あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

朝顔と挨拶かわす恥ずかしさ   あきオジ

2011-06-29 05:56:52 | 日記
神代植物公園です。

このブログも順調に更新できるようになりました。
週に一回ぐらいは、何も出てこないし
感動もないので「あれれ」と思いますが
そんなこともありますね。
寝不足がなく
時間の余裕があればけっこうやっていけそうです。
老後の楽しみとして
どうにか間に合いそうです。
「写真」+「短歌日記」もそこそこ頑張っています。

後は絵を描くことを続ければ
何とか老後の優雅な生活はできそうです。
よくばらず、この程度のもので満足しなくてはいけませんね。

でも、体が動けることが大切なのです。
ぼちぼちやりましょう。

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何まよふ彼岸の入日人だかり  鬼貫

永き日を遊び暮たり大津馬  鬼貫

(技巧的なことを評論する悪い癖をもちたくありませんし、そのような関心もありません。素材と視点、それだけが響いて来れば、それで十分です。気付かなかった素材を掘り起こし、思いついたような視点で言い切ってしまう。そんな句がいいですね。そのような句を見つめるのが最近の楽しみです。)

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汗を拭く指の細きも傘のうち  あきオジ

2011-06-29 05:35:00 | 日記
神代植物公園です。

大震災から3月以上経ちました。
庶民の力で復興が進んでいるようですが
政府の力はいつの時代も期待できないものですね。
救国の人を求めない時代なのですね。

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日ぐらしや我影法師のあみだ笠  一茶

小便の身ぶるい笑へきりぎりす  一茶

ばらばらと脛に飛びつく蝗かな  一茶

(芭蕉、蕪村とともに有名な一茶、どこでどのようなことから人気がでたのか分かりませんが、ちょっと違うのではないかと言い出す人もいるかもしれませんね。まったくの素人が詠んでも「何これ」という句が大部分を占めているような気がします。究極は「品格」なのですね。でも、俳句は一つ一つの句が独立して評価される性質のものではなく、信州暮らし、弱い立場のものへの目の向け方ばかりではなく、全体を通して評価されるようにできているような気がします。その意味では親子の確執、子に恵まれない不運などとの境涯を句にしたことの意味が重いと思います。あれこれ評論する人はいっぱいいるのしょうね。でも、一茶を評価する現代の俳人は少ないような気がします。)

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紫陽花に包まれ濡れてありがたき  あきオジ

紫陽花の散華うけし聖観音  あきオジ

(高幡不動の紫陽花です。観音様も紫陽花に包まれていました。)

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桔梗咲き信玄袋を探しだす  あきオジ

2011-06-29 05:20:40 | 日記
神代植物公園の桔梗です。

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山頭火は山口県の出ですが
いかにも瀬戸内海の風景
そんな印象があります。
瀬戸内海の夕日は大のお気に入りですが
とくに瀬戸大橋から見る夕日が好きです。

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馬酔木咲く向こうで欠伸夢の僧  兜太

(ここで取りあげる句は、私のお気に入りというわけでもなく、興味があるというわけでもなく、多少は分かる。そのうち好きになるかもしれない。そんな期待を込めた句です。正直なところ、どこかいいのかほとんど分かりません。多くは感想さえ浮かんでこないのです。初心者というか素人が入門するとはこんなものなのでしょうかね。でも、私は俳句を目指してはいません。生活のメモを俳句のスタイルで残したいだけです。)

春寒の老僧ちぢみやまぬかな  兜太

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「のら」恋しそれだけであるそんなもの  あきオジ

(内田の「ノラや」をベースにしたドラマ風の番組を見ました。人は猫恋しさで過ごしてしまった作家もいることを知りました。そんな人も魅力的ですね。奥様も魅力的な人だと思いました。)

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