あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
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親子で住んで言葉少なく朝顔咲いて   放哉

2009-09-21 05:59:52 | 日記
神代植物園

親子で住んで言葉少なく朝顔咲いて   放哉

しみじみしていい句ですね。
朝ずっと「尾崎放哉全句集」を読んでいて
このごろ、放哉に溶け込んでいくこともあるな
そんなことを思っていました。

寂しさを感じるような年になったのですね。

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今日の山頭火

家を持たない秋が深うなった  

当たり前のこと、自明なことにときおり説明をつける。
それが山頭火なのですね。それがいいのか悪いのか
句の格調を高めるのか下げるのは
それともどうでもいいことなのか
よく分かりませんが。
「家をもなない」のか「家をもたない秋」のか
深くは微妙に揺れていますね。

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今日の方代

しののめの下界に降りて来たる時・石の笑いを耳にはさみぬ

いまわしい隠者がありて伏見から酒をとりよせ飲んでいる。

方代さんのこんな歌もいいですね。でも、軽さのはずが軽くない。
そんな感じ。「枯れていく」という表現がありますが、「軽く」「枯れる」というのは、ことのほか難しいし、言葉を練り込まないと「ひらがなことば」が出てこない。

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今日の蕪村

五六升芋煮る坊の月見かな

藤沢周平の「一茶」ではりませんが、俳諧師として食べて行くのは容易ではなく、弟子が飽きないように駄作でも誉めたりすかしたり、そんな姿を想像しながら
この句を読むとほろ苦いですね。慈善の芋煮ではないでしょう。

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今日の一茶

年の市何しに出たかと人のいふ

今でも世田谷のぼろ市などがありますが、かつては農具等を主として売っていたそうです。江戸時代は、年の暮れにまとめがいをする人のためのあちこちで市が立ったといいます。市に出て来るのは所帯持ちと言うことになりますが、独身者なども出てくる。そんな暮の風景をとらえているのですね。この一時の切り取り方が一茶なのですね。

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