『60』という数字は便利な数字であった。ページを割いて『60』という数字について語る。
人類の文明開化は、BC5000年に始まっている。今をさかのぼること7000年も昔である。それは遠い遠い昔であるといっていい。
文明を開いた人間たちが、どこから来たのかは定かではない、また、彼らが定住したところが古代バビロニアの地であったのかもわかってはいない。後世の人間たちは、彼らをウバイド人と呼んでいる。
時代は下ってBC3800年頃にシュメール人と呼ばれる人間たちが、その地に定着してシュメール文明と呼ばれる、メソポタミア文明の基礎となる文明を開いて、地球上の中近東と呼ばれる地に、この時代、もっとも繁栄した地帯を築いたのである。
彼らのやったことは凄いの一語に尽きる文明開化事業である。世界で最初であろうと思われる美術、建築、そして、律令、細やかな慣習、社会機構の構築、初めてのクサビ形文字の作成、船、車つき戦車などをこの頃のシュメール人は造ったと言われている。
また、天文についても太陽の巡りと月の巡りを正しく理解して、太陽の運行周期に対して月の運行周期の12倍であることを確かめ、秒、分、時も定めたと言われている。彼らの暦は月の運行による太陰暦であった。それから、いま私たちが使っている7曜制も定めていたらしいと言われている。このようにして、今、地球上で最古であろうと言われる高度の文明を持った都市国家を建設していたのである。
算用に使用する数進法は、12進法であり、1から100までの中で約数が一番多い60を基数とした60進法であった。しかし、60進法記数法は、60を基底にした記数であり、60種類の数字を必要とする。これでは多すぎるということで両手の指本数による10進法で表す工夫がされていたらしい。
このシュメール文明では60進法に基づく整然とした度量衡制度まで有していたらしいといわれている。
彼らがつくったシュメール文明がメソポタミア文明に引き継がれ、エジプト文明、インダス文明、クレタ文明の誕生に影響したと推察されている。また、これらの文明と交流があっただろうと考えられている。
古代メソポタミア文明に影響を及ぼすシュメール文明の精緻な体系がエジプトにわたり、バビロニア、アッシリアを経由して、古代ギリシアにも継承されたと考えられている。
『60』という数と文明には、地勢とそこに住む民族が関係する。古代のバビロニアとエジプトを比べると、バビロニア地方は戦いが多い地方であったらしい、シュメール人は、好戦的で戦いに強く周辺の民族と絶えず、戦いに明け暮れていたのではあるまいかと思われる。エジプトは、周辺の民族とは争いが少なかった。『60』という数字は、戦利品の分配に使われた数字なのである。約数の多い60なる数が分配のパターンも多く、平等を原則とする戦利品の分配に使うのに便利な数であったのである。争いごとの少ないエジプトでは、10進法による数で事足りたらしい。
これが『60』という数の由来である。
人類の文明開化は、BC5000年に始まっている。今をさかのぼること7000年も昔である。それは遠い遠い昔であるといっていい。
文明を開いた人間たちが、どこから来たのかは定かではない、また、彼らが定住したところが古代バビロニアの地であったのかもわかってはいない。後世の人間たちは、彼らをウバイド人と呼んでいる。
時代は下ってBC3800年頃にシュメール人と呼ばれる人間たちが、その地に定着してシュメール文明と呼ばれる、メソポタミア文明の基礎となる文明を開いて、地球上の中近東と呼ばれる地に、この時代、もっとも繁栄した地帯を築いたのである。
彼らのやったことは凄いの一語に尽きる文明開化事業である。世界で最初であろうと思われる美術、建築、そして、律令、細やかな慣習、社会機構の構築、初めてのクサビ形文字の作成、船、車つき戦車などをこの頃のシュメール人は造ったと言われている。
また、天文についても太陽の巡りと月の巡りを正しく理解して、太陽の運行周期に対して月の運行周期の12倍であることを確かめ、秒、分、時も定めたと言われている。彼らの暦は月の運行による太陰暦であった。それから、いま私たちが使っている7曜制も定めていたらしいと言われている。このようにして、今、地球上で最古であろうと言われる高度の文明を持った都市国家を建設していたのである。
算用に使用する数進法は、12進法であり、1から100までの中で約数が一番多い60を基数とした60進法であった。しかし、60進法記数法は、60を基底にした記数であり、60種類の数字を必要とする。これでは多すぎるということで両手の指本数による10進法で表す工夫がされていたらしい。
このシュメール文明では60進法に基づく整然とした度量衡制度まで有していたらしいといわれている。
彼らがつくったシュメール文明がメソポタミア文明に引き継がれ、エジプト文明、インダス文明、クレタ文明の誕生に影響したと推察されている。また、これらの文明と交流があっただろうと考えられている。
古代メソポタミア文明に影響を及ぼすシュメール文明の精緻な体系がエジプトにわたり、バビロニア、アッシリアを経由して、古代ギリシアにも継承されたと考えられている。
『60』という数と文明には、地勢とそこに住む民族が関係する。古代のバビロニアとエジプトを比べると、バビロニア地方は戦いが多い地方であったらしい、シュメール人は、好戦的で戦いに強く周辺の民族と絶えず、戦いに明け暮れていたのではあるまいかと思われる。エジプトは、周辺の民族とは争いが少なかった。『60』という数字は、戦利品の分配に使われた数字なのである。約数の多い60なる数が分配のパターンも多く、平等を原則とする戦利品の分配に使うのに便利な数であったのである。争いごとの少ないエジプトでは、10進法による数で事足りたらしい。
これが『60』という数の由来である。