聞き上手が話し上手とは限らないように思います。
大助花子と同様に、先に話されてしまうことが多いのです。
聞かれるので話そうとすると、もう次の話に移っているのです。
正直な大助は、花子の無茶ぶりに戸惑っている様子です。
しかも花子は大助の話を聞くどころか、聞く気が最初からないのです。
花子が勝手に進める話の「間」のようなものです。
そして、ハイハイ分かっているよ。とやるのです。
多少違うけど。大筋合っているからいいやてなもんで。
大助は無精な話下手なのです。大助の無精に共感します。
ふたりのやりとりのちぐはぐさが面白いのです。
はなし家と漫才師の話のうまさは、異なるようです。
はなし家の話は、何度聞いても面白いのです。
漫才師の話は、テンポと展開が面白いのです。
どうしてこの話になっちゃうの。と言う具合に。
では、家庭や職場での面白い話について書いてみます。
大事な要素は、オチです。
話の面白さは言い回しもありますけど、
大半はこのオチに期待して聴き続けるのです。
関西では、小さなオチのボケを三言に一回のテンポでかまします。
私は、話を面白くするために少し脚色をすることがあります。
おもしろいけど、作ったでしょう。と時々言われます。
実生活で、吹いてわいたような面白い話などないのです。
そこに、オリジナリティー溢れるユーモアをまじえるから面白いのです。
あったことをそのまま話すのは、面白くないのです。
1cmを1mに拡大するのです。うそにならない程度の本当の話です。
はなし家は、一人二役をやる時は左右の向きを変えて話します。
仕事でするプレゼンテーションの時も、
一人の人に向かってばかり話すことはありません。
正面の人、そして左右の人に均等に向くのです。
一人だけに向くように話すのは、威圧感になるのです。
話し上手は、極めて短い言葉で、情景を情報をそして愉快さを
伝えることができます。
言葉の選択も語彙の豊富さもずば抜けているのです。
それに
大事なことは、間です。
相手が付いてきていない(咀嚼できていない)のに、話を次に進めないのです。
間をおいて、相手が期待したところにポッと的確な情報を出すのです。
生姜の姜さんの話が心に滲みるのはそのためです。
もうひとつ大事なことは、「必然性」です。
そうだよな。と聞き手に共感を持っていただくことが大事なのです。
それには、あっても不思議はない必然性がなければなりません。
たとえ話をして、聞き手にイメージを膨らませてもらうのです。
必然性は、その人によって違います。
たとえ話が、共感を作りそして必然性となるのです。
話し上手はやはり聞き上手です。
相手が言いたいことを理解する能力があり、
もっと気持ちよく話を進めていただくよう、合いの手を入れなければなりません。
こんなことまで話すつもりはなかったのに。
とあとで後悔していただければ、本望です。
昨日書いた「聞き上手」の行きがかり上、
今日は、「話し上手」に挑戦してみました。
酔っぱらい 柱に小便 犬ほえる
2015年5月21日