昭和記念公園のコスモス
昭和記念公園のコスモスは見応え十分
花の色が鮮やか
そしてロケーションがいいですね。
これからの変化が楽しみです。
・・・・・・・・・・
今日の子規
ひねくりし一枝活けぬ花椿 子規
軽快な句ですね。
同じことをいいますが
どんなところでも切り口鮮やかに表現してしまうので
後の時代の人は表現の独自性
素材の面白さ
どれもこれもすべて子規に吸い取られてしまって
すべてが二番煎じ
だから、知的な技巧に走るか
完成度の高さに向かうしかなさそうですね。
何かみずから制限を付けている姿が
伝統芸能というか家伝に流れた茶道に似ている。
時代を動かすような動きはないでしょうかね。
・・・・・・・・・・・・・・・
今日の放哉
ねむの花の昼すぎの釣鐘重たし
蕪村のような世界ですね。
このねむの花と釣鐘という組み合わせで描こうとしている世界ですね。
それもあるかなという感じ
破綻が放哉の表現の面白さなのですが
破綻がないと「おさまりのいいおじさん」という感じで
まっとうですね。
でも、好きです。
・・・・・・・・・
今日の山頭火
まことお彼岸入の彼岸花
彼岸になると必ず咲く彼岸花。なるほど。
そんな「当たり前の発見」なのですね。
彼岸花が咲くと
「昔はどこに行ってもさいていたのにね。」
「私の郷里の神社の床下に咲いていた」
そんな同じ話題が登場し
その去年と同じ話題を楽しんでいる。
人の日々はそんなことで成り立っているのだろう。
そんなことを思ったりもする。
・・・・・・・・・・
今日の芭蕉
酔て寝むなでしこ咲ける石の上
酔った姿となでしこの花との組み合わせ
そして、その舞台が石のうえ
「さすがの芭蕉」「お見事芭蕉」という感じでしょうか。
一度、取り上げたかもしれません。
テキストに赤線が引いてあります。
・・・・・・・・・・
今日の方代さん
鎌倉の古街道に鎌を入れほたるぶくろを刈り残しおく
正統的な作品ですね。刈り残しす、そっとしておく、この趣向どこにでもあって珍しくないのですが方代さんがとりあげるとなると、生真面目そうで面白いですね。
この可憐だから残しておこう。というような感性と表現はどのあたりにあるのでしょうか。やはり芭蕉あたりでしょうか。
・・・・・・・・
今日の茂吉
あはれあはれ備前の長崎か唐寺の甍にふる寒き雨
過剰で思い入れが深い茂吉好きです。いいとしの親父がこんな歌を作るのだ。
そう思うと嬉しいですね。過剰を嫌うのは日本人の感性であり、鑑賞眼だと思うのですが、そうなると幅が狭くなってしまう。「ひらがな」で「小さなためらい」を与えるような歌がいいですね。
・・・・・・・・・・・
昭和記念公園のコスモスは見応え十分
花の色が鮮やか
そしてロケーションがいいですね。
これからの変化が楽しみです。
・・・・・・・・・・
今日の子規
ひねくりし一枝活けぬ花椿 子規
軽快な句ですね。
同じことをいいますが
どんなところでも切り口鮮やかに表現してしまうので
後の時代の人は表現の独自性
素材の面白さ
どれもこれもすべて子規に吸い取られてしまって
すべてが二番煎じ
だから、知的な技巧に走るか
完成度の高さに向かうしかなさそうですね。
何かみずから制限を付けている姿が
伝統芸能というか家伝に流れた茶道に似ている。
時代を動かすような動きはないでしょうかね。
・・・・・・・・・・・・・・・
今日の放哉
ねむの花の昼すぎの釣鐘重たし
蕪村のような世界ですね。
このねむの花と釣鐘という組み合わせで描こうとしている世界ですね。
それもあるかなという感じ
破綻が放哉の表現の面白さなのですが
破綻がないと「おさまりのいいおじさん」という感じで
まっとうですね。
でも、好きです。
・・・・・・・・・
今日の山頭火
まことお彼岸入の彼岸花
彼岸になると必ず咲く彼岸花。なるほど。
そんな「当たり前の発見」なのですね。
彼岸花が咲くと
「昔はどこに行ってもさいていたのにね。」
「私の郷里の神社の床下に咲いていた」
そんな同じ話題が登場し
その去年と同じ話題を楽しんでいる。
人の日々はそんなことで成り立っているのだろう。
そんなことを思ったりもする。
・・・・・・・・・・
今日の芭蕉
酔て寝むなでしこ咲ける石の上
酔った姿となでしこの花との組み合わせ
そして、その舞台が石のうえ
「さすがの芭蕉」「お見事芭蕉」という感じでしょうか。
一度、取り上げたかもしれません。
テキストに赤線が引いてあります。
・・・・・・・・・・
今日の方代さん
鎌倉の古街道に鎌を入れほたるぶくろを刈り残しおく
正統的な作品ですね。刈り残しす、そっとしておく、この趣向どこにでもあって珍しくないのですが方代さんがとりあげるとなると、生真面目そうで面白いですね。
この可憐だから残しておこう。というような感性と表現はどのあたりにあるのでしょうか。やはり芭蕉あたりでしょうか。
・・・・・・・・
今日の茂吉
あはれあはれ備前の長崎か唐寺の甍にふる寒き雨
過剰で思い入れが深い茂吉好きです。いいとしの親父がこんな歌を作るのだ。
そう思うと嬉しいですね。過剰を嫌うのは日本人の感性であり、鑑賞眼だと思うのですが、そうなると幅が狭くなってしまう。「ひらがな」で「小さなためらい」を与えるような歌がいいですね。
・・・・・・・・・・・