昭和記念公園の9月
9月は、花の少ない時期
昭和記念公園も夏の名残りの花以外はありません。
彼岸花が咲き始めました。
コスモスは種植の作業中でした。
思えば、夜の写真がありませんね。
それと早朝もありません。
これから、その気になった時、
まだまだ幅があるということです。
カメラも3万円のものです。
余裕があれば一眼レフもいいかもしれませんが
今は、この程度で十分です。
ホームページビルダーが使えなくなりました。
新しいものを手に入れて
上等な仕上げにしたいですね。
年寄りらしく、ゆったりと
「ここへ行きましたよ」
「こんな写真を撮りましたよ」
それで行きます。
・・・・・・・・・・・
今日の子規
色さめし造り花売る小春かな 子規
子規は一人で歳時記を作っている。
そんな感想は素人だからでしょうか。
なんでもあって、なんでも句にしてしまい。
完成度が高い。そんな気がします。
「これもありか」というようなその土地の匂いさえ感じる
気持ちがよくなる句。
・・・・・・・・・
今日の牧水
裾野かけて今は積みかけむ富士が峰の雪見に登る愛鷹(あしたか)の尾根
登山が好きな人以外には、愛鷹山の存在など気付かないでしょう。絵ハガキで富士山を整えるように位置している山です。地元の人は富士山を楽しむために登りますが、今はどうでしょうか。牧水は晩年、沼津で暮らしましたが、香貫山と愛鷹山は暮らしの中に存在する懐かしい山なのですね。小学校の校歌に必ず、盛り込まれますね。
それにしても雄大にして爽快な歌ですね。若い爽やかな気分が伝わってきます。万葉集を読んでいる気分ですね。物語が潜んでいるようなこともなさそうで、短歌ファンには、物足りない、学者風の人には、解釈するに物足りない。そんな作品かもしれませんが、素人にはそれでいいのです。地元のどこかに歌碑がありそうな歌ですね。
・・・・・・・・・・・・
今日の方代さん
消し壺をこそぐりおれば一日の終わりに夜が来ている
俳句の山頭火、短歌の方代さん、最近はホームレス歌人公田耕一さん
そんなことでしょうか。
独身、無職が共通しているのでしょうか。
歌人である前に社会人であるべきだ。
周囲に甘えた生活をしながら
貧しさを詠ったり、ときには、その境遇を背景にする。
それは、好ましくないと思う人も多いでしょう。
社会人として、家庭人としての生活があり
その生活を通して、透かし見えるものを描くのが短歌であり、俳句であるべきだという人も多いと思います。
作る人のこだわりは、その人のもので、どうでもよく
おもしろく楽しむ素人には
その人の実生活はどうであっても、
少々刺激的で、ときには破綻があるほうが面白いですね。
方代さんの作品も意図的に崩したり、どんでん返しを利用する
そんな作風は、慣れてしまうと仕掛けが見える思いがありますが
それでも、充分楽しんでいます。
しばらくは、楽しめそうです。
素人は「難解であったり」「独りよがり」で響かなくなったら
簡単に捨ててしまうものです。
ブログだって同じ。
・・・・・・・・・
今日の山頭火
あるけばきんぽうげすわればきんぽうげ
今日も行乞の旅に出る。きんぽうげが咲いている。その道をゆっくり歩く。どこまでもどこまでも歩いてゆく。
きんぽうげの道、きんぽうげも就いてくる。歩き疲れて座ると、そこにもきんぽうげの花。なぜかきんぽうげが自分そのもののような気がしてくる。いとおしい、心の中のきんぽうげ・・・・。哀しいときも、さみしいときもきんぽうげは、私の心の中にある。帰るところのない自分にとって、このきんぽうげが自分そのものに思える。
唐突ですが「男はつらいよ・真実一路」を見ていたら「この子は俺だ」というセリフが出てきます。明らかに「七人の侍」で菊千代が子を救いあげて叫ぶシーンを重ねているのです。同化する。そのものに入り込む。このような心象風景は、独特のものですね。星野冨弘さんの中にもそんな詩があるような気がします。
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9月は、花の少ない時期
昭和記念公園も夏の名残りの花以外はありません。
彼岸花が咲き始めました。
コスモスは種植の作業中でした。
思えば、夜の写真がありませんね。
