あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

雨が降ると残りの日々を数えたくなる。

2008-08-28 15:10:01 | 日記
雨の日は、何となく引き算したりして
自分の残された日々を考えたりするものです。
よく、できなくなったことを数えるよりも
死ぬまでにできることを数え
挑戦したほうがいいという言い方をする人もいる。

でも、そんな健康で前向きな人だって
今日の気分で支配されるのです。
人は頼りないものです。

私はそのことをよく知っています。

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自動車会社でエンジンの設計をしている男がいる。
戦車の製造工場で大砲を作っている男がいる。

どこがどう違うのか?

橋の強度計算をする男がいる。
生コンを運んでいる男がいる

どうがどう違うのか

背広で怪しげな商品をセールスしている男がいる
言葉巧みに事情を説明している政治家がいる。

どこがどう違うのか

貞節そうで意地悪な上品な女がいる
ぎとぎとで男を挑発する女がいる。

どこがどう違うのか

刑務所で命の尊さを諭す坊主がいる
神は愛であると教え込まれている男がいる。

どこがどう違うのか。

どんなことでも説明がつく。
それが上手にできるかできないか

それだけの違い。

蝶は気楽でもない

2008-08-28 06:10:05 | 日記
蝶はせわしなく動いており
写真を撮るのが難しい。

落ち着きがなく
苛立っているような飛び方

ただ蜜をもとめているだけなのに
悲壮感があります。

きっと、

蝶も気楽ではないのだ。


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「スキヤキウエスタン・ジャンゴ」
をもう一度見ました。

才能があるのかどうか分りませんが
なぜ和製西部劇なのか
意図が分りませんし
映像に新鮮さもありません。
監督は、映画界の閉塞状態を打破したい
「風穴を」という野心があったのかもしれません。

でもはやり駄目ですね。
まったく駄目ですね。

観客が喜べない。
そこでおしまいですね。

意味不明な物語です。
源平がでてきたり
マカロニウエスタンが隠し味されたり
コラージュ的に映像を作ろうという試みなのでしょうが
イタリア映画のぎとぎとがありません。
日本人には作れません。
また、さりとて日本的な気配を感じるのは衣装くらいなもの

それと、主演の伊東英明は言葉が軽く、力がありません。
低い声で不器用な、三船敏郎のような声が荒漠とした風景には
似合いますね。
青春ドラマの会話のようにしか聞こえません。

手製の機関銃を振り回すシーンがありますが
俳優が体力がないのか機関銃を振り回す迫力がなく
よたよたしながら引きずっている印象しか与えません。

頭に銃弾が当たるシーンも演じる俳優が肉体的にひよわなので
弱いものいじめ、銃弾が当たらなくても死にそうな印象を与えてしまいます。

全体がそんな感じです。
だからどうのこうのという話ではありません。

ただ、途中で何度か「もういいや、見たことにしよう・・・」
そう思ったことは確かです。

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「夕凪の街・桜の国」(佐々部清監督・田中麗奈主演)

被爆者の戦後
そして、どこにもある庶民の生活
そして、代が変わってからのできごとを
淡々と過剰にならず、
抑制が効いているので皮膚から伝わるものが大きな映画です。

きれいごとといわれればれまでですが
丁寧な映画つくりですし
脚本もしっかりしているので
見ごたえがありますね。

俳優も思い入れが過ぎない演技で好感がもてます。
佐々部清監督は「半落ち」の監督ですね。
地味ですが詩情もある監督ですね。

こんな監督がいることだけでもうれしいですね。

私は俳句的というか
過剰な説明や映像や監督の思い入れによる技巧的名映像よりも
「何これ?」くらいの映画が好きです。

その意味ではこの映画はいいですね。
この映画は女優もいいですが
脇の俳優もいいですね。