あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

病床やおもちゃ併(なら)べて冬籠    子規

2009-09-10 05:52:36 | 日記
江ノ電は、ホームが短いために
車両がホームにかからないなど
楽しいことがいっぱいある。
そんな自分だけのワンダーランドをもつと
楽しいですね。

・・・・・・・・・

今日の子規

病床やおもちゃ併(なら)べて冬籠    子規

冬籠りなどと一般的な季語を選んで平静さをたもっているところが
痛々しいですね。
この時期、痛さとか精神的な葛藤を俳句にして吐き捨てる。
そんな日々だったのではないでしょうか。
それにしても、おもちゃが病床にある風景は
楽しいですが、裏がわでは、何ともさみしいですね。

・・・・・・・・・・

今日の山頭火

風ふいて一文もない

久しぶりに歩いた。行乞した。一日中花吹雪の中であった。山や海はよかったが、人の情けがなかった。収穫がまるでなかった。
こんな日は本当につらい。野宿しようにもこの風の中では、それもできない。
二月もまだ半ばというように、冬がまいもどったような寒さである。
気がめいってしまいそうなので、一杯やろうと思っても、一文もなし。
寒くてつらい夜。
死んでしまいたい宵。

私は評論家でもなければ俳句を作る人でもありません。
ですから、素人鑑賞のままです。
解釈したり、読みとったり、背景にあるものを引っ張り出して
蘊蓄をのべるつもりはありません。
ただ、ページをめくりながら、目に着いたもの
「何これ」という句を取り上げています。
最近、やっと、それでいいのだと思えるようになりました。

山頭火は「山頭火」(石 寒太)を読んでやっと、身近になりました。
あれこれの句集を読みましたが、この本で山頭火の日記を組み合わせた文庫を発見してようやく、落ち着いて読むことができ、山頭火って、こんなひとだったんだと思うようになりました。

もちろん、美味しそうな所だけをつまみ食いをしていような感じですが、それでも日記に書かれた内容の透明で、ときには、はしたない内容が新鮮なのですね。星野冨弘さんの「愛、深き淵より」に出会った時のような、震えでした。彼の作品は、絵もいいけど、つけられた日記の文章がいいと思いました。山頭火も句集よりも日記の方がいい。組み合わされたものの方が面白いかもしれませんが、素人の乱暴さからいうと、そう思っているかもしれません。

この俳句も、日記分も、個人的な趣味で俳句を読む時、お気に入りですね。
人は薄汚く、ぼろぼろの拝見が見えない作家には、興味もてませんね。

・・・・・・・・・・・・・

今日の方代さん

何のため四十八年過ぎたのか頭かしげてもわからず

「考えても」と流れそうなのに「頭かしげても」と表現したのが方代さんのこだわりなのでしょう。わかるはずもないことであり、そういうものだと言いたげな方代さんが、短歌にしているところが面白い。「そんなことわかっているのにどうして短歌にするの?」と質問すると「だから短歌さ」という返事が来そうですね。

・・・・・・・・・・・・・

今日の一茶

あいつらも夜永なるべしそそり唄

「そそり唄」は、人の気持ちをそそるような流行歌のこと
それよりも現代では、「あいつらも夜永なるべし愚痴ばなし」なのかもしれません。ときには、こんな句を読んで、ほっとしたい。

・・・・・・・・・・・・

今日の蕪村

立ち去ること一里眉毛に秋の峰寒し

蕪村、ときどき漢詩のスタイルを用いて絵画的風景を描く。スケールが大きくて漢詩的過剰表現がありますが、それはそれ、いいですね。掛け軸をとりかえるような雰囲気が見えてきます。ふと見つけて、その見つけた自分に心地よさを感じますね。朝から気分がいいですね。