城郭 長谷川博美 基本記録

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ビイスタで読み解く甲賀郡中惣の城郭群

2023-06-08 13:26:25 | 滋賀の城 ビイスタ工法

ビイスタで読み解く甲賀郡中惣の城郭群

 

◆有識者

長谷川先生の甲賀の城解説

非常に学門的価値が高いく

巷間で高く評価されている

 

◆長谷川

私の解説の理解者は皆無で

ブログ人気も全くないです

 

◆有識者

人気は芸能人や人気商売の

世界です。私は甲賀の城郭

の歴史的 社会的構造論を

分析する手段として学兄の

城郭ビイスタ論を拝聴した

いです。この説は昭和平成

に出現しなかった革新的な

令和城郭分析理論と高く私

は評価しております。前回

の甲賀東向山城の城館分布

を幾何学論を用いて解説さ

れた事は中世社会史研究上

においても日本の土木測量

史上においても全く画期的

学術新論説である事は確実

◆みんな

こんな方法で城が配置され

ている事など知らなかった

 

◆有識者

今回は甲賀坊谷城と池田東城

池田西城の中世武家集落景観

論からビイスタ理論を応用し

論述解析解説考察を願います。

◆有識者

 この地図を見る限りは

城郭は「カオス」無作為

混沌または丘陵地形利用

とのみ歴史地理の人は考

える事でしょう。しかし

長谷川先生には耕作地の

地割や貯水池をも含めた

甲賀郡中惣の中世社会学

的景観をビイスタ解説で

是非お願いを致します。

 

◆長谷川

私の理論が間違っている

可能性も危惧しながらも

前例なき中世武家邸宅の

配置論を考察分析します。

A 城館周辺特有の筋交道クランク

B 坊谷池堤防 水利管理用堤防

C 坊谷池上限 

D この地域の景観測量基準点

 「景観ビイスタ図」

E 三城館のビイスタ展望的配置

◆有識者

いやいや見事な甲賀郡中惣

のアバウトやカオス無秩序

の城館配置や貯水池の配置

ではない在地領主層が合議

し計画的な社会秩序や統制

や調整に基づいた寄合会議

で決定した甲賀郷村惣村の

秩序計画性つまりコスモス

中世甲賀郷村社会の宇宙観

を見る思いで見事な解説だ!

 

◆質問者

坊谷城

池田東城

池田西城

3城には各城ビイスタ工法

が存在したのでしょうか?

 

◆長谷川

下図の様に三城ともに3種の

扇型ビイスタが存在します。

◆長谷川

3城をこの様に城郭ビイスタ

用意周到巧妙に配置してます。

 

◆長谷川

話題を北近江小谷城に戻し

ます。小谷城の城塞群配置

もB小谷城本丸を中心にして

1出丸

2山崎丸

3福寿丸

4大嶽城

5月所丸

が環状にビイスタ配置

されている事注目を!

 

◆みんな

すげえ!長谷川先生の城郭

ビイスタ論!令和の新城郭

大理論だ長谷川先生の弟子

である事を誇りに思います。

 

◆長谷川

冗談言わないで下さい!

私の解説を傾聴する人が

世間には存在しますか?

私は著書ゼロ

人気勿論ゼロ

ブログもゼロ

弟子さんゼロ

理解者もゼロ

トホホとほほ

と全く人気がない現実が!

何れ私は城址見学講師も

城歴史講座もつぶされ解雇

そんな全く人気0状態から

城歩会を2~3名で再編成し

て有意義なる見学学習体制

を再度つくり直す事が大事!

