自然となかよしおじさんの “ごった煮記”

風を聴き 水に触れ 土を匂う

キアゲハ,ハナウドに産卵(その日)

2013-04-30 | キアゲハ

この程,珍しい光景を目撃しました。それについて報告しましょう。

日が西に傾いた日暮れ近く,ウォーキングに出かけました。国道に沿った農道を歩いているときです。アゲハが一羽,国道斜面に生えたハナウドの葉をしきりに気にしている様子が目に入りました。

国道にはハナウドがどっさり生えてきます。今,茎を伸ばして林立していて,間もなく花が一斉に開く頃です。そうした一部箇所が草払い機で刈り取られ,ハナウドの葉が一本だけ取り残されている箇所がありました。その一本にどうも執着しているようです。

というのは,周辺を回りながら,結局この葉に戻って来るといった行動を数回繰り返したのです。草が刈り払われていないところにはハナウドがいっぱいあるのに,それには目もくれず,この葉だけが気にいっているみたいです。

そのうちに,先端付近にパッと降りて,なんと産卵のしぐさをしたのです。飛び去ったあと確認したら,卵が付いているではありませんか(下写真の上矢印)。すっかり驚いてしまいました。

帰ってカメラを持って,再び現場へ。そうして,確かめたところ,下のほうにも2個付いているのがわかりました。これで合計3個。その箇所は,すぐ近くで,1個は葉の表側,もう1個は裏側です。 

 

葉を持ち帰って写真に収めました。まず下側の葉のものから 。一つ目は表に付いた卵です。薄い黄色をした,真ん丸いかたちをしています。いろといい,かたちといい,みごとな様です。

二つ目。すぐ隣りにある,裏側の卵です。 

 

おしまいは,最初に見た上の葉にある卵です。 

ところで,なるほどなと合点できたことがあります。それはハナウドを産卵場所とした理由です。

考えてみればハナウドは野生植物であってもセリ科に属していて,特有の匂いを放っています。セリ科植物はキアゲハの大好きな草本で,その仲間にはニンジンやパセリがあります。道理でハナウドに執着心をもっていたはずです。もっとも,一本だけにこころを寄せていた訳は依然として謎です。

図鑑で調べると,思ったとおりでした。ずばり,幼虫の食草にハナウドが入っていたのです。

すてきな出合いが続きます。 

 


タンポポを訪れた昆虫(その11)

2013-04-30 | 昆虫と花

春の野には,黄色の花が咲き乱れています。黄色はハチやチョウを招く色です。チョウは赤色が認識できず,したがって赤色の花には無頓着だといわれています。黄色は大好きな色というわけです。

菜の花に来るチョウを見ていると,大好物だとよくわかります。タンポポもそうです。わたしが耕作している畑にはタンポポがたくさん入り込んでいます。毎春,その根を掘り起こして乾燥させ,タンポポコーヒーを作るのをたのしみにしています。

この畑のすぐ近くにある田で,専業農家のMさんがキャベツをたくさん栽培される年があります。そのときは,そこからチョウがどっさり飛んで来て,タンポポの蜜を吸う光景が途切れません。

さて,モンシロチョウがあまり飛んでいない,つまり目に付かない野にタンポポがどっさり咲いている場合はどうなのでしょう。モンシロチョウは花から花へと飛び回ってどんどん蜜を吸うのでしょうか。試しに観察していると,実に適当な飛び方をするのがわかります。花の蜜に執着していないようにしか見えません。

もしかすると,もう満腹だからかもしれません。チョウは贅沢だといえば,そのとおりなのかも,です。

昆虫を観察しながら,昆虫の目で自然をみようとするのはいつもたのしいものです。 

 


タンポポを訪れた昆虫(その10)

2013-04-29 | 昆虫と花

タンポポの花を見ていくうちに,また小さな昆虫に出合いました。体長は1cm足らず。褐色をした,どうやらヒシバッタと思われるものです。翅がまだまだ小さいようで,わたしは勝手に幼虫だと見なしました。

