Aさんと出会ったときから,Aさんがおっしゃった「他市町の広報紙では,医師の呼称をどう扱っているのでしょう」ということばが気になっていました。そしてその後たまたまある市の広報を見る機会がありました。それで,問題意識をもってすこしばかり見ていくうちにびっくりしたことがありました。つまり,ここでも相も変わらずといった実態が浮かび上がってきたからなのです。
休日の当直勤務医をお知らせする欄が設けられていました。その欄を簡単に解説すると,こうです。
- 「診察日」「診察時間」「ところ」などの項目に並んで「担当の先生」と書かれている。その下に,医師の分担表がある。
- 分担表の項目欄に「担当の先生」とある。
- 「担当の先生」欄に書かれた医師名それぞれ(5人)の後ろに「先生」が付されている。
結局,小さな記事中に“先生”ということばが7回も繰り返されているのです。
同じページにいくつか相談事業のお知らせがありました。それらはたとえば,心配ごと相談であったり,人権相談であったり,障害者相談であったり,です。そこに書かれた相談員の名前にはまったく敬称はありません。ですからもちろん,“さん”も。あるのは名の前に,「民生委員」「人権擁護委員」といった肩書きだけです。これこそが常識的な編集姿勢でしょう。
この市の広報をじっくり読みとると,医師だけが突出した異様な扱い方がなされていると感じとれます。結局,わたしの住む市だけの問題ではないことがわかります。なぜこうした古い体質が残り続けるのかといえば,古さに気づかない人がほとんど,気づいていも問題提起しないまま,といった感じだからでしょう。あるいは,「お医者さんは偉いんだ」という感覚が生きた化石のごとく息づいているからでしょう。
はっきりいえば,わたしも進んでは問題提起しなかった一人です。情けないといえば,そうなのです。「こんなこと,敢えていいたくもないしナア」なんていう気持ちでしたから。それを棚に上げてこんなことを平気で書くのは恥ずかしいことだと承知しています。わたしのような人間を増やさないためにも,小さくても意味ある積極的な提言なら,市民の声をきちんと受けとめる工夫がいるわけです。ところが,今はそれがありません。行政には,システムをきちんとつくり上げ,提起された問題に誠実に応えていく体制を整えていただくよう期待しています。
医師という職業が人のいのちをあずかる,社会的貢献度の高いしごととは思いますが,広報紙で常時“先生”付けするのはいかがなものでしょうか。職業に貴賎を感じさせるような扱いを行政は率先してやってはいけないはず。行政担当者には,時代を読んでお手本を示せるように資質向上に努めていただきますように。
(注)写真と本文とは関係ありません。