『佐々木南北諸士帳』に、

池田城主 佐々木随兵清和源氏 池田太郎定信。

池田城主 後に信長随兵トナル 池田庄三郎亘輝。

池田城主 其後備前北方住国主トナル 青木筑前。

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
飲用
 

甲賀中惣(こうかぐんちゅうそう)は戦国時代

甲賀武士の自治組織のことである。物事を合議で

決めていた。

概要[編集]

戦国時代、侍身分をもつ甲賀郡の土豪は、同じ苗字

を持つものによる「同名中」という同族集団を形成

していた[1][2]。その中心は惣領家庶子家(分家)で、

構成員として近隣の他家の土豪も入っていた[1]。同名中

では惣領家と庶子家が横並びであることが特徴的であった。

同名中では掟を定め、談合による合議制で物事を決め、

その際、多数決を原則とし、決まらない場合はくじ

用いた[1]。なお、決められたことの執行は、「奉公中」

という集団で行われた[1]。伊賀の国一揆や近江に侵攻する

織田信長への対抗として、より大きな郡規模の組織として

永禄年間頃に「甲賀郡中惣」が形成されたと考えられ、

地域の紛争の調停機能を果たした[3][4]。権力をもった領主

が地域全体を支配するのではなく、小領主が地域の案件を

合議で決定することは全国的にも極めて珍しいことであった[3]

1585年天正13年)豊臣秀吉が守護を命じていた堤が決壊した

責任が問われ、甲賀武士10名が所領を没収、改易されて

甲賀郡中惣は消滅した[1][5]

 

中世城郭の新展望論 迎山城 長比城 - 城郭 長谷川博美 基本記録

中世城郭の新展望論 迎山城 長比城 - 城郭 長谷川博美 基本記録

中世城郭の新展望論迎山城長比城◆城歩会世話人様私は長谷川先生と長比城を見学したかったのです先生の解説に価値観を感じます。◆長谷川世の中の研究家には2種類模倣型=もの...

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中世城郭の新展望論 迎山城 長比城

2023-06-08 12:59:42 | 近畿の城 ビイスタ工法

中世城郭の新展望論 迎山城 長比城

◆城歩会世話人様

私は長谷川先生と長比城を

見学したかったのです先生

の解説に価値観を感じます。

 

◆長谷川

世の中の研究家には2種類

模倣型=ものまね=コピー

発見型=気付き型=発見者

の人がそれぞれおられます。

 

◆城歩会世話人様

さて過去の長谷川先生資料

を読み返すと長比ビイスタ

工法長比山麓外郭遺構図面

苅安城塞群遺構位置図また

長比城出丸図など多数の所

見が当時の資料に残ってい

て私は先生の教示を10/1も

傾聴してなかった事が残念

です。聞いてない見て無い

考えていない事を改めて

残念で反省しています。

 

◆長谷川

人気の無い私と長比城見学

したい人は全くいませんが

『城歩会』として4人ほど

ではまちやんを見学リダー

とし少人数で見学勉強会を

したいと思います希望者は

世話人様に連絡して下さい

ブログで公募する可能性も

◆学術家

長谷川先生と長比城に行く

前に一般の方は甲賀向山城

を長谷川さんから学ぶ事が

大切です。私は甲賀瀧川氏

城の長谷川氏解説に衝撃を

うけました。2城館が一組

としてセットになっている

しかも幾何学測量的に両城

を調整している事への驚き

です。この様な学術視点は

昭和、平成、には存在しな

かった。単郭方形城館群と

いう中世社会史論視座のみ

から見たデフオルメ的省略

簡略概念型の学問が流布し

た遠因や原因が存在します

2城館並立併存する場合に

は如何なる設計測量縄張

がなされたか長谷川先生

の解説は恐るべき学説を

私の私の脳裏に印象付け

た事になり衝撃。2城館

▼甲賀瀧川城館2城図

の城主は親子兄弟親族

血属眷属が合議して城

の縄張や農村景観自体

の形成していた苗字を

同じとする同族連合の

合議体制を読み取れる。

これを近江伊賀型たる

一城別郭と解釈すべき

かが私の疑問提起です。

▼近江甲賀瀧川城館群

◆学術家

長谷川氏の城郭解説は非常

高尚学術的側面が存在しま

す。昭和、平成、令和へと

時代は推移しましたが城郭

ビイスタ論などに気付いて

着眼論説される姿勢は向学

派学究派の方には驚くべき

研究視座視点の提示提唱で

す。氏は既に滋賀県中世城

郭分布調査時点で卓越した

測量視点や解析視点視座を

既に持っておられた研究家

と言えます。さて私は甲賀

の向山城の2城郭を長谷川

学兄に御教示賜りたいと

かねがね思っております。

 

◆一般城址探訪家

こんなのびりした甲賀の

単郭方形城館群ですよ!

