湾岸戦争の時、ニュースをみても何が始まったのか、どういう背景なのかさっぱりわかりませんでした。遅ればせながら、中東に関する書物を読み「ムスリム」やパレスチナの存在を知り、友人がやっていた「パレスチナと仙台を結ぶ会」の学習会に参加したりしました。その頃は「ガザ自治区」でもなく、イスラエルの入植たちに虐げられていた民衆の「インテファイダー」のが自発的に盛んな時期でした。
インテファイダーとは?
1987年12月ごろから、パレスチナ人が自然発生的に投石などによってイスラエル占領地支配に抵抗して一斉に蜂起した(第1次)。自発的な民衆蜂起はパレスチナ自治への動きの起爆剤となった。(SNSより抜粋)
まあ、私はその学習会からは、今は遠のいていたんですが、学習会の主催者が、抗議の行動を起こしていることを知り、自分の意思でデモに参加しました。幸い長年の友人も参加してると知り、協力を得ての参加でしたが車椅子の私が参加したことで、周りに気を使わせてしまったみたいです。それはありがたかったけれど、やはり個人の立場での飛び入り参加は、健常者の方々を動揺させてしまったかなと反省したりしました。私は、どんな理由があろうと「戦争反対」です。たくさんの子供達が殺されている現状に胸が痛く、微力ながら何かしたいと思いました。
とはいえ、本来は「ミーハーおばさん」の私、街のイルミネーションも楽しんでもきました。多賀城駅前のイルミネーションには「悠久の詩(うた)都のひかり」という名称が付いてます。仙台の光のページェントに比べればちゃっちいですが、地元の商工会議所の若手有志の発案で始まったらしい、このイルミネーション。毎年楽しみにしています。只今、お歳暮真っ盛り、お礼の電話の中で、互いの近況報告をしあい、繋がりを実感しております。皆さんありがとうございます。