あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

雨の日は何も思いつかない

2008-08-25 15:38:47 | 日記

川越の店です。

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雨の日は出かけることがままならず
家でDVDで「海猿」を見ていました。
若者がいつしか大人の海上保安官に育っていく
そんな姿を描いています。

感動ものがすきなのです。

みなとみらいの海上保安庁の基地にいくと
「しきしま」などの船が停泊しています。
船を見ていると、映画を思い出します。

何もないのが当たり前で
何かがあるから映画になるのですが
船を見ていると、何かが起こりそうな気がするのが
思い込みオジサンの不思議です。


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机の上が出鱈目状態なので
目の前の本を整理しました。
そうしたら「仏教VS倫理」(末木文美士著)が出てきた。
KUMAZAWA書店のカバーがついていたので
その気があって手に入れたものなのでしょう。
どうして買ったのか理由が分りません。

多分著者が放送大学の仏教関係の講義を担当しており
その講義を聞いていたことがったのがきっかけだと思います。
「目次」を読んでも、著者が言いたいことが理解できません。

多分、途中で投げ出したのですね。

仏教というとブッダですが
日本の仏教は、ブッダの教えの流れにつながった
始祖教であって、ブッダの教えそのものの
いわゆる仏教ではないのですね。
真言宗、浄土真宗等という
ものなのですね。

果たしてブッダの教えを踏まえた独自のものなのか
まったく新しいものなのか判断できませんが
そんなことに関心を向けた時期があったのは間違いありません。

少なくとも東京に転居してから手に入れたのですから
つい最近、関心を向けたのですね。

今では、そんなことを考えもしませんが、
そんな時期もあるのですね。

今日も雨の一日です。

2008-08-25 05:58:59 | 日記
エプロン亭(川越)

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今日も雨です。
風邪を引かないように注意しましょう。
一雨ごとに秋の気配になり

この秋の風になるとコスモスの畑が恋しくなります。
昭和記念公園のコスモスを見ると
一年が終わります。

新しい年を無事迎えられるでしょうか?

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オリンピックに夢中になった人も
今日は仕事ですね。

御苦労様です。

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写真を撮りにいこうか
家でじっとしていようか

暇な老人はあれこれ迷うものです。

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「剣客商売」は面白い
悪代官もでてこないし
阿漕な越後屋も出てきません。

でも、人物が描かれているので
しっかりした物語になっています。

このドラマは何と言っても音楽が面白い。

篠原敬介(後で確認しておきます)が担当しています。
モーツアルトのオーボエ協奏曲
フォーレのエレジー
ラベルの亡き王女のパバーヌ
など洒落た音楽を流すので
時代劇でありながら
情感がいっぱいになるのです。
船が行き交う川も
秋山小兵衛の住居もしゃれています。

そこにかぶる音楽ですから
気分が高まりますね。

私はギター、オーボエ、チェロの音に弱いのです。

このような映画音楽では
冨田勲の「隠し剣・鬼の爪」
佐藤直紀の「海猿」「三丁目の夕日」が好きです。

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知人から「心にナイフをしのばせて」(奥野修司著)
をお借りました。
二つの殺人事件を取り上げて被害者の葛藤を取り上げています。
最初に「タイトル」を読みました。
そして、かなりの失望をもって読みました。

「心」という文字をタイトルにしたところから
この著者はあいまいな人だなと思いました。
意味不明なあらゆることを分ったふりをして
使うのが「心」であり
素人の一般の人が使うならいざしらず

作家がタイトルに「心」を使うのは如何なものか?

内容については、加害者を追い、被害者の現実を
取り上げます。
かなり深いところまで負っていますが
資料となる何かを探している情熱に支えられているだけです。

そこにあるのは加害者は許してはいけない悪い奴
当然、結果として「許してはいけないことをやってしまった子」
と断罪し
それでもたりませんから加害者の親まで、あっさり断罪します。
それでは素人の正義感と同じではないか?

そして、被害者は「どうして私たちが・・・」と嘆く
同情すべき人という図式が出来上がっています。
ですから、そのような内容が安全な記事としていっぱいでてきます。
それだけでも著者の資質が分ります。

よく新聞に出てくる心理学者
結果があれば、どのような説明がつく
そんな「美味しい解説をする」学者に
「被害者の心理」を批判的に推理してもらったら如何でしょうか。

多分、新聞社もそんな記事は載せないでしょう。
学者は読者の公約数をもっともらしく述べる。
新聞社はそのようなコメントでよいという判断で
学者を選んでいる。

本当のことは分からない。
言葉で説明されたものは、危ういし、どのようにでもひっくり返る。
殺人犯、本人でさえ分らないことをどうして分ろうとするのか?

きっと、心理学的には解明が進ます
医学的というか科学的な説明
殺人を制御できないほどに体内物質が流れ出したとか
理性的判断を維持する物質が欠乏したため
そんな説明が支配的になるのでしょう。

ということは心理学的説明はもっともらしいけれど
何も説明されていないし
その説が正しいという根拠がない。

このような本を読むと大部分はそのとおりなのでしょうが
最初から立つ位置を誤っているので
読んでいて物足りなさだけが残りました。

それにしても、宗教と哲学は流行りませんね。
この本でも意識的に廃除されています。

それにしても事件を追うスタイルの本やはっていますね。
でも、興味はわいてきません。