このバッタもまた,花弁やら蕊を餌にしているのでしょうか。ムシャムシャと食べていたら確かなことがいえるのですが,今日の段階では結論づけられませんでした。

脚を見ると,確かに花粉が付いています。オシベ・メシベが林立する花の中を移動してもらえば,タンポポは大助かりでしょう。

目に付きやすい昆虫は自ずとその姿が目に飛び込んできます。逆に,ヒシバッタのような小型昆虫は,見る者がその気にならないと見つからないものです。やはり関心の寄せ具合,注意深さといったものが必要になります。

 


教育委員会改革のことで(続)

2013-04-29 | 随想

以降,当たり前ながら教育委員会は混乱を極めました。臨時の教育委員会も度々。審議は,「暫時休憩」の反復で,時には深夜にも及びました。わたしまで,暫時休憩を求めて,教育長の発言の真意をたださなくてはならないといった状況だったのです。住民との摩擦も増えるばかり。そのなか,教育長はただただ首長の指示を受けて動くだけ。不用意な発言が相次ぎ,学校教職員との軋轢も増していきます。学校である生徒指導事案が発生した際,その処理を巡ってはほんとうに疲労困憊。

わたしたちは処理を指示されるだけ。ご自身は公務中もご自分の研究分野に係る原稿書きに専念。早退も度々。職務に専念どころではありません。結局,こうしたつけは,事務局職員や教育委員に回ってくるばかりだったのです。わたしは,通常の公務に加え,県教育委員会からは何度もまちの教育の現況について報告を求められました。

当時,教育委員とは「これほど教育について情熱を持って議論する教育委員会は,このまちのほかないのでは? 将来,手記でも書きたいですね」と語り合ったことが脳裏から消えることはありません。教育委員会のあり方としては,お手本のような実態でした。マアいうなれば,ゲリラ豪雨が襲ってきたという状況だったわけです。そして総じていえば,教育長を除く各教育委員は全身全霊で難局を乗り切るために職責を全うし,まちの教育に責任を持とうと議論に議論を重ねられたのでした。

あとの話は割愛します。以上から反省点としてあげたいのは,首長が交代するごとに政治の影響を受け,教育が翻弄されることをどう防ぐか,ということです。今回の案では,政治からの中立性を保たなくてはならないはずの教育推進の責任機関が,たった一人の判断で右に揺れ,左に揺れという具合に,いのちの育みに対する無責任さを露呈してしまうことになります。教育長が独りよがりで傲慢だったり逆に無力だったりしたら,と思うと怖くなります。教育長の資質・能力は,ほんとうにピンからキリまであります。トンデモ人物だと,教育行政に対する信頼感が薄らぎ,不信感が募るばかりでしょう。

教育再生実行会議の今回の提言について,ある報道記事の見だしは『教育長の権限強化へ』でした。単純に強化して,事が解決するほど問題は簡単なわけではないのです。

以上,書いてきたような事態が生じないように歯止めをかけなくてはなりません。具体的な歯止策が提示し得ない,あるいは形式的な制度改革に流れている実行会議の案からは不安しか感じとれません。わたしが経験したような現実は全国的にみても,複数あったはず。そういう事例に目を向けて,しっかりした案をまとめていただきたいものです。

それなら,どんな手が考えられるか,そのことを次に考えようと思います。

                                           (つづく) 

 


タンポポを訪れた昆虫(その9)

2013-04-28 | 昆虫と花

風が強く吹いて,寒さを感じる日,ウォーキング中にハナバチに合いました。

タンポポの花は風で揺れています。こんな日はたぶん昆虫は見当たらないだろうと思っていましたが,意外にも見かけました。どうやらコシブトハナバチ科に属するニッポンヒゲナガハナバチのようです。

まず,毛の多さには驚かされる風貌です。体型は小さいのに,誠に立派な毛並みをしているので,大した虫だなあと感心してしまうほどなのです。それにからだに似合わないくらい長い触角と肢をもっているのが印象に残りました。触覚からオスと推測できます。虫自身は,もし自分を客観的に見つめる能力があれば,体型に誇りを感じかもしれません。 

