心に余裕を持つまでに、時間がかかります。
例えば、朝の仕度や出がけのルーチンワークをこなしている時、
時間が余れば、何か忘れてないかとか、
もう少しこの味付けはどうにかならないか、
と思います。気にかけていればの話です。
しかし、心の余裕はそうはいかないようです。
40年前のことは、この頃はバッサリと切り崩せますし、
冷静な判断ができます。
しかし、ここ10年の苦労の分析は、心穏やかではありません。
私は、絵手紙を描いたり、文章を書くことが、心を落ち着けるのに
役に立っていると実感しています。
初めの頃は、上手に描こう、感動を伝えたいと考えていました。
線さがし、色さがしに夢中になっていると、
上手く描きたいという邪心のようなものが消えていきます。
頭の中に生まれてくる考えや気持ちを素直に写そうと、
表現に気をつけながら、近づけようとします。
絵手紙も、文章もそのものズバリではないのです。
今の実力とあきらめています。今の味わいです。
つまり、「練る」努力が、少しだけ心に余裕をくれるようです。
余裕綽々となりたいのです。
いつも冗談が言えるようになりたいのです。
周りの人を勇気づけられるようになりたいのです。
鍛錬とは行かないまでも、
自分の気持ちを素直に行動に移すことが毎日できるのです。
ぐずぐず言う前に、動きます。気にかかることを少しでもこなします。
身体の調子が悪いときは、それもできません。
だから、今日は調子がよさそうだが嬉しいのです。
若葉萌え じゃがにトマト 早々に
2015年4月22日