
端午の節句にかしわ餅をいただきました
田舎では、和紙で出来た大きな鯉のぼりを揚げてくれていました。
庭の真ん中に立てた孟宗竹の上で翻っていました。
風がない時は、屋根瓦の上にかかっていました。
武者絵の幟もあったように記憶しています。
50年以上前の記憶です。
子供達には、兜を飾っていました。
かみさんが、手巻きずしを用意しました。
いつものように、一人何個で食べました。
人気が殺到する具材は、両親がまず降り、子供同士で交渉となりました。
社会人となった年に、研修のため秋田に行きました。
角館市から山間に入った集落に行った時のこと。
田植え前の田んぼには水が張られていました。
夜車で走ると、湖の中の一本道を行く感じがしました。
どこの農家も大きくて、門から玄関まで新緑で覆われていました。
桃源郷とは、こんな場所のことだろうかと思ったものです。
「籾摺り機は、要らねえど、腿(もも)摺機なら買ってやってもええど。」
とからかわれました。
おめえ達、おらたちが「馬鹿と言ってもわかんめえ。」と
燻りがっこでお茶する婆、爺にもからかわれました。
どちらでも真っ赤になるしか答えようがありませんでした。
お疲れ様と秋田市の料亭で、きりたんぽをいただきました。
国分寺の駅を降りて、はけの道の坂上まで来ると
新緑が大きく風にゆれて、匂ったものでした。
昨日までの少し暑い感じから、一変涼しくなりました。
お前さん 女あまえて 豆覗く
2015年5月5日