調べると,出現期は春だけで地中に巣をつくるのだそうです。道理で毛が多いはずです。夏から春先まではじっと地中で生活しているだなんて,ふしぎな昆虫に思えます。このタイミングで活動することで,種として生存しているのですから,環境にみごとに適応していることになります。

風が少々吹こうが,我が道をゆくというたくましさが伝わってきます。 

 


アリの飛行

2013-04-28 | 昆虫

暖かい日の昼どき。畑で野菜・果樹の世話をしていると,足元にアリがうじゃうじゃいるのでもうびっくり。刈った草が枯れ始めているところです。よく見ると,翅の生えた比較的大きめのアリがかなりいます。

「ははーん,時期を迎えて巣の移動か,分巣かだな」と思って,しごとを続けました。

そして別のアリの集団を見つけたのです。今度は,ジャガイモの株際です。巣穴から出てきたアリがわんさと葉に上がっています。見ていると,翅を付けたアリが一匹ずつ,さっ,さっ,という感じで飛び立っていくのでした。それはふしぎな光景でした。

どんどん飛び立っていくので,見上げると,なんとそこにアリの群飛風景が展開していたのです。カ類の蚊柱・群飛と同じです。蟻柱とでもいえるでしょうか。わたしにはほんとうに巨大な柱に見えました。それぞれの翅が太陽の光を浴びて輝くのですから,マア,スゴイ光景です。二つの集団のアリが混ざっていたのかどうか,それはわかりません。混ざる性質があるのか,それもわかりません。とにかく,大きな群れを成していました。

夕方近くそこに行くと,群れはもう見当たりませんでした。大きな翅アリが一匹だけ取り残されたようにいるだけでした。跡形もなく消え去るという言い方がありますが,そのことばがピッタリです。

こういう話を聞くのは好きではないという人もあります。人それぞれなので,それはしかたありません。しかし,そんな生態を持っているということを知っておくのは,自然を理解する上で役立つのではないでしょうか。

 


ジャコウアゲハ観察記(その200)

2013-04-27 | ジャコウアゲハ

ジャコウアゲハが羽化する季節を迎え,ときどき野外で飛翔する姿を見かけるようになりました。

我が家の周りにも,やって来ています。昨日の昼,庭の手入れをしていると,目の前に突然アゲハが現れました。メスです。これにはびっくりするやら,わくわくするやら。手を休めて見ていると,スイセンの白い花にとまって口吻を差し入れました。それが終わると,すぐ近くのスイセンに移りました。

そのあと,低空を飛びながら,つまり産卵場所を探しながら庭を一周しました。庭には鉢植えのウマノスズクサが8鉢,露地植えのそれが10数株あります。しかし,まだ芽を出して間もないので,アゲハは気づかなかったようです。

それで,庭に生えた雑草の上を飛びながらホトケノザの花に取り付きました。そうして蜜を吸い始めたのです。わたしは,ジャコウアゲハがこの花にとまって吸蜜行動をする場面を見たのは初めてです。大急ぎでコンデジを取り出して写しました(下写真)。 

アゲハはいくつかの花を巡りそれぞれで蜜を吸いました。人間への警戒心が極めて薄いので,近づいてその行動を見届けることができました。

こんなことが起こるから花の季節,虫の季節はなんとも魅力的です。  

 


金沢,ふれあいの旅(続々)

2013-04-27 | 随想

サルトリイバラとサンキライの混同の話を掘り下げれば,どんどんふしぎが深まります。そもそも,江戸時代にもそのことを指摘する人があったにもかかわらず,相も変わらず整理付けられないまま,現在に至っていること自体がおかしなことでもあります。その人とは,『大和本草』を著した柏原益軒。

