今朝のNHKラジオ深夜便、4時台は、絶望名言で、茨木のり子さんの「詩」を紹介していました。
「わたしが一番きれいだったとき」は、プーチンのウクライナ侵略戦争で、大変な思いをされて
いらっしゃるウクライナの皆さまを思いを連想、大事な人生の生活場面を奪う戦争のオゾマシサに、怒りが
こみ上げます。プーチンの戦争犯罪を絶対許せない。神の「鉄槌」を、と祈るしかない。
茨木のり子さんは、大正15年(昭和元年)に生まれ、太平洋戦争が終わった時、20歳。
「わたしが一番きれいだったとき」という詩は、敗戦から十年経った頃作られた。
「取り戻せない『はたち』の無念が残っていたかも知れない」、と語っていらっしゃいます。
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって とんでもないところから 青空なんかが見えたりした
わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達がたくさん死んだ 工場で 海で 名もない島で わたしはおしゃれのきっかけを
落としてしまった
わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてくれなかった 男たちは挙手の礼しか知らなくて きれいな眼差し
だけを残し皆発っていった
わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで わたしの心はかたくなで 手足ばかりが栗色に光った
わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた そんな馬鹿なことってあるものか ブラウスの腕をまくり卑屈な町を
のし歩いた
わたしが一番きれいだったとき
ラジオからジャズが溢れた 禁煙を破ったときのようにくらくらしながら わたしは異国の甘い
音楽をむさぼった
わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ わたしはとてもとんちんかん わたしはめっぽうさびしかった
だから決めた 出来れば長生きすることに 年取ってから凄く美しい絵を描いた フランスの
ルオー爺さんのように
2006年2月17日、79歳で亡くなられました。残念。ご冥福をお祈りいたします。
ウォーキング中に出会った花、秋の雲
8月29日「今日は何の日カレンダー」より 焼き肉の日、秋田県の記念日、文化財保護法施行記念日
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アメリカ合衆国に次いで世界第2位(1975) ▲HIIAロケット成功(2001)▲米を襲った、巨大ハリケーン
・カトリーナで死者1836人(2005)