あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

野分抜け房総の海しずかなり  あきオジ

2009-09-01 21:12:18 | 日記
川越の陶器屋

和風であればいいっていうわけでもないでしょうが
それぞれがそれぞれの工夫というところが面白い。

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今日の啄木

あらそいひて
いたく憎みて別れたる
友をなつかしく思ふ日も来ぬ

こんなこともあったのですね。
それにしても、いまどき
啄木を口にする人もいませんね。
「現代の短歌」では、外していますね。
時代と共に評価が変わるのですね。
普遍的な評価などありはしません。
それぞれが、それぞれによいと思えば
それでいいののです。

普遍的な評価があるのは「万葉集」と「源氏物語」
その程度かもしれませんね。

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今日の放哉

花火があがる空の方が町だよ

方向感覚、時間感覚は、とんでもないものでつかんでいる人がいる。
昔なら、山、火の見やぐらなどで方向を確認したし、太陽の位置で時間を知った。しかし、最近はそんなことも少なくなりましたね。ですから、このような句に出会うと、自分の方向感覚を再発見させてくれるような句です。

この句を読んだとき「寅さん」を思い出しました。寅さんなら気取ってこんな表現をするだろうな。そう思ったのですね。そう思いませんか。

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今日の山頭火

阿蘇がなつかしいりんどうの花

なんともない句なのに、この時期にこの句に出会うとあのスケールの大きな風景を思い出しますね。この当たり前の句を読んで、何かを感じるとすれば、句を読む人の経験との関係になるのですね。ですから、句のよしあしなどと関係ないところで響いてくる。それが俳句の面白さですね。

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今日の蕪村

あちらむきに鷗(しぎ)も立たり秋の暮

いかにも江戸時代、雰囲気も江戸時代
このような情景に最近は出会わないし
このような発見はない。
ここにあるのは江戸時代の美意識なのです。
その時代をつかむから面白い。

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朝の風

何もないことを楽しむなど
おおきなこといったけれど
結局は小さな楽しみに流れるのですね。
なさけないけど
こんなものです。

決して悟ったようなことを言わないこと
ついでの説教はしないこと。

わかるための人生なんてつまらない。
そのまんまにしておこう。