あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

故郷は賞味期限がきれた調味料のようになってしまった  

2009-09-13 06:23:14 | 日記
柴又の寅さん像

そこに通りかかったオジサン
手拭いを頭に乗せて
めでたいめでたい。
こんなことする人めずらしくなった。
一人だけではとてもできない。

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ひとりごとぶつぶつしながら歩いている風船蔓のようで、嫌いじゃない。

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今日の方代さん

八階の窓の向こうににっこりと富士が笑ってのぼりをりたり

御馳走も毎日だと飽きる。
たまにはご飯に納豆だけで食べてみたい。
方代さんもきんぴらごぼう。

明日は大根のおでんがいいかも
そんな感じ

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今日の芭蕉

桐の木にうづら鳴くなり塀の内

この句が好きだという人がいます。どこがいいのかと聞いたら、好きになるきっかけとなる母親との思い出を語ってくれました。
この句が好きだという意味の中には自分の過去の記憶と重ねて懐かしさを引き出す。そんな意味もあるようですね。
そう、難しく純粋芸術のような意味で理解しようとする必要などないののですね。
教養としての鑑賞するのもいいし、しったかぶりのネタにするのもいいし、話題提供でもいい。面白く、楽しめればそれでいい。それ以上のことは、それなりのことでいいのですね。

この句は秋の句を読んでいたら、故事を知らずとも読めたこと、一瞬の静寂を破る
鶉の声、耐えて待つようなことではなく、歩いていたら声がした。そんな驚きの爽やかさがいいですね。芭蕉だから特別の声に聞こえたのではない。でも、それを切り取り句にするところが「さすがの芭蕉」ですね。

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今日の牧水

夕日さす枯野が原のひとつ路わがいそぐ道に散れる栗の実

牧水の唄の明るさ、爽やかさ、美しさは天賦のものですね。
どれも読んでいても気持ちがよくなる。
最近の写真集の中に出てくるような色合いを淡くとどめて
言葉を添えている。そんな雰囲気さえ感じます。

このような言葉を重ねてさらなる雰囲気を作り出ている。
いい歌ですね。
この爽快な風が夕暮れどきに流れるような皮膚感覚は気持ちいいですね。
でも、おじさんにはちょっと気恥かしさが混じってしまう。

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今日の山頭火

ふる郷の言葉となった街にきた

この実感、外国から戻ったとき、電車で帰省するとき
そうだ、これが自分の故郷の匂いだ。
そんなことを感じますね。
風景だけでなく、電車で乗り降りする人の顔色
会話、持ち物
それを見ていると
少しずつ変わっていき
いつのまにか焦点があっていくレンズのように見える。

歩き続けた山頭火にとって
故郷は複雑な思いになり
心揺れる
そんなことなのでしょうね。

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今日の一茶

なむあみだ仏の方より鳴蚊哉

この庶民感覚とほけとの日常感覚がいいですね。
この切り取り方が一茶ですね。

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今日の方代さん

そなたとは急須のようにしたしくてこの世はなべてうそばかりなり

このどんでんがえしの展開が面白いですね。多くの歌人が無理して難しいことを選び、古典的な世界をないまぜにする手法とは違って、当たり前の日常を準備しておいて、それで流れて行くのかなと思わせて、まったく別のものを準備する。以前にも書きましたが、その組み合わせで新しいイメージを作り出す。その面白さですね。わかりやすい言葉にこだわっているのがいいですね。
「ひらがな」俳句、短歌が好きな私には、ぴったりの作風です。

好きだったら、それでいい。