故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

Englishより日本語

2016-10-26 07:18:50 | プロジェクトエンジニアー

プロジェクトエンジニアーの範疇にいれることにします。
相変わらず、時間がない中での投稿となります。

いつか視たテレビでのこと。
出川哲郎とTOEIC900点以上の帰国子女の対決でした。
帰国子女は、ビジュアル的にも結構なハイレベルでした。

課題をいただいた二人は、不得意な英語と得意な英語で、
現地の人(Englishを話す)に道や物事を尋ねました。
出川の体当たりの知ってる英単語のオンパレードに意味不明(現地の人にとって)の日本語での
アタックでした。何を言ってるのかわからないけど、困ってるようだし面白い。
コメディアンみたいにパフォーマンスが優れていました。

一方の英語べらべら女子は、流ちょうな英語で話かけます。
すぐに意志が通じて、なんなく課題をクリアーしたかのように見えました。
この女性、頭が切れるのか的確な表現と英単語を使おうと努力されていました。
一つの日本語の英訳が出てきません。どういったらよいのだろうと悩んでいます。
会話は途切れてしまいました。

結果から、出川に軍配があがりました。

常々思っています。
私も毎日英語でFAXを打ち、国際電話で話していました。
会議もジョークも英語の環境で10年以上(2回に分けて)仕事をしていました。
昼ごはんを外人と一緒にしたくない。
飛び出すジョークの意味が分からず、常に笑顔でした。
そして、何でも「YES」でした。本当に疲れたし面白くなかった。
英語ストレスでした。

この外資系会社を辞めて、エンジニアリング会社で10年仕事をしました。
プロジェクトマネージャーもしました。グループで仕事をし、30近くの協力会社を使いました。
コミュニケーションが取れないと命取りの仕事でした。自分の感性が問われました。

同じ外資系の会社に再度入社しました。英語力は相変わらず低いものでした。
しかし、私はもう終始笑うことをしませんでした。
判らぬ単語は、その場で聞きました。日本語交じりで英語で喋りまくりました。
英語圏の同僚が文脈から、日本語を英語に訳してくれました。
そうそう。と私は相槌を打ちながら語彙が飛躍的に増えていきました。
電話も一時間を超える交渉もなんなくこなすようになりました。
曖昧なところは、理由も伝えてメールを打ってもらい再確認しました。
拙い英語でまくしたてる日本人になっていました。
それからは、外国に一人で出張しても仕事がこなせるようになりました。
私は、最初にコミットメント(約束)をしました。彼らにとっても良い話でした。
その約束を一年かけて実行し、約束以上の成果を出し続けました。
日本のことで困ったら、私に相談しろと海外の同僚間で伝えられていました。
日本での遊びのこと、仕事のこと、疑問なことが舞い込むようになりました。
なんでも相談にのりました。私の感想も考えも、常に理由をつけて伝えました。

つまり「Englishより日本語」となったのです。

私は、海外に行くと客人扱いされるようになりました。
どこでも家庭に招待されて、意見の交換をするようになりました。
私は、民族主義ではありませんが、
日本を日本人を得意な日本語で考えながら、
拙いEnglishでコミュニケーションをとっています。
その会社を辞しても、いまだに友達づきあいは続いています。

私の英語は、3文字英語です。I am a boy だけです。
その代り目振り手振りは一流の日本人です。

ほーいほい とんびが話す ことば何

2016年10月26日
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おおらかに、おおらかに

2016-10-25 07:11:25 | よもやま話

坊さんが屁をこいた。
「だるまさんが転んだ」の関西バージョンです。
目をつむり、唱え終わると振り返り、動く子供の名前を言います。

今日のテーマは「おおらかに、おおらかに」です。
分量の多いさま。たっぷり。
ゆったりとしてこせこせしないさま。おおよう。
(広辞苑より)
女性のシンボル。おっぱい。男が求める「おおらか」は人さまざまです。
「おおらか」の意味は、ふわふわとしてなんとなく嬉しいとなるようです。

付き合っているときは、聞いたことがない。
奥様になって数年すると、屁の音も聞こえるようになってきます。
「おおらかに、おおらかに」

これはあんたの役目でしょう。
お前だって、役目だったこれをしなかったじゃないか
「まあまあ」言い出したらきりがありません。エスカレートするばかり。
年寄りの喧嘩は近所に筒抜けです。
だって、お互い聞こえるように伝えようとするから。
積年の恨みも込めて、この時とばかり大声を張り上げます。
最初から、役目なんて決めなければ良かったのです。
気付いて文句を言うくらいなら、やっておけばよいのです。
出来る人が、出来ない人のためにやる。
自分が出来ない時もあるんだから。
「おおらかに、おおらかに」

