平和への希い


 
  積極的平和主義とは、世界のすべての国が、日本
  の平和憲法を掲げる努力をすることです。

平和への希い2733 74歳のパワー  

2022-10-21 10:48:36 | 日記

昨日は、昔、サラリーマンとして駆け出しの頃、オフコースのリーダーボーカリストだった、小田和正さんの、

コンサートライブに行ってきました。

会場は、去年の東京オリンピックで、バスケットボールの会場となった、さいたま市内にある、「さいたま

スーパーアリーナ」。

聴衆、約3万人。私は、3万分の1でした。

私の入社の、2年先輩で、独身寮のお隣さんの藤田さん。福島県郡山市にお住まいで、ご夫婦で、小田和正さん

の「追っかけ」している、熱烈ファン。

6月、藤田さんの地元、郡山で、コンサートライブがあり、その時、10月に、さいたまアリーナでライブある

からと、私にお誘い電話があり、久しぶりに、藤田さんご夫婦にもお会いしたいし、ご夫婦が熱狂している、

小田和正さんのコンサートライブって、どういうものか、興味あり、OKの即答。切符を取るのに、大変

なんだそうで、即答しないとダメと言われ、「いくら」と聞かずに。前に五木ひろしコンサートで、7千円位

だったので、そんなもんだろうと思っていた。1万円だった。かぶりつきの良い席かと思っていたら、悪くは

無かったが、小田和正さんは、はるかかなたでした。上には上があるようだ。

小田和正さん、74歳。

ご自分で作詞作曲した30曲ほど、時には、ギターとピアノを弾きながら歌いまくった2時間半(途中15分

休憩、アンコールで4曲含め)、パワフルで、心に沁み込む歌声、観客の殆どが立って、手拍子、ペンライト

(サイリウム)でにぎやか、私は、立たずに歌唱に合わせ、手拍子、ペンライト。

座っている椅子が、地震が来たように、ゆらゆら。立っている皆さんが、拍手やペンライトしながら、身体を

ゆする、そのゆする動きが、イスに伝わって、地震があったようになるのです

今は、観客は、マスク着用が義務付けられている。マスクない時は、一緒に、大合唱になるとのこと。

70歳位ぐらいの方々も沢山いましたが、さすがに、80歳前後は見当たらない、ライブコンサートには、

歌う歌手ばかりではなく、観客にも、体力がいるんだ、と、実感しました。

下司っぽい話で恐縮ですが、コロナ前の小田和正さんの所得番付によると、年間所得は2億円超とか。

サイタマアリーナ公演は、19・20の二日間で、約6億円の公演収入?今年の公演は、北海道から沖縄まで、

十数回あるよです。成る程と納得。でも、コロナで、公演出来ず、公演による所得は3年間ゼロ。

小田和正さん本人ばかりではなく、楽団の皆さん、公演を支える裏方のみなさんだって、大変だったでしょう。

追っかけの人達は、74歳の小田和正さんだけに、公演が、「これが最後になるかも」と、必死に追っかける

のだそうです。

入場までの長い列、トイレでの長い列、帰りの「さいたま新都心駅」での大混雑、もう2度とライブはゴメン

と、80歳の身体が悲鳴を上げています。

74歳小田和正さんの、頑張りに、感動、ますますのご活躍で、皆さんを元気づけてくださいますよう祈って

います。私は、DVDなどで、応援します。

熱烈に、財産を献納してしまう、統一教会は、どうかと思いますが、小田和正さんの熱烈追っかけは、

和田アキ子さんの「笑って許して」の世界でした。平和日本を感じました。

小田和正さんのライブ会場風景、ウォーキング中に出会った花と雲。

10月21日、「今日は何の日カレンダー」より あかりの日(日本電球工業会など1981)、国際反戦デー
▲マゼラン海峡発見(1520)▲伊能忠敬全国地図の作成開始(1800)▲米総領事ハリス13代将軍家定に謁見(1857)
▲発明王エジソンが日本産の竹を焼いて作った炭素を用いた白熱電球を完成(1879)▲東京専門学校(早稲田大学

の前身)開校式(1882)▲野球の第1回早慶戦開催(1903)▲国家公務員法公布(1947)▲朝永振一郎ノーベル物理

学賞決定(1965)▲新宿駅でベトナム戦争反対を訴える学生等が暴徒化、700人以上が逮捕された「新宿騒乱」

事件(1968)▲銀座でウーマンリブ旗揚げ(1970)▲志賀直哉没(1971)▲巨人・長嶋監督が辞任(1980)

