平和への希い


 
  積極的平和主義とは、世界のすべての国が、日本
  の平和憲法を掲げる努力をすることです。

平和への希い2327 お粗末弁護士

2021-09-04 10:34:31 | 日記
9月2日、東京・池袋で2019年4月、乗用車が暴走して、交差点に突っ込み、青信号で渡っていた
松永真菜さん長女莉子さん母娘が死亡、9人が重軽傷を負った事故の、運転者に対する判決が、東京地裁
であり、自動車運転処罰法違反(過失致死傷)で実刑を言い渡した。
78歳の高齢運転者で、日常運転しているわが身にとって、衝撃的な事故で、運転免許返納について真剣に
考える、キッカケになった。
高齢ドライバーの私が、素人目で見ても、「アクセルとブレーキ踏み間違えたな」と思った。
事故を起こした直後は、事故を起こした本人は、取り乱していたが、事故後の記者の問いかけに答えた
表情に、自分でも、「踏み間違い」て、大変な事故を起こしてしまったことに、震えていたように見えた。
それが裁判になって、弁護側は、
「運転操作ミスは無かった。電気系統の経年劣化で、制御システムが正常に働かず、暴走した」と、
無実を主張し、被告の運転者も、弁護士の主張に沿った陳述になり、被害者遺族などに対する謝罪の気持ち
は、事故直後の時と、大分違って、「車のせいだ」、「私が悪いのではない」と、信じられない「豹変」。
元通産相の高給(高級ではない)官僚は、弁護士の主張に合わせることが、自分を守ることになると、考え
たようで、官僚生活で慣れた「驕り」が感じられ、不愉快だった。
弁護士は、被告を守るために一生懸命に働くのは、当然です。弁護士が描いた「無実ストーリー」に沿って、
被告に「不利になる」発言をしないように、言いくるめられていたのでしょう。
それにしても、この弁護団、「車のせい」にして「無実」を勝ち取ろうとしたけれど、「確かに車のせい」
と言う、裁判官ばかりではなく、私達一般ドライバーにも納得いく、客観的な事実を把握したのだろうか。
どうも、お粗末な弁護士だったように思う。
弁護士の「無実ストーリー」が、被告を、「私が悪いのではない」と思い込ませ、被害者遺族などへ謝罪
する気持ちを吹き飛ばし、被害者遺族などの「怒りと悲しみ」を大きくした、と思う
弁護士は、被告が上告して、弁護を続ければ、「おカネになる」のだ。
「おカネ」のために、「車のせいで、無実」のストーリーを主張し続け、上告するのだろうか。
こんな弁護士、弁護士資格無い。上告すれば、被告は、何回も、「車のせいで、無実」を言い続けなければ
ならない。被告も可哀相。遺族はもっと可哀相
母娘を亡くされた松永さんの、「過失を否定し続けた被告の主張に苦しめられた。客観的に認められたこと
を受け止めて欲しい」というお気持ちを、被告も、弁護士も真摯に受け止めることです
ウォーキング中に出会った雲、花。

9月4日「今日は何の日カレンダー」より くしの日、関西国際空港開港記念日
▲伊能忠敬、「大日本沿海地図」を完成(1821)▲ロンドンで世界最初のボーイスカウト(1909)
▲上野動物園で空襲に備え動物を薬殺(1943)▲サンフランシスコ講和会議開催(1951)
▲トンボーユニオンズのスタルヒン投手、300勝(1955)▲シュバイツァー、没(1965)
▲関西国際空港開港。第1便は午前6時1分に到着したグアムからの日本航空メモリアル臨時便(1994)
 ▲武豊騎手、フランスで日本人初のGIレース制覇(1994) ▲沖縄米兵少女暴行事件(1995)ディズニー
シーオープン(2001)▲気象衛星2機体制になる(2006)▲婚外子の相続、摘出子と同じに(2013)