益軒は著書になかで,次のように書いているということです。

  世俗あやまりてこれを山帰来とす、山帰来は土伏苓なり、別物なり

ネット検索した解説をいくつか抜き出すとこうです(原文のまま)。混乱の実態が垣間見えます。

  • 「さるとりいばら」は歳時記で引くと、〈山気来(さんきらい)の花〉の別称として出ている。
  • サルトリイバラのことを俗にサンキライという。学名でいうサンキライは日本には自生していない。
  • サンキライはサルトリイバラ(学名 Smilax china)の俗称だが、正確には別種(学名 S. glabra) で、本来、サンキライ(山帰来)は日本に自生しない。俳句ではサルトリイバラをサンキライと呼ぶ事が多い。
  • 一般にサンキライの名が浸透していますが、実は正式な名前はサルトリイバラ。枝にトゲがあり、猿がひっかかって捕らえられると言う意味で名付けられたそうです。
  • 写真はサルトリイバラ(サンキライ)の葉。

多くの場合,二つのものは別物らしいということを前提にしているように見えます。しかし,違うものなら違うもので整理付けようとする方向が見えなくてはならないと思うのです。伝聞にもとづいているとか,“別称”“俗称”でぼかすとか,そんな現状が多分に見受けられます。なかには,わざわざ「サルトリイバラ(サンキライ)」と()を付して解説されているものもあります。解説の曖昧さが散見され,読んでいて「これではな」と頭を傾げたくなることがしばしばなのです。これでは,混乱に手を貸しているだけです。俳句愛好家の皆さんには申し訳ないのですが,俳句歳時記が誤解を野放しにしている経緯も読みとれます。文学と自然科学とは違うといえばそうなのかもしれませんが,一線を画する視点がいると思われます。

 

調べていて,わたしが出色だと思ったのは廣野郁夫さんが編集していらっしゃる部屋『木のメモ帳』中の『樹の散歩道』の記事です。タイトルは「『山帰来』の名前の起源は何処に」というものです。内容は,歴史的な事実の掘り起こしも含めて微に入り細に入りといった感じで,追求心の深さが伝わってきます。噛み締めて読めば,なるほどこれは混乱状態のはずだと納得できる力作です。

あれこれの資料を総合し,今のところ,妥当な解釈だと思える見方を箇条書きにしておきましょう。

  • サンキライ(山帰来)は,本来,中国自生のケナシサルトイバラを指す。(したがって日本自生のサルトリイバラはサンキライそのものではないので,混同してはならない)
  • サルトリイバラの学名はSmilax china,ケナシサルトリイバラのそれはSmilax glabra。 
  • サンキライの根茎から得る生薬「土伏苓(ドブクリョウ)」「山帰来(サンキライ)」と呼び,江戸期に梅毒治療薬として中国から輸入されていた。
  • 我が国では,サンキライの代用植物としてサルトリイバラから生薬「菝葜(バッカツ)」を作った。しかし,効能は期待されたほどではなかった。
  • 山帰来の語源は,「山奥に捨てられた梅毒患者が,空腹を満たすためにサルトリイバラの根茎を掘り起こしてかじった。すると,病気が治り,元気に山から帰って来た」という説にもとづいているらしい。

わたしには,小さなときに毎年春になると山にサルトリイバラの葉を採集に行った思い出があります。柏餅を作る際,カシワの代用としてこの葉を使うためです。表面がつるつるしていて餅を包むのにピッタリでした。母の手でお餅が作られていく風景がくっきりよみがえって来ます。

山帰来ということばに出合い,わたしもまた語源のことがとても気になりかけました。なんと貴重な出合い! それで金沢で出合ったこのお皿は,金沢での出合い,思い出としていつまでもたいせつに使おうと思います。「Yさん,ありがとうございました」。 

  


教育委員会改革のことで

2013-04-26 | 随想

過日,政府の教育再生実行会議が教育委員会制度の見直しを議論しているなかで,教育長に責任を一元化する案をまとめたという報道がなされました。教育委員のよる合議制を柱にする現行制度では,責任が不明確だという判断がはたらいているのです。それは最近ではたとえば,大阪市や大津市で発生した,いじめ・体罰による自殺事案への対応のまずさが反映していると思われます。