それと早朝もありません。
これから、その気になった時、
まだまだ幅があるということです。
カメラも3万円のものです。
余裕があれば一眼レフもいいかもしれませんが
今は、この程度で十分です。
ホームページビルダーが使えなくなりました。
新しいものを手に入れて
上等な仕上げにしたいですね。
年寄りらしく、ゆったりと
「ここへ行きましたよ」
「こんな写真を撮りましたよ」
それで行きます。
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今日の子規
色さめし造り花売る小春かな 子規
子規は一人で歳時記を作っている。
そんな感想は素人だからでしょうか。
なんでもあって、なんでも句にしてしまい。
完成度が高い。そんな気がします。
「これもありか」というようなその土地の匂いさえ感じる
気持ちがよくなる句。
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今日の牧水
裾野かけて今は積みかけむ富士が峰の雪見に登る愛鷹(あしたか)の尾根
登山が好きな人以外には、愛鷹山の存在など気付かないでしょう。絵ハガキで富士山を整えるように位置している山です。地元の人は富士山を楽しむために登りますが、今はどうでしょうか。牧水は晩年、沼津で暮らしましたが、香貫山と愛鷹山は暮らしの中に存在する懐かしい山なのですね。小学校の校歌に必ず、盛り込まれますね。
それにしても雄大にして爽快な歌ですね。若い爽やかな気分が伝わってきます。万葉集を読んでいる気分ですね。物語が潜んでいるようなこともなさそうで、短歌ファンには、物足りない、学者風の人には、解釈するに物足りない。そんな作品かもしれませんが、素人にはそれでいいのです。地元のどこかに歌碑がありそうな歌ですね。
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今日の方代さん
消し壺をこそぐりおれば一日の終わりに夜が来ている
俳句の山頭火、短歌の方代さん、最近はホームレス歌人公田耕一さん
そんなことでしょうか。
独身、無職が共通しているのでしょうか。
歌人である前に社会人であるべきだ。
周囲に甘えた生活をしながら
貧しさを詠ったり、ときには、その境遇を背景にする。
それは、好ましくないと思う人も多いでしょう。
社会人として、家庭人としての生活があり
その生活を通して、透かし見えるものを描くのが短歌であり、俳句であるべきだという人も多いと思います。
作る人のこだわりは、その人のもので、どうでもよく
おもしろく楽しむ素人には
その人の実生活はどうであっても、
少々刺激的で、ときには破綻があるほうが面白いですね。
方代さんの作品も意図的に崩したり、どんでん返しを利用する
そんな作風は、慣れてしまうと仕掛けが見える思いがありますが
それでも、充分楽しんでいます。
しばらくは、楽しめそうです。
素人は「難解であったり」「独りよがり」で響かなくなったら
簡単に捨ててしまうものです。
ブログだって同じ。
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今日の山頭火
あるけばきんぽうげすわればきんぽうげ
今日も行乞の旅に出る。きんぽうげが咲いている。その道をゆっくり歩く。どこまでもどこまでも歩いてゆく。
きんぽうげの道、きんぽうげも就いてくる。歩き疲れて座ると、そこにもきんぽうげの花。なぜかきんぽうげが自分そのもののような気がしてくる。いとおしい、心の中のきんぽうげ・・・・。哀しいときも、さみしいときもきんぽうげは、私の心の中にある。帰るところのない自分にとって、このきんぽうげが自分そのものに思える。
唐突ですが「男はつらいよ・真実一路」を見ていたら「この子は俺だ」というセリフが出てきます。明らかに「七人の侍」で菊千代が子を救いあげて叫ぶシーンを重ねているのです。同化する。そのものに入り込む。このような心象風景は、独特のものですね。星野冨弘さんの中にもそんな詩があるような気がします。
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