平和への希い2326 「戦争の無い平和」を考える大切な日

2021-09-03 10:30:48 | 日記
9月2日が来る度に、戦争のバカバカしさを思い、絶対戦争を起こしてはならないと強く思う。
76年前の9月2日(1945年)は、日本が、東京湾のミズリー艦上において「降伏文書」に調印した日。
8月15日、天皇の「ポツダム宣言受諾し、無条件降伏したラジオ放送」で、米軍の空襲は無くなった。
しかし、1945年(昭和20年)8月9日、ソ連は、米英ソ首脳のヤルタ会談で決めた通り、日ソ中立条約を
一方的に破棄して、満州に侵攻。
日本が、無条件降伏した後も、ソ連軍は、満州や樺太、北方4島に侵攻し続け、日本が「降伏文書」に調印した、
9月2日に侵攻を止めた。
この間、北のひめゆり悲劇「樺太・真岡郵便電信局事件:1945年8月20日、ソ連軍上陸で電話交換手が集団自決」
も起きた。引き上げ船がソ連潜水艦に撃沈された。
ロシア(旧ソ連)の、第二次世界大戦の終戦記念日は、日本が「降伏文書」に調印した、9月2日。
しかし、ソ連は、1951年9月のサンフランシスコ平和条約に調印せず、日ソ平和条約は成らず。
ソ連を除く連合国は、「サンフランシスコ平和条約」に調印、ソ連を除く連合国とは、平和条約が成立した。
当時の、ソ連の首相はスターリン。
「日本は無条件降伏なのだ。北海道の半分を割譲せよ」と主張。主戦国のアメリカに拒否されたことで、
「サンフランシスコ平和条約」に調印しなかったらしい。
ソ連にとっては、かつての日露戦争で、樺太割譲させられたことの「ウラミ」が忘れられなかったのでしょう。
ロシアが、1905年6月12日、日本軍の樺太占領前にアメリカの講和勧告を正式受諾していたにも拘らず、
日本軍は、7月7日、樺太に侵攻、7月末までに全島を占領。
1905年8月9日、ポーツマス講和会談が開始され、9月1日休戦協定締結、9月5日調印。
ロシアの猛反発あったが、樺太南半分割譲で妥協、決まる。
終戦が決まるまで、戦果として勝ち取った『領土』は「おれのもの」というのだ。
日本とロシア(旧ソ連)との間には、日露戦争のウラミがあり、平和条約が成立せず、北方4島返還問題が揉めるのだ。
戦争が引き起こした悲劇、戦争が終わっても引きずる「ウラミ」、このおぞましい戦争、絶対人間の世界から
無くさなければいけない。
9月2日も、特に日本人にとって、「戦争の無い平和」を考える大切な日なのです。
ウォーキング中に出会った花、雲。

9月3日「今日は何の日カレンダー」より ホームラン記念日、草野球の日、盲聾唖者児童保護デー
▲藤原広嗣の乱(740)▲ベルサイユ講和条約、調印。イギリス、アメリカ合衆国の独立を承認(1783)
▲ロシア、日本との通商を要求(1792)▲わが国初の普通選挙として浜松市会議員選挙実施(1926)
▲ジェーン台風襲来、死者・行方不明者336人(1950)▲少年を使った当たり屋一家逮捕(1966)
▲バイキング2号、火星に着陸(1976)▲巨人の王貞治、756号ホームランを打ち、世界最高記録を達成。
 同年国民栄誉賞第一号を受賞(1977)▲東京国立近代美術館で多数の映画フィルム焼失(1984) ▲台風13号
鹿児島上陸死者48名(1993)▲中ロ相互に核兵器の標的から外すことに合意(1994)▲故渥美清に国民
栄誉賞(1996)▲ロシアで学校占拠テロ、治安部隊突入1000人以上の死傷者(2004)▲中国で、人民
抗日戦争・世界ファシズム戦争勝利記念式典(2015)▲藤井聡太棋士、14歳2か月(中学2年)の最年少
で4段に(2016)▲北朝鮮6回目の核実験(2017)

平和への希い2325 最年長記録は更新できる  

2021-09-02 09:24:57 | 日記
東京パラリンピック自転車女子の個人ロードタイムトライアルで、50歳の杉浦佳子選手が金メダル。
「最年少記録は、一生に1度。最年長記録は何回もつくれる」
と話す明るい笑顔が、輝いて、拍手。
薬剤師の杉浦さん、趣味が高じて、自転車レースに出、転倒して、記憶が途切れるなどの障害を負った。
「漢字や薬の名前を思い出せなかった」が、リハビリで、少しづつ回復している今も、記憶力に不安が
あり、右半身のマヒが残っているようです。
事故があったのに、パラリンピックの自転車競技に挑戦、好成績を上げるようになり、金メダル獲得する
までに進化、懲りない前向き、スゴイ。
「障害のある人や高齢の人に、スポーツによって得られるものもあり、薬に頼りすぎずに、健康に生活
出来ることを知って欲しい」と、講演活動にも、取り組んでいらっしゃる。
80歳に近いわが身としては、ササヤカな、ブログアップや傾聴、太極拳、料理教室、ボケないなど、
自分なりの最年長記録を目指そうか、と勇気を頂きました。
杉浦佳子さん、ありがとうございます。益々のご活躍を楽しみにしています。
ベランダで育った激辛ハバネロ、ウォーキング中に出会った葉鶏頭。雲、月。


