あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

旅人夫婦で相談してゐる  放哉

2009-09-19 06:47:32 | 日記
巾着田の彼岸花

人は彼岸花を見て、何を夢見るのでしょうか。
私はこの花のジュータンの向こうには
光しか見えない
まぶしい阿弥陀仏が座っているような気がするのです。
向こうに、ここと違う光溢れるものがある。
そんな気がします。

今日は秋風ですね。
本屋で何冊かの本を買ってきて居眠り。
それが極楽というもの。
極楽というのは、悩んだりすることがない
居眠りのとき。

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今日の放哉

旅人夫婦で相談してゐる  

このような風景を放哉はどのように見ていたのでしょうか。
自分にはもう存在しない夫婦の形をみて
微笑ましいと見たのか、それともそれまでの自分の夫婦をみたのでしょうか。
俳句はそのような推測を求めてしまい
作者の思いとは関係ないところに運んでしまう。
そんな危うさもあるのですね。

でも、このような夫婦の存在を直視し、それを表現している。
それだけでも放哉は淡々とした境地になっていることが分かります。

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今日の山頭火

いやな夢見た朝の爪をきる

とうとう、一睡もできなかったような気がする。とろとろしたかと思えば、夢を見た。それも、本当にいやな夢である。悪夢。斬られたり、突かれたり、だまされたり、すかされたり七転八倒である。ゆめよさようなら。
朝すっきりとしない気分の手に足に、長い爪がのびきっている。縁に出て、その白い爪をひとつひとる切る。爪を切ると、爪がとび散る。いくらか気分がはれた。昨夜の悪夢が、少しとおのいたようである。(昭和5年)

このような子どものような感性で夢を受け止めている山頭火は、ひょっととして俳人というより、エッセイイストではないかと思ったりします。

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今日の方代さん

鎌倉の古街道に鎌を入れほたるぶくろを刈り残しておく

何か、まともな表現で拍子抜け。それもあるかな。
そんなこと感じませんか。
でも、これも方代さん、意表をついた表現
それも方代さん
自分の好みに引き寄せ納得してしまうのはおとなげない。

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今日の芭蕉

行秋や手をひろげたる栗のいが 

この句だけ取り上げると
蕪村の句かななどと思ってしまいます。
素人とは怖いものです。
強引に自分の好みで解釈して
勝手な納得をしてしまいます。