草を刈って2週間もするとまた草が生えてきます。
びーっとにらんで光線を放つと、草がすべて抜けてしまう魔法が使えたら。
とお寺の奥さんが言われました。なるほど。
「草にも伸びる権利があるばい」と笑う名人が言われました。なるほど。
「おおらかに、おおらかに」

わたしは切羽詰まってくると、目がつりあがり情けない顔になります。
美人に出会うと今でもドキドキします。
私には関係もなければ、ノーチャンスだというのに。
癒しどころでそっと手を握られ勘違い。そうとも言えないかもよ。
「おおらかに、おおらかに」

「おおらかに、おおらかに」
自分に言い聞かせる。

あれまもう 歩く笑顔が 頼もしい

2014年5月11日投稿記事「アララギ派」を参照してください。
私にも初々しい時があったのです。

2016年10月25日
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田舎自慢

2016-10-24 04:21:54 | よもやま話

出来映えはいまいちです。
怪しげな雰囲気を出せませんでした。
モデルはきれいな人なんだけど。
腕がいまいちでした。ごめんなさい。


今日のテーマは、「田舎自慢」です。

私の田舎は、広島県の一つの島です。
海上自衛隊学校のカッターが、若者の掛け声と共に抜けていきました。
その航路と交錯するように向かいの江田島市に小さな定期船が向かいます。
二つの航跡が交錯する波間に木の葉のような定期船が波をかぶります。
カッターの作る波に洗われ、海面すれすれの定期船の窓には塩がこびりついていました。

遠く望む呉の山より高く鳶が回っていました。
ひばりは、太陽めがけてどこまでも昇っていきました。
江田島湾に静けさが戻り、鏡のようでした。

魚売りの声が響きます。
天秤棒をかついだやじろべえが、よたよたと坂を見え隠れしていました。
「今朝採れた魚はいらんかのう」とのんびりした声が聞こえてきました。
坂道を小さな塊が天秤棒を追い越して上がってきました。
昼飯を食べに家に帰る子どもでした。

田舎には何にもありませんでした。
あるのは何十年も変わらぬ暮らしでした。

東北のこの地に来て、半年が過ぎました。
ここにも何にもありませんでした。
あるのは森とたんぼの繰り返す風景ばかりでした。
車で走っているとよく迷いました。どこも同じような風景でした。
看板も表札も地名表示もありませんでした。
道を聞こうにも道を人が歩いていませんでした。

「つ」が「づ」に聞こえました。
あとからわかりました。
言葉の初めの「つ」はそのまま言えるが、言葉の2番目の「つ」は「づ」になりました。
話し言葉の最後に付く「ぺ」と「ぱい」の違い。
「ぺ」は先輩が使い、「ぱい」は後輩が使います。
「ぱい」は「そうでしょう」と後輩が先輩に同意を求めているのでした。

私の田舎もこの地も何にもありません。
ただ、昔からの暮らしがあるばかりです。

四季折々の花をながめて季節を感じ、旬のものを食べて暮らしています。
どちらがどうと言えません。海と里の違いです。
何にもないのが良い。
迷ってばかりいた道の違いが判るようになりました。

どこでも余るほど作ります。
いっぱい取れた魚は近所に配られました。
筍を食べるかい。
「はい」と答えた1時間後に「かごいっぱいの筍」が玄関先に置いてありました。

ここでは呼び鈴を押すのは、奥の間から呼び出すため。
玄関の戸を勝手に開けて入ります。話をするのは家の中。
都会では、「はいどちら様」と扉が開くまで外で行儀よく待っていました。
この違いです。
田舎では、外と内の境があいまいです。
玄関も縁側もどちらでもない。
「上がったらよかっぱい」の声にいつしか玄関の間に座っています。

「おぶう(お茶)でも」と誘われたら、「帰れ」だなと察する都とは違います。
「そのまんま」が田舎です。
「それでもいろいろあんだよ」と内緒話が始まりました。
「ほうほう」と聞くも半分も理解できません。耳が遠いのではありません。

どこまでも同じ風景が田舎です。
そのまんまです。
田舎自慢でした。

ばあちゃんが おめかし入る コンビニに

2016年10月24日
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課題

2016-10-23 16:55:35 | プロジェクトエンジニアー

今度、国際交流(チュニジアと中学生の交流)を一緒にやる
中学校の校長先生です。何度も描き直しやっと仕上がりました。


今朝起きて、新聞を買いに行きました。3紙も買いました。

新聞に載るのは初めてです。
末娘に新聞沙汰になったよと報告しました。
「ええっ。なにやらかしたのよ」と言われました。
地域おこしの活動を取り上げてくれました。
嬉しいことです。近所の皆さんも末娘も喜んでくれました。

