
何かを見ています。
何を見ているんでしょう。
この子は自分の意志で、ひたすら見ています。
今日のタイトルは、「日本の行く末」です。
昨夜は、雪が降りました。
開けた今朝は太陽が出て爽やかな朝です。
これから始める雪かきを思うと少し気が滅入ります。
若い時に見た中小企業の力。
無理難題を何でも引き受けてくれました。
訪ねた工場には、大ロットの製品はなく、
異なる会社の難しそうな注文の山でした。
工事の見積もりを依頼すると、必ず現場を見てくれました。
荷揚げに必要な器具、作業現場で使う足場など、
見積もり依頼書には書かれていない段取りを算定するためでした。
私は、大いに助けられたし、多くのことを学びました。
それ以来、業者を会社に呼ぶことはせず、業者を訪ねるようになりました。
その中小企業の後継者がいません。
日本のものづくりが終わりを告げようとしています。
一次産業も同じような傾向です。
日本のものづくりが空洞化するドーナツ化現象です。
手間暇をかけてものづくりをした。
今は、手間を省き時間を縮小することが主流です。
何時の時代も、生き残りをかけています。
料理は、普通の素材を美味しいものに仕上げる技術です。
良い素材(新鮮で高価)を使うことからは知恵は生まれませんでした。
採れる時は余るほどの野菜を加工するのが、受け継がれた知恵でした。
日本は、どこへ向かっているのでしょう。
誰もが経験したことのない状況になりつつあります。
中国は筋肉で、インドは頭で仕事をすると
口の悪い外国人が言っていました。
私は、もう少し生きたい。行く末を見てみたい。
自分の感性で、自分のやりたいことを続けてみたい。
筋肉も頭も、今以上に使わなくてはなりません。
私には、「昔はこうだった」と嘆く暇はありません。
やろうとすれば出来るのです。
「昔からこうだった」と若い人たちは、良いもの(知恵と技術)を
継承しようとしています。
技術は消えていくとしても、知恵が消えることはありません。
日本の若者は、決して逃げないで受け継ぐはずです。
私は終わってはいない。死ぬまで伝えたい。
清流と 混じる濁流 境なし
2018年1月23日