▲鈴木亜久里、日本人初F1で3位 表彰台に(1990)▲北朝鮮、米朝枠組み合意で、核開発放棄することに

合意(1994)▲ソウルの聖水大橋手抜き工事で崩壊、32人死亡(1994)▲福原愛ブログで引退表明(2018)

▲台湾で列車脱線事故18人死亡215人負傷(2018)


平和への希い2732 孤独と孤立

2022-10-20 10:09:03 | 日記

今朝の、NHKラジオ深夜便「明日への言葉」は、童謡「小さな木の実」で知られている、歌手

の大庭照子さん84歳。NPО法人「日本国際童謡館」の館長さん。

現在も、現役で、活躍中。

お独りで、「孤独ではあるが、孤立ではない」と、ボニージャックスの皆さんなど、歌手仲間の

方々や、地元婦人会に積極的に参加、婦人会の皆さんとのつながりがあるので、孤立感はない。

孤独は、時には楽しい。一人静かに、ご自分を見つめたり、散策したり、孤独を楽しむ時間も

大事にされていらっしゃる、とのこと。

 

最近、高齢者の「孤立死」が問題になって、社会全体での、「見守り」をどうするか、が、市町村

や地域包括センターの皆さんの頭痛のタネです。

友人や、趣味、勉強会の仲間、ボランティアなど、社会とつながりを持っている方は、心配ない

けれど、そのようなつながりが無く、オレンジカフェや百歳体操など、いろいろな集まりを企画して

くれても、出て来ない、いや、出て来ることが出来ない方々が、「孤立死」されているのです。

孤立の方は、人嫌いか、性格的なものか、経済的に身動きできないか、いろいろ事情を抱えていて、

見守る側も、人権問題があり、踏みこみ過ぎないように、と、ついつい、遅れをとってしまうのが、

現実のようです。

 

誰も、亡くなる時は独り。社会とつながりがある「お独り様」は、つながっている皆さまに、見守

られての旅立ち、社会との、つながりが薄い方々は、誰にも見守られないままの旅立ち、まさに、

「孤立死」です。

少子化、核家族化のツケが回ってきた感じもします。

傾聴ボランティア活動で、何とか、お役に立てないかと、仲間の皆さんと話し合うけれど、妙案

ありません。どなたか、妙案お持ちの方いらっしゃいましたら、お教え下さい。

ウォーキング中に出会った花と雲。

10月20日、「今日は何の日カレンダー」より 皇后誕生日、新聞広告の日、リサイクルの日

◆土用(雑節の一つ。立冬の十八日前。冬の土用)
▲富士川の合戦で、源頼朝、平家軍に大勝(1180)▲鎌倉幕府が問注所(裁判所)を設置(1184)
▲文永の役(1274)▲二宮尊徳、没。70歳(1856)▲日本初の新聞と言われる海外新聞発行(1864)
▲メートル法条約に加入(1885)▲明治政府、元老院廃止(1890)▲日比谷公会堂開場(1929)
▲「きけ、わだつみのこえ」刊行(1949)▲日生劇場開場(1963)▲吉田茂元首相、没。89歳(1967)
▲北海道愛国駅で幸福行きの乗車券発売が300万枚を突破(1974) ▲初の小選挙区選挙(1996)

▲台風23号高知・土佐清水に上陸死者行方不明98人(2004)▲リビア・カダフィ―大佐死亡、

独裁政権に幕(2011)▲伊調馨、レスリング五輪4連覇で国民栄誉賞(2016)▲シリア民主軍、

イスラム国が首都としていたラッカを解放(2017)▲阿蘇山噴火(2021)


