖の対象にしたということだけでも大きな罪作りでしょう。
大抵の酸は,濃度を気にかけていればアルカリ程恐れることはありません。酸は文字通り“酸っぱい”ものという意味をもっていますから,食品で酸っぱいものは酸がある証拠です。梅もレモンもリンゴも,お寿司も,……。生の植物にもたくさん含まれています。スイバ(酸葉あるいは酢葉!)もイタドリも,スノキ(酢の木)も。つまり,酸は味覚としてとても重要な要素をもっているわけです。
しかし,アルカリは違います。こちらは石鹸が生活用品の代表例であるように,濃度が高いと皮膚を溶かします。昔,石灰の粉が目に入ると危険だとよくいわれたのはこの例です。こわい,こわい。今は,安全な石灰が使用されています。
さて,わたしがとても気になるのは,塩酸だって(!)うんと薄ければまったく恐れることはないのに,まちがった取り扱いや報道のしかたのせいで塩酸というだけで恐怖心を抱かせる結果につながったように思われる点です。
酸・アルカリというものさしは物質を知る重要な要素です。はたらきがどの程度強いのか,弱いのか,どう扱えばいいのか,そういうことを考える手がかりになっていきます。これはまさに物質学習の事始めにあたるものです。
わたしは,塩酸を使う学習を初めて行うときはいつも,塩酸をうんとうんと薄めて一味なめることから始めていました。例えば,10ml程度の水に希塩酸をスポイトで1滴入れて攪拌する,それをなめる,味がしなければさらに一滴加える,そして攪拌してなめる,……,そんな感じです。すると,ちょっと酸っぱいかなという始まりがやってきます。ほとんどの子どもは「ちょっとしょっぱい感じがする」といいます。その程度でちょっとなめる体験は終わり。
ちょうどそれは食用酢を水に入れて味を確かめるようなものです。けっして恐れる次元の問題ではないのです。
青年教師の姿勢はまさに悪乗りの一策にすぎないのですが,世間騒がせな三面記事になってしまいました。そして今回の不祥事報道は,結局「塩酸は怖い」という印象を植え付けただけ。なんと低次元な話なのでしょう。
(注)写真は本文とは関係ありません。