私達は、見す見す見逃しているのです。
小さな幸せのことです。
あとから、あれが幸せなことだった。と気づくのです。
つかめば届く幸せをどうして見逃すのでしょう。
これは、大して幸せなことではないと高を括るからです。
決めてかかる、見くびるのです。
きっと謙虚さに欠けているのでしょう。
今だったら見逃さないだろうと思います。
幸せは、ざるの水のごとくこぼれていきます。
「手に届く幸せ」と「手が届く幸せ」の
「に」と「が」の違いです。
「に」は与えてもらうのです。
「が」は能動的に取りに行くのです。
私達の身の周りには、幸せが溢れています。
でも、幸せではないと感じている。
欲張りなのかもしれません。
あるいは、怠惰なのかもしれません。
毎日、ものを書いていると
いわゆる「ネタ」に困ります。
からからの雑巾をもう一度絞り上げるのです。
やっと出て来た一滴のネタを毎日綴っています。
まれに、これが幸せなことなんだと気づきます。
すかさず書きとめるのです。千載一遇のチャンスです。
私は、頭で考えないようにしています。
身体を動かします。
暑いけど、さわやかな風が吹いているな。
眼に優しい風景だな。息遣いが感じられるようになります。
そうすると、脳に刺激が加わるのか気持ちが前向きになり
書くことができるようになります。
手が届く幸せ。
元気に目覚める。これだけで充分です。
愛する家族がいる。そして何かしている。
他には必要ないのです。それが、なかなか分からないのです。
見過ごして 小さき幸せ 風になる
2015年5月28日