あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
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読経流れ蓮微動せぬ池しずか  あきオジ

2009-09-07 05:35:51 | 日記
七里ガ浜

帰りには真っ赤になった肌が痛そうだけれど
それも夏の思い出になりそう。

あきオジの夏は記憶に残らない
旅もなければ海もない。
そんな何もないことを求めていたのかもしれません。

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今日の斎藤茂吉

秋の日は対岸の山に落ちてゆきて一日はやし日月ははやし

そう、秋の日ということもありますが、年をとると一日が早い。
この歌は松山滞在中の作だそうです。
松屋から山陽方面に日が落ちて行く風景は絵になりますね。
山影が美しく、海が輝きながら日が沈む。
それが瀬戸内海の夕日なのです。

懐かしいですね。ときおり落日を見に行きたい思いになりますね。

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今日の方代さん

一粒の卵のような一日をわがふところに温めてゐる

柔らかな感性と表現の「ほのぼの」そして、換骨奪胎した表現が短歌的であり方題流なのですね。そのままでは料理されない素材のようなもの。自分流に料理してお出ししましょう。そんな作ですね。ほのぼのいろが浮かんできますね。

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今日の放哉

とんぼの尾をつかみそこねた

このような日常の中の一瞬をつかむ楽しさ、そして、それを句にする。それが放哉の日々だったのでしょうか。放哉のような人が、そこにまで気持ちを集中するためには、切り捨てる。はぎとる。そんなことの連続だったのでしょうね。放哉には忍耐が必要だったでしょうね。

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今日の山頭火

みんなたっしゃでかぼちゃの花も

ほのぼのなにごともなく。だから言葉もなく、句もなく
それが幸せというものなのでしょう。
幸せならば句など作らないでしょう。
幸せならば旅に出ないでしょう。

そこにないと実感するから旅に出るのですね。
ここにはないことは確か
向こうにはあるかもしれない。
そんなことなのですね。

ぼんやりのオヤジには想像もできない。

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