故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

似島の灯台

2015-04-24 05:37:43 | 思い出話
 似島

村はずれの一本杉のような灯台があります。

真っ暗になって、島へ帰る途中、似島沖まで来ると
ぼんやり、海の中にブイの灯りが見え隠れしました。

島に帰るんだと少し寂しい気持ちで見ました。
島から広島へ行くときは、もうすぐ宇品に着くなと気負いました。

しばらくぶりに帰郷した時見たのは、海中の灯台でした。
ここは、島からの航路の難所だったのです。
春先にはよく霧がでました。
レーダーを積んでなかったフェリーは、欠航になりました。

似島には、親のない子が通う学校がありました。
特別な思いで、砂浜近くの小学校を眺めていました。
今でもあるのでしょうか。
日章旗をあげたポールが、小学校の上の岩山に立っていました。
原爆が落とされたあと、似島沖まで多くの屍骸が流れてきました。
島の人は、海からあげて弔ったと聞いています。

父は、食糧難の時代、仲間と組んで船を仕立て、
似島沖を通り芋を売りに行ったそうです。
帰りの船で、肥えを分けてもらい、畑の肥料にしたのでした。
昭和30年ころまで、肥えのもらい下げは続いたそうです。
闇市で儲けるための危ない夜の運搬だったのです。

瀬戸内海の漁は、盛んでした。
今は、漁師も高年齢、泳いでいると魚がぶつかるほどです。
フェリーから釣り船をよく見ます。
秋口には、回遊する鯵や鯖が面白いように釣れました。

釣り三昧

真っ暗な海は怖いのです。
似島の灯台は、島への帰り道の一本杉は今でも変わりません。
一時間かかった島への航路は、高速艇で半分になっていました。

灯台の 闇の向こうに 島あかり

2015年4月24日
コメント
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