この薄汚い停留所が
青梅の映画館
モノトーンの猫の絵はこの停留所に収まっているのです。
真夏の日差しの中で
ちょっとした蔭を作っています。
いかにも壊れそうな
この停留所にあれこれの世界が詰まっている。
目を閉じればどんなものでも見える。
じっとしていれば
欲しいものは目の前にある。
その気にさせてくれます。
見えるものより
あれこれ目を閉じた世界の方が
広がりがあって嬉しいものですね。
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「雨にも負けず」(宮沢賢治)は
本当はすごい詩なのだ。
いつも、そう思っていたのですが
最近は人年を多く重ねた分
以前と違って
ちょっと重くなった。
最近
現役のときに大切だと思った
会社やそれにまつわる
あれこれのことが
泡沫にうかぶ笹舟に似ていることに気づいたり
成功者の栄誉は芒のようであったことが分かったり
今でも、その芒にしがみつく人々を見ることが多い。
友と一緒だと思ったことが
金の手錠で結ばれていただけだと気づいたと
赤面している人もいる。
遅くても気づいたらそれでいい。
あれほど多くの人に囲まれて飲んだ酒を
スーパーに出かけ
買ってきては一人で飲んでいる。
そんな人も身近にいる
そんな姿を見るたびに
それが当たり前なのだと見えてくる。
一人で歩いている淋しさが
老人なのだと思えるようになりました。
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遠藤周作原作
熊井啓監督
「深い河」を見ました。
小説も素晴らしいですが
映画も映画として素晴らしいですね。
あれこれの
人生で学術的には説明できない何かを
それもある
そんな視点で描いています。
日本人的な感性ではとらえきれない
キリスト教
総てを飲み込むガンガーなども
正面から映像化しています。
私はキリスト教の司祭になりきれず
ベナレスに自分の働く場を見つけた
大津に大変興味があります。
その彼が
「ボクの人生、これでいいのです」
と事故に遭い、瀕死の状態になったとき
主人公に語っているのです。
意味するところは分りませんが
とても印象に残っているのです。
このシーンのこの言葉を聞くと
不器用で自分に忠実に生きようとすればするほど
中心から外れてしまう、
大津の心情に
心ゆすられ
涙が溢れてしまうのです。
ときおり、このようにして
精神の浄化をしなければ
毒素だけが残ってしまいます。
そんなときのための映画って言うのもありますね。