平和への希い2731 毛沢東を超えたい習近平さん 

2022-10-19 11:36:53 | 日記

中国・習近平総書記(国家主席)は、党規約で決められていた68歳定年制を、破り、長期政権体制

を目指している。    

建国後、毛沢東は、82歳で亡くなるまで、トップの座を明け渡さず、終身独裁型政治を続けた。

国全体が混乱した「文化大革命」は、毛沢東が死亡するまで、続き、独裁型政治の弊害だったと、反省、

毛沢東以降の政権は、68歳定年制を取り入れるなど、世代交代の仕組みを作った。

習側近は、「心から敬愛する人民の領袖だ」などと、毛沢東を讃える時に使われた「人民の領袖」との

称号を使い、習総書記は、毛沢東を超える「領袖=集団のかしら」と、持ち上げているのです

鄧小平の改革開放政策が功を奏し、中国は、GNPで、アメリカに次ぐ第2位の国になった。

改革開放政策を、発展させたのは、習総書記の「お手柄」だと、14億人を束ねる、「おかしら」として

毛沢東を超えている、というのでしょう。

台湾問題では、毛沢東が出来なかった、蒋介石国民党が逃げこんだ台湾併合を、必要なら武力を使って

でも「やり抜く」と、言って、コロナでの失政「ゼロコロナ」で不満くすぶる国民の気持ちを、逸らす

ツモリのようです。

ロシア・プーチン、北朝鮮・金など独裁型政権と同じ、反対する、人達を徹底的に排除して成り立って

いるだけに、失政など、ほころびが出ると、政権維持がむずかしくなる。

だから、失政であっても、絶対失政と認めさせない、武力を背景に、国民に有無を言わせない、絶対

独裁を続けるのです。

ロックダウンで、コロナゼロ政策にこだわる、習政権、いつまで、持つのだろうか。

この不安感、そのまま、世界平和が不安定に繋がるだけに、気が気ではない。

どんなに、時間が掛っても、高い壁があっても、国連中心に、独裁型政権を話し合いの土俵に乗せて、

話し合いで紛争解決を目指す、以外、人類の生き残りはないのです。

それが政治家の仕事です。

10月19日「今日は何の日カレンダー」より トークの日(毎月)
▲アメリカ独立戦争終結(1781)▲ナポレオンの仏軍、モスクワを撤退(1812)▲早稲田大学開校(1902)
▲魯迅、没。55歳(1936)▲海軍が神風特攻隊を編成(1944)▲日本共産党が合法化される(1945)
▲駅名表示が左書きに統一(1945)▲土井晩翠、没。81歳(1952)▲日旧ソ連国交回復に関する共同宣言(1956)
▲福井謙一、ノーベル化学賞受賞(1981) ▲ニューヨーク株式大暴落(ブラックマンディ)(1987)

▲オリックスが阪急ブレーブスを買収することを発表(1988)▲しながわ水族館開館(1991)▲スティルイン

ラブが秋華賞を勝ち史上2頭目の牝馬3冠達成(2003)▲米・ハリケーン史上最低気圧882hpa記録(2005)

▲ホンダ・スーパーカブ累計売上1億台突破、世界初(2017)▲太陽系外からの飛来物を初めて観測(2017)


平和への希い2730 久振り、中間の全体会議

2022-10-18 09:31:11 | 日記

昨日は、久しぶりの、さいたま市シルバーセンター、傾聴ボランティア「あゆみ」の、中間の全体会議でした。

コロナ禍で、この3年、傾聴活動が出来なかったので、上期活動の総括、下期活動の確認をすることが無く、

会議を開催する必要も無く、ツラい3年だった。

特養など、施設訪問は出来ない状況は続いているけれど、個人宅訪問は、徐々に、増え、40時間の

傾聴ボランティア養成講座は毎年、続けられ、新人が、年々40人位増えている。

コロナ騒動で、体調を崩したり、ご両親や連れ合いなどの介助の必要で、シルバー人材「あゆみ」を辞め

ざるを得なくなって、仲間が減っているけれど、新人の皆さんが増え、何とか300人の世帯を維持している。

浦和・大宮・岩槻・与野地区のリーダー中心に、傾聴活動へのモチべーション維持のため、新人との交流会や、

施設ごとの、グループ寄合など、集まる「居場所づくり」を続け、傾聴訪問再開に備えています。

その様な、活動報告と、施設の状況など報告され、また、近隣市町の傾聴グループとの情報交換報告も

あって、へこたれないで、笑顔で傾聴活動再開を待つことを誓いあいました。

施設訪問での、傾聴活動は出来なくても、地域包括センターのオレンジカフェなどに積極的に参加して、

傾聴活動で培った力をお役に立てよう、ヤングケラーのお役に立てないか、など、個人的な取り組みの報告

があり、コロナでの閉塞感を、吹き飛ばす活動に、元気づけられました

武藤代表、シルバー人材佐藤事務局長の、「会員が、施設ごとに『寄合い』交流したり、新人との交流会、

各地域ごとの勉強会や地域包括センターなどに積極参加して、私達会員自身が「居場所」を作り、元気を

維持して、傾聴訪問再開に備えましょう」、とのお話に、納得でした。

早速、会議後、久しぶりに会えたことで、有志で乾杯、「居場所づくり」と言えるかどうか、でも、確かに、

元気が膨らみました。

会議風景、ウォーキング中に出会った花や雲。

 

