
無知の知。
広辞苑によると、「ソクラテスの認識論的自己反省」と
出ていました。
良かったあと思いました。
歴史的に有名なソクラテスが言ってるんだから。
知っている人から、
知らないことを説明される時に、
少しイラッとすることがあります。
私が知らないことを前提に話してくれないからです。
「何故、知らないの」が垣間見えるからです。
実に知らないことの多いことか。
スマホに手を出せない、コンピューターを使いこなせない。
人の気持ちが分からない。道がわからない。
解らないことが多すぎて困るから便利なツールが出てくるのでしょう。
ちょっと待てよ。
トイレに入って座って用を足して、水か湯で洗ってもらって、
いつしか座り込む和便器より、座る洋便器を選んでいます。
これは、何か違うんじゃないかな。
どんどん便利になるのは、良いけど。
駅でも階段よりエスカレーターの方に行き、
歩くより自転車へ、電車へ、車へとなっています。
そして、肥満を抱えダイエットのためにサプリメントを飲む。
知らないことから、ここまで来てしまいました。
本来知らないがために、知ろうと努力したはずで、
知る過程が楽しいと知っているのに、いつしかイラつくなんて
とんでもないことなのです。
知らないことを、教えてもらうのですから、楽しまなければならない。
無知を隠すために威嚇するなんて、言語道断です。
「無知」の鉢巻をして歩くくらいの気持ちで、ちょうど良いのです。
恥じることなんか何もないのです。
ソクラテスさんだって、自己反省しているんだから。
朝ぼらけ 夕ぼらけまで 昼ぼらけ
2015年4月11日