あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

清貧の家に客あり蘭の花     子規

2009-09-17 05:57:30 | 日記
巾着田の水車

今年はコスモスを育てていないようです。

しばらくは花が少ない季節です。
昭和記念公園の
コスモスが咲くまでは、までは、じっとしています。

思えば60歳まで花など「知ったかぶり」のネタていどの興味しかありませんでした。好きになる余裕がなかったのですね。
花は暇がない人には、装飾の意味しかないのかもしれません。

それが昭和記念公園に足をむけ、神代植物園に出かけるようになり
年間パスポートを手に入れてその気になってから
興味をもてるようになりました。
まさに、好きだから足しげく通うのではなく
通っているうちに好きになるのですね。

今では写真ネタがなければ昭和記念公園
退屈したら神代植物園になりました。

これで老後の楽しみその1ができたのです。

そして、このブログを作ることで
俳句と短歌に興味がもてるようになりました。
まだ、おもしろそうな句を探し
おなじみ歌人をつくり、仲良くする段階ですが
けっこう楽しんでいます。
今は、作家を絞って楽しんですが
どうなることやら・・・・まあいいか。
そんな感じですね。

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今日の子規

清貧の家に客あり蘭の花  

静かな部屋、見舞客なのでしょうか。訪ねてきた。
会話も途切れがちで、ときおり、話題の接ぎ穂が見当たらず
部屋に飾られた欄に目をやる。
自分を傍観的に見ている不思議な雰囲気の句ですね。
でも立体的なところが好きです。 

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今日の方代さん

とぼとぼと歩いてゆけば石垣の穴のすみれが歓喜をあげる

そんな風景ありますね。そして、発見。歓喜というのは方代さんの表現。「あれっ」くらいが自分らしい。でも、このような発見を楽しむ散歩って、ありそうでないですね。無理して意味付けしたり、高尚な解釈をしたり、思い入れたっぷりの感動を持ち込まないのがいい。それが自分のスタイル

文学的解釈ほどあてにならないものはない。句を作った人しかわらない内面や思いをどうして他人が外から知る事ができるだろうか。そんな気がするのです。自分がお気に入りなら、とんちんかんでもいい。そんな開き直りです。素人って怖いですね。

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おまけの方代さん

ことごとく空しき歩みつづけ来て尚この道にゆき暮れんとす

方代さんらしい展開の前触れのような作品ですね。でも、真剣に「なにかあるのではないか」という期待感がある。そんな年代の作品ですね。そう思います。

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今日の放哉

寒さがころがる落葉が水ぎわでとまった

「剣客商売」のタイトルが流れるとき、疏水が写しだされます。そこに何枚かの落葉が流れてきます。カメラはその紅葉した葉を写します。その紅葉は流れに乗って動き始めます。それをカメラは追いますが、紅葉は途中で止まってしまいます。でも、その紅葉に押されるようにして別の紅葉が動き始めます。出だし、絶好調、四カメラマンの趣味的世界です。いいですね。そんなことを重ねていました。

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今日の蕪村

秋たつや何におどろく陰陽師

秋立つや素湯香ばしき施薬院

蕪村の時代を超えた思いめぐらしの句で、ほっとしますす。小津安二郎の「東京物語」で尾道から上京してきた老夫婦が、子どもたちに勧められて熱海の温泉に一泊します。眠れられないで過ごした朝、二人は堤防に座り込んで海をじっとみます。その姿を見ていると、語らないのに過ぎし日の思い出を懐かしんでいるように思えました。余韻がたっぷりのシーンでしたが、思い出すということはさみしいけれど、自分を確かめることです。蕪村はなぜか自分の過去ではなく、古のよき時代をイメージとして懐かしんでいます。自分に引き寄せないところが絵画的で美しいですね。日本画でこのようなイメージの作品がありそうですね。院展や日展あたりだったら、この句に触発された作品がありそうですね。


温泉の底に我足見ゆるけさの秋  蕪村

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今日の一茶

雀の子そこのけそこのけお馬が通る

横乗りの馬のつづくや夕雲雀

二句並べると、街道筋の風景だとわかります。一茶の句集を読んでいると
「そこのけそこのけ」という言葉がときおり見られます。その言い切りというか、
おおらかさがとてもいいですね。

雀と言えば、次のような句があります。この句も一茶ですね。

竹の子と品よく遊べ雀の子

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