あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

道ゆずるうれしさもあり菖蒲池  あきオジ

2011-06-08 18:02:31 | 日記
神代植物公園です。

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暮地のうえは星ばかり  放哉

(素人には分かりませんが、山頭火にしても放哉にしても駄作はけっこうあるのでしょうね。迂闊にものを言ってはいけないのでしょうが、私にとって大部分はどうでもいいようなものです。というより、どこがいいのか分からないのです。そのうちに気づくだろうと読み続けて、「なるほど」と思えるのが一割程度、でも、全部をざっと読むと別のイメージが浮かんでくる。その不思議さが二人の魅力なのかもしれませんね。思い入れたっぷりに読むことはやめます。)

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石仏に花を手向ける遍路哉  あきオジ

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紫陽花がこぼれる東屋人もjなし  あきオジ

2011-06-08 17:52:41 | 日記
神代植物公園の紫陽花は来週あたりが見ごろでしょう。

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石にとんぼはまひるのゆめみる  山頭火

(この風景、好きです。絵本のようだと言ったら、もともこもない。でも、それしか浮かばないですね。言葉の選び方でしょうか。)

ちんぽこにも陽があたる夏草  山頭火

(山頭火が表現すると、「それもあるかな」になりますが、そうでない教養人の俳句にこのような句があると厭味ですね。)

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昭和の時代、貧しさは、感性の豊かさと言葉のリアリティとつながっていましたね。

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泰山木遠雷うけて微動せず  あきオジ

2011-06-08 17:26:05 | 日記
神代植物公園の泰山木です。
花のようでいてそうでない。
そんな枠からはみ出した花ですね。

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かつしかや月さす家は下水端  一茶

しんしんとゆりの咲けり鳴雲雀  一茶

(いいなと思ったり、そうでもないなと思ったり、繰り返し読んでいると自分の感性とか体調で見え方が変わってくるのですね。どうやら、一年近く読見続けました。後、数年続けると、見えて来るような予感がします。素人なりの深め方があるような気がします。)

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素人は素人を貫く。師匠についたり結社などに加わらないことを決めたのですから、一人を楽しみましょう。

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紫陽花が湧きだしてくる雨の朝  あきオジ

2011-06-08 06:14:35 | 日記
神代植物公園です。
このごろは、俳句を作るのは苦ではなくなりました。

吟行などしませんし
出かけても現場で作るようなことはしません。
もちろん、手帳を準備するようなこともありません。

家に帰ってきて、撮った写真を選んでいるときに浮かんできたり
句集を読みながら浮かんだことばをそのまま書くだけです。

推敲などありませんから変換ミスも多いし
文法上の誤りもけっこうありますが
作っていることだけが楽しいのですから
「まあ、いいか」です。

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お芝居と同じように、人生にも上手な人と下手な人がいるのだよ  「星の王子さま」

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夕月の正面におく蚊やり哉  一茶

身の上の鐘としりつつ夕涼  一茶

(一茶のひねり過ごす、横向かず、すねもしない。そんな句もいいですね。)

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山寺の猫がすりよる田植えどき  あきオジ

2011-06-08 05:59:36 | 日記
神代植物公園です。
出かけるのにいい季節ですね。

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林間を人ごうごうと過ぎゆけり  兜太

馬酔木咲く向うで欠伸夢の僧  兜太

(兜太の表現は、無理しなくても表現できるものを過剰にすることの面白さなのですね。表現したいイメージを換骨奪胎して再構成するのですが、素材を幾つも準備して化学反応しやすいものを選んでいるのですが、爆発音まで期待しているような気配がありますね。そこが面白いところですから、後継者のいるでしょう。でも兜太は一人で十分です。もっと純化した組み合わせも面白いのですが、どうなのでしょうかね。)

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それぞれの幻想補修電車顔  あきオジ

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電車でみんな黙っているのですが
私も含めて、それぞれがそれぞれの物語を作り出し
危ういところは補修しながらときを過ごしているのですね。



菖蒲草無視して動ぜぬ猫二匹  あきオジ

2011-06-08 05:46:03 | 日記
神代植物公園です。
どこでも花菖蒲があって楽しいですね。
鋭角の姿勢のよさが楽しいですね。

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人に逢はなくなりてより山のてふてふ  山頭火

ふつとふるさとが山椒の芽  山頭火

(ときどき、思うのですが、山頭火の句を拾っているとき、季語がついている句は避けているのはなぜだろう。そんなことがあるのですね。季語に限定されているイメージが表現する世界を狭くしているような気もしますし、自然に自分重なるというのは芭蕉のスタイルに過ぎないのですから、それぞれがそれぞれの表現のこだわりをもてばいい。山頭火もそうした一人なのですから、それでいい。そんな見方をしているわけでもないのですが、とってつけたような季語から出発した句は、私には魅力がありませんね。こんなことだから素人は面白いのです。)

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上天気、昨日は水泳もしたし、出かけるしかないですね。
私の俳句(もどき)は乱作が似合っているようです。
一人でしゃべっているような
そんな感じかな。
ですから、俳句をひねるとか
推敲とか
そんなこといっさいなしの口からでたまま。

今も、これからもそれでいい。

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