異説? 鎌刃城馬屋曲輪の衝撃
◆質問者
この投稿のキモ要点は何です?
◆世話人様
城郭談義がテーマでないです。
人は一度記憶した概念や思考
と異なる事を言われれた場合
著しく不快といぶかしく拒絶
の心理を働かせると言う人間
心理に関する投稿と思います。
◆長谷川
その通りです。人間は初めて
聞いた事学んだ事を親と思う
心理特性を持っています親と
は祖とも書きます。昔学んだ
教科書の事は現代の歴史教科
書を読んでも記憶から消し去
る事は不可能です。これ大脳
生理学て記憶のメカニズムを
司るシナプスによる仕業です。
簡単に言うと記憶神経回路の
事です。結婚されて新姓へと
田中に変わられた人でも人間
の記憶は旧姓の記憶姓の山田
さんと人とは言ってしまう事
従って一度教育された事内容
は正論として脳内に記憶定着
するものです。イメージ世界
で昔マホメッドと学んだ方は
現代のムハンマドと言う呼び
名は知っていても 昔の記憶
マホメッドが強く記憶に存在
◆城郭探訪家
私は既存の出版されている
図書を基準に甲賀の城など
を巡っております。城歩会
会員に認めてもらい大河原
氏城を見学する事になりま
した一応書籍通りさくっと
城址を完璧に見学したので
探訪手帳にパーフエクトの
見学100点とメモして私の
探訪は終了したのでしたが
長谷川先生はさあ半分城址
を見学しましたあと半分の
城跡を気を抜かずしっかり
と見学しますと言われて頭
に来たのです。馬鹿な俺は
100点だぞ50点とでも言う
のかと反発を強く抱いた!
◆世話人様
それは貴方は貴方が読んだ
図書や書籍を鑑や基準にし
ている物差や証拠です現実
に遺構とは現地には拡がっ
ています。これを見る事が
城郭遺跡見学と言えます。
◆城郭探訪家
すると世話人様が長谷川
先生縄張図を引き出して
さあ丁寧に最後まで城跡
見学しましょうねと言わ
れてこの人の度量に驚い
たどうも俺シロウトかと?
▼大河原氏城長谷川図
◆世話人様
貴方は図書を教典だと誤認
してます。貴方は世間評価
や通説を規範や鉄板として
本物の現場の現実の城を見
ようとする習慣自分を持た
ずに図書にコントロールを
されている事を冷静客観的
に認識する事が大切な事よ!
◆長谷川
そうなのです。私は城郭の
初心者で素人なのです素人
なら図書や言説を鵜呑みに
する事なく自分の目で見て
確認する事が一番重要な事
◆一般者
一遍上人絵伝には平安期の
武士の舘の様子が描かれて
います。馬小屋の様子です
我々乗用車を使う人々には
車庫が基本的に生活の身近
武士の生活には馬屋は基本
◆長谷川
永禄三年織田信長は早朝に
突然起床し、馬引け、具足
よこせ、と言って湯づけを
立ったまま食べて桶狭間へ!
◆彦根市民様
彦根城の馬屋は城山に行く
時に何度も何度も見てます。
昔は御殿様は表御殿から表
門を出て馬の口取りにより
馬が引き立てられ馬立の場
まで来られ鞍を載せてから
乗馬され手順が存在しまし
た馬の鞍は装飾貴重品です
馬屋の馬は基本的に裸馬!
◆東京都民
江戸城なんかも馬屋曲輪
が存在して枡形虎口隣接
し馬屋が設置されてます。
◆一般者
令和5年6月4日長谷川先生
は鎌刃城まつりの現地見学
講師として今世間で話題に
なっています。長谷川先生
の破天荒な解説が嵐を呼ぶ
とウワサしきりなのです!
◆世話人様
長谷川先生!鎌刃城には馬屋
がないのですか?普通の城郭
なら枡形や馬屋曲輪がセット
になっている事は誰でも知っ
ている事彦根城表門の外には
馬屋が今でも残っていますよ。
◆反論者
馬鹿な事を言うな鎌刃城の様な
急峻な城郭に半地下式の重層の
初期大矢倉が存在した事は確実
◆世話人様
うかしいわ!5間四方の矢倉の
礎石が全部そろっていませんし
高層の矢倉の支柱を支える礎石
の面積も高層建築の礎石面積を
持保していませんわ。2間×5間
の礎石建物を私は馬屋と思う
第一建物の左に礎石配列認め
ず明らかに鞍を装着する馬立
の空間半円形の土塁は建物を
半円形に囲む様に作られてる。
◆世話人様
長谷川先生この遺構は枡形の
表門とその外の馬屋曲輪だと
私は思います。第一この場所
に巨大な重層の矢倉を建立し
ても伊吹おろしや強烈な北風
で倒壊するおそれがある鎌刃
城としては先端曲輪の半円形
の土塁を馬蹄形に囲んで馬屋
が吹き飛ぶ事を防ぐ風よけの
土塁にしていると私個人は考
えます長谷川先生この建物を
復元してみて下さいよ!
◆長谷川
すみません私は素人の初心者
です。建築の復元は無理な事。
◆世話人様
素朴で真面目な城址見学者の
私を無視する気なのですか?
◆草津宿様
馬屋曲輪には驚きました。「五間
四方の穴蔵がある建物」や「大櫓」
があったと思っていたからです。
まさか礎石が欠けていたとは思い
もよりませんでした。それぞれの
礎石の大きさと配置で建物の規模
がほぼ確実に推定できるという話を
、何かの本で読んだ覚えがあります。
逆に言うと、礎石も無いのにあるか
のように建物を推定したら、それは
唯の想像か出鱈目になるんでしょうね。
◆長谷川
当り前の話になります。馬の
蹄鉄は近代に発達した物です。
江戸時代も馬は沓を装着して
いた事は歴史の常識なのです。
◆質問者
米原市西番場には馬の沓
に関係する小字名が存在
致しますか?
◆長谷川
小字沓掛つまり沓欠けです。
馬の草履が欠損する地名!
◆一般様
出ました長谷川民俗学だ!
◆長谷川
おそらく世話人様は
①を馬立の空間
②を2×5間馬屋
④を地下式通路
⑤が鎌刃城表門
⑥は半円形土塁
と考えています?
②で馬を飼育する
①で馬に鞍を置く
③の狭い地下通路を通し
小型の日本馬を引き出す
⑤の表門で堀、樋口など
殿輩衆「領主階層」達が
乗馬する事を思い描かれ
ているのかもしれない?
◆長谷川
確かにこの門内の石段の構成
は防御よりも乗馬騎乗に最適
の構造かもしれませんね!?
▼鎌刃城見学会御案内リンク記事
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