私らは行って土塁見て

写真撮影して終了です!

滋賀県中世城郭分布

調査図より引用 向山城図

◆城歩会世話人様

私はただ城跡に行くだけ

の人だけならお世話など

致しません。長谷川先生

の解説には含蓄がある事

軽率に城跡を走り廻る人

を見ると強く失望します。

我々は城址を飛び回る人

ではない城に飲まれない

自分をもつ事は身勝手な

軽い行動ではなく慎重に

城跡を考察する重さ観察

力や城跡見学状況能力!

◆学術家

さあ甲賀向山城にビイスタ

が存在するのか?長谷川氏

ほどの人ならば看破洞察

されると思うが私は不明

◆長谷川

中世農村景観論として2城館

は遠目に見ても均整かつ見栄

えを考慮した小地域武家邸宅

の景観を読み取る事が可能。

更に検討し二方向から2城館

を臨んでも調和のとれた景観

つまり重複型2城館ビイスタの

構成が読み取れます。▼

◆一般様

長谷川先生とは素晴らしい

卓越城郭研究家と思います

城ハイキングと違う研究家

◆予約代行 0749-86ー4145

 ウッデイパル余呉 城郭係様

 

◆長谷川

この分析段階で感心しない

で下さい中世城館が如何に

高度な設計測量技術を所持

していたのか検討致します

赤線のビイスタ

青腺のビイスタ

緑腺のビイスタ

が読み取れます。

◆長谷川

さらに別角度から分析

しますとABCDなどの

多重測量起点複合型

城郭ビイスタの存在

◆学術家

この甲賀型の一城別郭型の

城主や領主層は判明してい

ますか?

 

◆長谷川

伴伝佐衛門 伴又左衛門 等

の同名衆、血族関係の城だと

伝承されています。向山城

の2城はシンクロしてリンク

して築城設計された甲賀郡

のビイスタ工法を用いた城

だと言えます。

 

◆学術家

さてさて坂田郡長比城とは

元亀元年近江浅井氏に属し

た坂田郡の長比城を守備し

のは鎌刃城主の堀、樋口氏

の2氏ですが織田信長へと

投降して織田信長が長比城

に入城した事『信長公記 』

に記録されています。堀

氏と樋口氏同名で血族です

 

◆城歩会世話人様

私は先日米原市職員様達に

協力して長比城の下見へと

行っております。長谷川

先生は堀樋口氏は家老が

樋口三郎兵衛で 主君の

堀秀村15歳を補佐した人

だから長比城は2城あり

すとつまり一城別郭と

解説され私は納得しまた

殿様と家老の城が分離し

て2城存在した事が納得。

 

◆学術家

そうすると米原市長比城

は1城別郭で甲賀の向山

城のような2城ビイスタ

が存在するのですか?

 

◆長谷川

その通りです。長比城は2城

をビイスタ工法で設計縄張

した貴重な城郭遺跡と言える

◆みんな「城歩会」

長谷川先生スゴイ!

はまちやんリダー

長谷川先生解説で

是非長比城見学会

を開催して欲しい!

◆学術家

さて近江坂田郡の堀樋口氏

は信長から改易され没落を

致しますが甲賀の城郭また

長比城とは因果関係がある

と思もわれます?堀樋口氏

の実質主導者樋口三郎兵衛

直房の最後の終焉の地は?

 

◆長谷川

『信長公記』には元亀2年

越前木の芽峠の城を担当

していた樋口三郎兵衛は

甲賀へ逃走し秀吉により

殺害されたと記されてい

ます。関氏殺害説もあり。

 

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