10月18日、「今日は何の日カレンダー」より

統計の日(1973)、冷凍食品の日(日本冷凍食品協会1986)、フラフープ記念日、頭髪の日(毎月)
▲初の全国的政党・自由党結成(1881)▲大隈重信、条約改正実現ならず(1889)▲発明王エジソン没84歳(1931)
▲東条英機内閣成立(1941)▲フラフープ発売、大ブームに(1958)▲旧ソ連、金星4号の軟着陸に成功(1967)
▲ミニの女王、ツィッギー来日(1967)▲アメリカの木星探査機「ガリレオ」発射成功(1989) ▲パキスタン

元首相遊説中に自爆テロによる暗殺未遂(2007)▲チリで、地下鉄料金値上げ反対デモが暴動化、地下鉄駅

に放火(2019)


平和への希い2729 「拒否権」は安全弁 

2022-10-17 10:30:17 | 日記

先日のNHKスぺシャルで、国連の安全保障理事会の「拒否権」について、何故できたか、など報道されて

いました。

プーチンロシアが、ウクライナ侵略戦争を、国際連合の安全保障理事会で、即時停止を決議され、「拒否権」

を発動し、国際連合の機能マヒを招いて、世界平和の根本が揺れています。

第一次世界大戦後に、戦勝国中心に出来た国際連盟。

この時日本も戦勝国側で、国際連盟の、常任理事国だったが、「満州から撤退せよ」との決議に、日本は、

「話し合いの場」から退場し、国際連盟から脱退した。

この時は、「拒否権」はなく、「国際連盟」という、「話し合いの場」から抜けて、日中戦争、太平洋戦争と

暴発、何百万人もの命を奪う、最悪の人災となった。

この反省から、第二次世界大戦後、戦勝国中心にできた「国際連合(国連)」では、「話し合いの場」から、

出てしまえば、話し合いでの紛争解決の道は閉ざされてしまう、ということで、戦勝国の有力国を、安全

保障委員会の常任理事国として、「拒否権」を認め、兎に角、「話し合いの場」から抜けないで、話し合い

を続けることが出来るようにした、のです。

「拒否権」は、話し合いを続けることが出来るための、「安全弁」として考えられていたのです

狂想のプーチンは、世界の平和を最優先で考え、行動すべき、国連・安全保障委員会の常任理事国の責任を、

理解できない、かつてのヒトラーや、ムッソリーニ、東條英機のように、強国ロシアの妄想に憑りつかれた

利己主義者になってしまった

「拒否権」が、国連機能マヒの悪者にされがちですが、プーチンのように、「拒否権」を間違った理解で、

使い、無視する、人間が悪いのであって、「拒否権」が悪いのではないのです。

国連・安全保障委員会の常任理事国は、米英仏の民主主義国と、中ロの強権国で、お互いに「拒否権」を

振り回して、世界平和が揺れ動いています。プーチンだけの問題ではないのです。

国連・安全保障委員会の常任理事国が、

「寛容を実行し、善良な隣人として互いに平和に生活し、国際の平和及び安全を維持するために、我らの力を

合わせる」という、責任を果たさなければ、人類の未来は無くなります。

昨日、写真取り込み出来なかった、15日の、百歳体操練習風景も。

 

10月17日、「今日は何の日カレンダー」より 貯蓄の日(貯蓄増強中央委員会)
▲「吾妻鏡」完成(1775)▲ショパン没(1849)▲学習院開設(1877)▲横浜で水道(1887)▲スエズ戦争勃発(1951)

▲「ラストエンペラー」愛新覚羅溥儀死去61歳(1967)▲川端康成ノーベル文学賞受賞(1968) ▲アラブ石油国

機構が原油生産削減を決定、第一次オイルショックの発端(1973)▲サンフランシスコで大地震(1989)

▲ハロウィンで訪問した米国留学中の留学生が、射殺される(1992)▲栃木5億円強奪事件(2004)▲ロッテ

マリーンズ31年振りリーグ優勝(2005)▲米議会が、ダライ・ラマ14世に名誉黄金勲章授与(2007)