2013年、今年最初のハイキングは源平合戦の舞台となった「屋島」でした。
一ノ谷で敗れた平家は四国の屋島に逃げました。義経は平家を追って嵐の中を舟で阿波に上陸し、陸路から屋島に迫り背後から平家を急襲。驚いた平家軍は船に乗って海へ逃れ、海上から応戦し、激しい攻防が繰り返されました。熾烈を極めた源平合戦屋島の戦いは両軍大きな痛手をはらい、平家が屋島を去っていく事で終結したのですが・・・この戦い後、平家は最期の運命を壇ノ浦で迎えることになるのです。
<1月16日撮影>
平らな山「屋島」…車窓から
今は半島のようになっている屋島ですが、源平合戦のあった頃は独立した島だったそうです。干潮時には騎馬で渡れるようになるので、義経はこれを見抜いて奇襲したようです。
讃岐東照宮「屋島神社」
風光明媚な屋島山麓にあり、ここからの眺めも素晴らしいです。ただ電線がたくさん写りこむので写真はありませんが…。まずはここを参拝し、山頂を目指します。山の絶壁になっている所が山頂南端の「冠ヶ嶽」展望所。平に見えた屋島も見る角度によっていろんな形に姿を変えます。
登山道
山頂にある四国八十八箇所霊場の第八十四番札所「屋島寺」に至る遍路道にもなっています。
沿道にはいたる所に大小のお地蔵さまが祀ってありました。地元のボランティアの方達が丹念に清掃し、花を手向けていらっしゃるそうです。
「屋島寺」山門
「屋島寺」本堂
屋島寺は律宗の開祖である鑑真が天平勝宝6年(754年)に当地を訪れて開創したと伝えられているそうです。
山頂展望所「獅子の霊巌」から望む高松市内
屋嶋城跡城門(保存工事中) / 運行廃止となった屋島ケーブル山上駅建物
日本書紀には「讃吉國山田郡屋嶋城」(さぬきのくにやまだのこほりのやしまのき)と記述され、讃岐国山田郡(現在の香川県高松市)の屋島に古代山城があったとされ、その遺構が見つかっています。
山頂南端「冠ヶ嶽」から望む高松(古高松)市内
談古嶺の「源平屋島合戦史跡案内図」
談古嶺から望む、源平合戦「屋島の戦い」の古戦場
安徳天皇社、義経弓流し跡、佐藤継信の墓、菊王丸の墓、船隠し・・・などたくさんの史跡があります。
屋島北嶺「游鶴亭(展望所)」から望む瀬戸内海
源平合戦「屋島の戦い」ではたくさんの逸話が伝えられています。「那須与一の扇の的」の話や「義経の身代わりとなって散った佐藤継信」の話、「海中に弓を落とした義経が命がけで弓を取りに舞い戻る」という話、「平家の家臣菊王丸の死を悼み、戦いをやめて沖へ引き上げていった優しい平家一門」の話などなど・・・屋島にはそれらにちなんだ碑や史跡が多数あります。
1月16日、この日は寒波の谷間なのか暖かくてお天気もよく、絶好のハイキング日和でした。今回はこれらの古戦場を山上から眺めたのですが、機会があれば是非、史跡めぐりをしてみたいと思っています。
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一ノ谷で敗れた平家は四国の屋島に逃げました。義経は平家を追って嵐の中を舟で阿波に上陸し、陸路から屋島に迫り背後から平家を急襲。驚いた平家軍は船に乗って海へ逃れ、海上から応戦し、激しい攻防が繰り返されました。熾烈を極めた源平合戦屋島の戦いは両軍大きな痛手をはらい、平家が屋島を去っていく事で終結したのですが・・・この戦い後、平家は最期の運命を壇ノ浦で迎えることになるのです。
<1月16日撮影>
平らな山「屋島」…車窓から
今は半島のようになっている屋島ですが、源平合戦のあった頃は独立した島だったそうです。干潮時には騎馬で渡れるようになるので、義経はこれを見抜いて奇襲したようです。
讃岐東照宮「屋島神社」
風光明媚な屋島山麓にあり、ここからの眺めも素晴らしいです。ただ電線がたくさん写りこむので写真はありませんが…。まずはここを参拝し、山頂を目指します。山の絶壁になっている所が山頂南端の「冠ヶ嶽」展望所。平に見えた屋島も見る角度によっていろんな形に姿を変えます。
登山道
山頂にある四国八十八箇所霊場の第八十四番札所「屋島寺」に至る遍路道にもなっています。
沿道にはいたる所に大小のお地蔵さまが祀ってありました。地元のボランティアの方達が丹念に清掃し、花を手向けていらっしゃるそうです。
「屋島寺」山門
「屋島寺」本堂
屋島寺は律宗の開祖である鑑真が天平勝宝6年(754年)に当地を訪れて開創したと伝えられているそうです。
山頂展望所「獅子の霊巌」から望む高松市内
屋嶋城跡城門(保存工事中) / 運行廃止となった屋島ケーブル山上駅建物
日本書紀には「讃吉國山田郡屋嶋城」(さぬきのくにやまだのこほりのやしまのき)と記述され、讃岐国山田郡(現在の香川県高松市)の屋島に古代山城があったとされ、その遺構が見つかっています。
山頂南端「冠ヶ嶽」から望む高松(古高松)市内
談古嶺の「源平屋島合戦史跡案内図」
談古嶺から望む、源平合戦「屋島の戦い」の古戦場
安徳天皇社、義経弓流し跡、佐藤継信の墓、菊王丸の墓、船隠し・・・などたくさんの史跡があります。
屋島北嶺「游鶴亭(展望所)」から望む瀬戸内海
源平合戦「屋島の戦い」ではたくさんの逸話が伝えられています。「那須与一の扇の的」の話や「義経の身代わりとなって散った佐藤継信」の話、「海中に弓を落とした義経が命がけで弓を取りに舞い戻る」という話、「平家の家臣菊王丸の死を悼み、戦いをやめて沖へ引き上げていった優しい平家一門」の話などなど・・・屋島にはそれらにちなんだ碑や史跡が多数あります。
1月16日、この日は寒波の谷間なのか暖かくてお天気もよく、絶好のハイキング日和でした。今回はこれらの古戦場を山上から眺めたのですが、機会があれば是非、史跡めぐりをしてみたいと思っています。
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