あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

誰か来そうな空が曇ってゐる枇杷の花  山頭火

2009-09-05 18:24:18 | 日記
江ノ電の写真を撮りに出かけました。
極楽寺の山門で撮りました。
花の名前は分かりません。

猛暑なので藤沢まで行って
そのまま戻ってきました。
鎌倉の本屋へ行けば
山崎方代さんの評伝が手に入ると思ったらからです。
鎌倉駅前の大きな書店で探したのですが見つかりません。
店の人に聞いたら在庫しているということでした。
さっそく手に入れ、ほぼ1時間半の電車の中で夢中になって読みました。

方代さんは、作り始めはスムーズなのだそうです。
でも、そこから推敲が始まり
そう、簡単には「できた」と言わないのだそうです。
それが方代さんであり
方代さんの作風なのでしょうが
私には「いじりすぎ」です。
素人の感想などどうでもいいですが
私の感想です。


・・・・・・・・・・

今日の方代さん

鎌倉の書店で方代さん本を手に入れました。

一日に一山一寺を訪ねては手帳に寺の名を記しておく

「もしもし山崎方代ですが」と「無用の達人・山崎方代」(田澤拓也著)
電車の中で読んでしまいました。方代さんの「平明な言葉」へのこだわりなどが、楽しく描かれています。

一茶もそうですが、弟子の援助で生き延びなければならない苦渋な選択は方代さんも同じなのですね。芭蕉だって形は違ったとしても同じなのですね。

ちょっとしんみり。歌人だって、生きるのは、きれいごとではない。

レオナルド・ダビンチのメジチ家の当主との関係は、基本的には主人と雇われた職人。ミケランジェロと法王との関係だって、同じ。命令され、札束で顔を殴れれる。そんな関係だったのですね。

・・・・・・・・・・・・

今日の蕪村

秋風や干魚かけたる浜庇

浜庇とは漁夫の家を示しているそうです。
絵画的でありながら、生活の匂いが伝わってくるような
「さすがな蕪村」という句ですね。
このような句にであうと
「蕪村ってすごいのだ」と驚きますね。
当たり前の常套的な内容でありながら景色が見える。
西行の和歌を連想するようなわびしさですね。

・・・・・・・・・・

今日の啄木

ある日のこと
室の障子をはりかへぬ
その日はそれにて心なごみき

啄木の湿り気が多い部屋の中で
可愛そうなのは自分なのだ
その辛さは周囲の者にはわかるまい
そんな「偽悪」的なところがいいけれど
気が滅入るだけで、窓を内から開く
期待が見えませんね。
そんな短歌もいいけれど
元気にはなりませんね。

悲しくて、もっと泣きたい時の石川啄木。

・・・・・・・・・

今日の山頭火

誰か来そうな空が曇ってゐる枇杷の花 

こんな落ち着きの悪い句もあるのですね。
でも、この不安感も山頭火ですね。