報道で知る範囲ではありますが,すこし気掛かりな点があります。それについて書いておこうと思います。これはまた,小さな証言録でもあります。

一般的に考えて,教育委員会の形骸化(月に1,2回程度の形式的な会議では意味ある検討は無理!),教育委員会事務局長を努める教育長の資質・指導力の問題(子らの真の幸せを思う深さが肝心!)などを思うと,改革すべき点は大いにあると思います。したがって,メスを入れることには賛成です。しかし,大事な点が抜け落ちているようなのです。なんといっても,教育委員の適性の問題。実行会議がまとめようとしている一元化案では,わたしの味わった苦い経験を踏まえると疑問が消えません。

首長が任命するお気に入り教育長を教育の基本方針なり教育内容なりについての最終責任者にしよういう考え方には不安が付きまといます。他の教育委員が方向性を示し,執行状況を点検する役割に限られるのも気になります。こんなかたちで責任の重さに軽重をかける論議に発想の貧弱さを感じます。

ここからはわたしの経験です。およそ10年余り前の話になります。その頃わたしは教育行政に携わっていました。そのとき,まちを二分する激しい選挙戦を経て首長が代わりました。結果,行政のあり方がこれまでと180度転換。結果,大きな混乱が生じたのです。新首長が議会に新教育長を想定して同意を求めた人は,生粋の政党人,それまでまちとはまったくつながりがなく,しかもまちの教育を実験台として位置づける偏狭さが垣間見えた人物でした。

わたしは議会から意見を求められました。それについては「未知な可能性があるかもしれないが,地元への愛着がないわけで,このまちの子どもの育みに熱意をもって語れるかどうか不安である。もしそれほどの気持ちがあるなら,このまちに住んで地元に溶け込もうとされるはず。わたしたちのまちを実験台にして混乱させてほしくない」と応えました。結局,この人事案は否決されました。

代わりの教育長候補として名が挙がり,結果としてこのポストに就いた人は,先の候補者とは正反対。主体性・指導性が欠け,首長の意のままに動くロボットのような方でした。なにしろ単に首長の恩師に過ぎなかったのですから。資質としては稚拙で未熟過ぎです。それによって教育行政は首長の意のままに流れる事態を招きました。首長にはそれで十分満足だったわけです。

しかし,教育行政内部においては上司・部下の信頼関係が完全に崩れていきました。考え方や姿勢に付いていける部下は一人としてなかったのです。この方もまた,まちにはまったく縁もなく,愛着もない人。これ以上の無用な混乱を避けるために議会が止む無く妥協した結末でした。当時としては,子どもへの影響のことを考えると仕方のない面もありました。

もう一つ付記しておきたい点があります。それは,従来,制度として新しい市町村教育長の正式就任にあたっては県教育委員会の最終承認を必要としていたことです。しかし,ちょうどその頃に地方分権の流れに沿って手続きが簡略化され,その必要がなくなりました。市町村の責任において選任してよいことになったため,さっそくこんな混乱が生じることになったのです。

                                              (つづく)

(注)写真と本文とは関係ありません。

 


タンポポを訪れた昆虫(その8)

2013-04-26 | 昆虫と花

タンポポの花一輪に,アリが5匹いました。この株には他にも花がありましたが,この花にだけ付いていたのです。

体長が1cmほど。肢が褐色を帯びているので,ミカドオオアリあたりではないかと思われます。 

「おかしなアリたちだなあ」と思って,とにかく写真に残すことにしました。

じっと見ていると,花に執着しているように思えてきました。確かに,口を動かして,食べるか舐めるかしている様子なのです。  

しばらく見ていると,頭を蕊の根元付近に入れて,からだを逆立ちさせる格好になりました。その格好のまま,多少は頭を動かしながら何かを探しているようでした。わたしには,蜜を舐めているように思われました。

アリの近くに砂糖を置いておくと,アリたちはそれを舐めにやって来ます。それとそっくりで,花の蜜を得ようとしているのではないかとわたしは感じました。

それにしても,アリがこのようにタンポポを訪れることすら珍しい光景ではないでしょうか。ましてや,蜜を吸う場面などほとんどお目にかからないのではないでしょうか。

偶然の目撃チャンス,シャッターチャンスに恵まれるって,幸せなことです。