9月2日「今日は何の日カレンダー」より 宝くじの日(第一勧業銀行宝くじ部,1967)、靴の日
▲オランダに、下田・箱館を開港(1854)▲日本初の、鳥類保護制度(1890)▲岡倉天心、没(1913)
▲東京専門学校が早稲田大学と改称(1902)▲米艦ミズーリ号上で日本が降伏文書に調印(1945)
 ▲リニアカー、世界初の有人走行(1982) ▲バブル崩壊、整理金融会社設立(1996)▲ニカラグアで
M.7.7の地震、津波で180人死亡(1992)▲低容量ピル発売(1999)▲大相撲力士の大麻汚染問題
発生(2008)▲野田内閣発足(2011)▲六本木クラブ襲撃事件(2012)▲ブラジル国立博物館で火災、
収蔵物が全焼(2018)▲台風接近の鹿児島・奄美大島沖で貨物船沈没1人救出、43人行方不明(2020)


平和への希い2324 天災と人災

2021-09-01 10:24:03 | 日記
アメリカ南部を襲っている強大なハリケーン「アイダ」、被害の詳細は不明ながら、洪水や家屋損壊など
被害は甚大、停電が100万世帯に及んでいるらしい。
アイダは、29日にルイジアナ州に上陸、16年前の2005年8月29日にも、大型ハリケーン「カトリーナ」が
ルイジアナ州に上陸、1800人以上の犠牲者を出した。
日本では、今日9月1日が、死傷者20万人以上出た関東大震災を忘れず、被災を小さくするための「防災の日」。
天災は、忘れずに、必ずやってくる。アメリカにも日本にも、世界中の国々にも。
昨日、8月31日、アメリカは、20年間続けてきたアフガニスタン戦争を、米軍撤退で終わらせた。
この戦争で亡くなった人の数、生活を奪われた人の数は、ハリケーン「カトリーナ」どころではない。
アフガンで「診療所よりも井戸」と、衛生環境のためにご活躍だった中村哲医師も、銃撃され亡くなられた。
天災に対しては、防災行動で、被害を小さくする「減災」するしかない。天災を無くすことは出来ない。
戦争もテロも、人間が起こしている最悪の「人災」。人災は、無くすことが出来る。
人間が、その気になれば、起こさないで済む。起きてしまった戦争でも、止めることが出来る
ハリケーンも台風も、地震も、噴火も、コロナなど病原菌も、人間を襲う天災。
起こさなくて済む戦争やテロという「人災」のために、軍拡競争している場合ではない
ウォーキング中に出会った花、雲。

9月1日「今日は何の日カレンダー」より 防災の日、関東大震災記念日、国際青年デー、宝塚歌劇団
レビュー記念日、羊毛年度始め、霞ヶ浦の日、省エネルギーの日(毎月)
 ▲上野~青森間、現・東北本線全通(1891)▲平塚らいてう、「青鞜」を発行(1911)▲工場法施行、15人以上
の職場で12歳未満の就業禁止など規定(1916)▲関東大震災、起こる。マグニチュード7.9、家屋の全半壊
25万戸以上、焼失44万戸以上、津波による流失868戸、死傷者20万人以上、行方不明者4万人以上(1923)
▲宝塚少女歌劇団、日本で最初のレビュー初演(1927)▲竹久夢二没(1934)▲第2次世界大戦、はじまる(1939)
▲原子力船むつで放射能漏れ事故(1974)▲大韓航空機、ソ連軍機に撃墜され乗客乗員269名行方不明(1983)
▲東京・新宿歌舞伎町雑居ビル火災44人死亡(2001)▲宮崎駿監督引退(2013)▲モントリオール国際
映画祭で、日本2作品が審査員特別賞など受賞(2014)▲関東甲信の梅雨明け日決められず、1993年以来
2回目。(2017)▲全日空、西オーストラリア便を日本で初めて就航(2019)