
「ぴーぷる放送」の「からつ塾」に、唐津市立第一中学校の
3年間、歴史の授業でお世話になった山田洋先生が出られて
いました。
僕は中学3年生の文化祭で山田洋先生脚本の「虹ノ松原一揆」
で、一揆を起こす農民役を演じたので、思い出に残っている
先生でした。
懐かしい山田洋先生の授業を受ける感覚で少し見ようと思ってい
ましたが、どんどん話に引き込まれ結局2時間の講義を
全て見ました。
江戸時代の古地図による唐津の城下町を、現在の写真と照らし合わ
せる前半内容は非常に興味深かったです。
結構、唐津市には、江戸時代初期のままの姿で残ってる石垣や、
門などがあった事に驚き、江戸時代の文献に基づき復元させてる
場所も多いようですね。
旧東高校跡地(早稲田中学開校地)は、元々武士育成の学校があった
ようで、旧志道小学校(現大志小学校)は明治時代には英語学校が
あったようですね。
近松寺側の公園あたりは、元々は牢屋があったようです。すなわち、
刑務所です。
現水主町も、元々は唐津の港拠点で漁業が盛んな町だったようです。
今の街並みとは地形もだいぶ違う異なるようです。
後半は、古文書を解読した講義で、唐津城、名古屋城を築城した
理由、何年に築城されたとかを詳しく教えてくださいました。
現在の唐津城天守閣は、唐津市観光拠点とし金子道雄市長時代に
建築されたようです。「でも、唐津城には元々天守閣が無かったので
佐賀県内の歴史研究家や社会科教師達が建築反対の猛講義を
しましたが、結果的には唐津城目当てに唐津市に訪れる観光客も
多いので唐津市にとっては作ってよかったんでしょうね。」
と、締めくくられました。
先祖代々唐津市に住んでいるものの、唐津市の歴史に無知だった
ので、今回いい機会をいただきました。
中学時代もっと、山田洋先生の授業をちゃんと受けてたら良かった
です。
山田洋先生、からつ塾さん、ぴーぷる放送さん、ありがとうござ
いました。
3年間、歴史の授業でお世話になった山田洋先生が出られて
いました。
僕は中学3年生の文化祭で山田洋先生脚本の「虹ノ松原一揆」
で、一揆を起こす農民役を演じたので、思い出に残っている
先生でした。
懐かしい山田洋先生の授業を受ける感覚で少し見ようと思ってい
ましたが、どんどん話に引き込まれ結局2時間の講義を
全て見ました。
江戸時代の古地図による唐津の城下町を、現在の写真と照らし合わ
せる前半内容は非常に興味深かったです。
結構、唐津市には、江戸時代初期のままの姿で残ってる石垣や、
門などがあった事に驚き、江戸時代の文献に基づき復元させてる
場所も多いようですね。
旧東高校跡地(早稲田中学開校地)は、元々武士育成の学校があった
ようで、旧志道小学校(現大志小学校)は明治時代には英語学校が
あったようですね。
近松寺側の公園あたりは、元々は牢屋があったようです。すなわち、
刑務所です。
現水主町も、元々は唐津の港拠点で漁業が盛んな町だったようです。
今の街並みとは地形もだいぶ違う異なるようです。
後半は、古文書を解読した講義で、唐津城、名古屋城を築城した
理由、何年に築城されたとかを詳しく教えてくださいました。
現在の唐津城天守閣は、唐津市観光拠点とし金子道雄市長時代に
建築されたようです。「でも、唐津城には元々天守閣が無かったので
佐賀県内の歴史研究家や社会科教師達が建築反対の猛講義を
しましたが、結果的には唐津城目当てに唐津市に訪れる観光客も
多いので唐津市にとっては作ってよかったんでしょうね。」
と、締めくくられました。
先祖代々唐津市に住んでいるものの、唐津市の歴史に無知だった
ので、今回いい機会をいただきました。
中学時代もっと、山田洋先生の授業をちゃんと受けてたら良かった
です。
山田洋先生、からつ塾さん、ぴーぷる放送さん、ありがとうござ
いました。