今日のテーマは、「課題」です。
題、また問題を課すること。また、課せられた題・問題のこと。
(広辞苑より)
昨日の朝起きて、妻が今日は何をするの。と尋ねます。
やってほしいことがある時の口癖です。
紙に7項目書き出し、渡しました。
すべて私が「やらなければならないこと」と「やりたいこと」です。
妻と一緒にやること(買い物、今度のフェスティバルで用意するもの)を優先しました。
現在まで、4項目できました。2項目は、後回しにすることにしました。
あと1項目が終わっていません。それをこれからやることになるでしょう。
プロジェクトエンジニアー(コンサル)の仕事です。

思いつくままの施策(図面のチェックと改善点)を提案します。
現在の仕事と関係がない過去の仕事とは思っていません。
いつでも復帰できる仕事(工場造り)だと考えています。
地域おこしの仕事もプロジェクトエンジニアーの仕事と思っています。
提案をし、実行する。
改善点を地域の皆さんに評価していただき、次のことにつなげます。
地域の皆さんは、顧客でありいっしょに実行する仲間です。
面白がってくれるとよいですね。

私は、自分に課題を課します。
これが、重荷になることもあります。
発表をします。私なりのコミットメント(約束事項)です。
約束事項を果たすのが、プロジェクトエンジニアーの仕事です。

村はずれ 杉に約束 錦旗

2016年10月23日
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心の羅針盤(Part2)

2016-10-22 07:07:01 | プロジェクトエンジニアー

立派なアスリートは、コメントがしっかりしている。
イチローのコメントが、次元を超えたように言われることがあります。
一歩も二歩も前を行こうとするアスリートの魂の言葉です。

今日のテーマは、「心の羅針盤(Part2)です。
SNS(Social network systems)で友達リクエストを依頼するとき、友達蘭を見てすることがあります。
この人の友達ならという具合です。
同類項というより、この人を認めているからです。

伝えることは、簡単ではありません。
自分の心を語る。目指す方向性を話す。
目指している方向が伝わってくる。
自分の考えていることをより正確に伝えようと、言葉を選びます。
常に、言葉を探しているから、咄嗟に出てくるのでしょう。

心の羅針盤は、難破する前に正しい方向を教えてくれます。
この羅針盤を覗き磨くようなことをしなければ、目指す方向を見失ってしまいます。
自分はまだまだと思える時間を、自ら作って気づかなければなりません。
身体を使って、仕事をすると端的に分かります。
容易に限界を知ることができます。
アスリートの限界は、時には数ミリいやそれ以下のことがあります。

今日考えたいのは、「心の羅針盤」です。
身体が疲れた時に、心の羅針盤は曇りがちです。
問いかける時の「心の羅針盤」が見えないことがあります。
迷っているときです。
プレッシャーに負けそうな時です。
不満が溜まっているときです。

私は、自らに「お前はこんなもの」と欲張るのを諦めるように唱えることがあります。
何故か心は落ち着いてきます。
自分を過大評価する瞬間起こる心の迷いが、「心の羅針盤」を狂わせます。
最初は、ほんの数ミリだったかもしれません。違和感も感じなかった。
私は、何か違うなと感じると、「お前は、大甘のこんなもの」と
早くリセットするように心がけています。
シンプルな気持ちになれます。
多くの慢心と共にプレッシャーから解放されます。
生まれたままの姿に帰れます。目じりが下がって優しくなれます。
人の話が耳に届くようになり、人の手助けを感じるようになります。
元々服も着ていない赤子だったじゃない。

そんなに自分のことを偉いと思うんなら、やってみれば良いじゃない。
ハイハイからやっと歩き始めた時、両親はこころから拍手を送ってくれましたね。
そんなことを思うようになかなかできないのです。

「心の羅針盤」は、時々ウェートを解いてやり、ゼロ設定をしなければなりません。
美しい絵画や音楽が手助けしてくれます。
家族や友との会話であったり、愛する人とのかけがいのない時間だったりします。
心地よい自分を思い出させてくれます。これがリセットです。

「心の羅針盤」は時には、大いにぶれて揺れ動きます。
壊れていない限り、元にもどります。じっと待つことです。
「心の羅針盤」を自ら破壊することはやめましょう。
もう一度再生するには、時間がかかります。
途方もない時間が過ぎていきます。その間、さらに迷走します。

でも心配ありません。神様は、中古品だけど「心の羅針盤」をプレゼントしてくれます。
仏花ではない、一輪のひなげしと共に。
わずかな光でも良いのです。あなたのひなげしを照らしてくれるはずです。

道標に どちらに行けば 聞く地蔵

2016年10月22日

2015年5月2日投稿記事「心の羅針盤」も参照ください。
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